肥後亮祐「Null Island」にみる虚実空間

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「Kyoto Art for Tomorrow 2021 京都府新鋭選抜展」(2021年1月23日〜2月7日 京都文化博物館)で展示されている作品、肥後亮祐の「Null Island」。

この企画展で、特に興味を惹かれた作品です。

 

この星では、かなり以前から「地点」が微細に数値化されていて、デジタルマッピングにより電子の地図が描けるようになっています。

細分化されたデジタル座標によって地球上のあらゆる場所・地点を、緯度と経度の組み合わせにより明示することが可能となりました。

「Null Island=ヌル島」も、デジタルの世界では「緯度0経度0」の地点として紛れもなく存在する場所と定義されています。

アナログ的世界地図上でみると、西アフリカ、ギニア湾沖合の一点に相当します。

 

ミクストメディアで表現された「Null Island」はこの「一点」のもつ二面性を示した作品。

島の位置を明示するデジタル画像の横に、垂直にたらされた錘によって指し示された緯度経度0地点=Null Islandが模型地図によって表現されています。

 

しかし実際には、この緯度経度0地点に「島」はありません。

Null Islandはデジタルな位置情報を扱うために設定された便宜上の仮想島なのです。

 

作品の横に掲示されている作者のメッセージには、この島がパロディ(仮想の「共和国」)として扱われていたり、行き場を失ったデジタルデータの漂着点、もしくは故意に位置情報を特定されないための秘匿点として存在していることが説明されています。


緯度は赤道を、経度は本初子午線を基準に決められていますが、そのどちらもが「ゼロ」となって交差する、いわば地球の「基準点」には、実は、何の由来も根拠もありません。

地球における「位置のはじまり」ともいえる重要な場所のように思えるのに、海上のただ単なる「点」に過ぎないのです。

しかしその「基準点」は、何の意味も価値もないゆえに、「空想の島国」にもなるし、デジタルタグの「捨て場所」にもなるし、犯罪者のちょっとした「隠しポケット」にもなってしまう。

 

Null Island=緯度経度0の場所は確かに存在しています。

しかし、どこまでも横と縦の座標が示すゼロの点を細分化していっても、仮に原子の単位まで細かくしていっても、正確な「ヌル島」を物質的に指し示すことも、取り出すこともできません。

この作品が面白いのは、こんな、まるでプラトンがいうイデアの一種のようにも思えるNull Islandが、必ず物質的に存在することを、その「錘」で表現しているところ。

錘の先が指し示している「点」は物理的に確かな手応えを伴って存在しているように思えてくる不思議。

 

デジタル座標の世界では紛れもない一点として存在するNull Island。

アナログの世界では無限に細分化することでしか想像できないNull Island。

ほとんどレディメイドの物品だけで構成された肥後亮祐の「Null Island」は、パロディをスパイスにしつつ、真偽虚実が永遠に反転し続けるような世界を巧みに表現しているように感じました。

 

肥後亮祐 「Null Island」