スティーヴ・ライヒに代表れさるミニマル・ミュージックは単純化された音型の反復が生み出す不思議な中毒性を持っています。
延々と繰り返される音のパターンは装飾性やストーリー性が極力排除されることで独特の美観を聴き手に与える効果を生み出す。
「反復」を美を成立させる機能とする場合、その素材はできるだけシンプルな方が良い、その典型が示されているように思えます。
京都ではそんなシンプルな反復美と真逆の要素をもった反復美を体験できます。
超メジャーな観光スポット。
蓮華王院の外観はシンプルな柱と壁によって構成されているので、ミニマルミュージック風の反復美をまとっているように感じます。
一度焼け落ちましたがすぐに再建。
現在の本堂は1266(文永3)年、鎌倉時代から残る国宝。
比較的シンプルにリズムを刻む本堂の外観に対し、その内部は千一体の千手観音像が整然と凝集する異様な迫力に満ちています。
脅威の装飾性と仏像一体一体が持つストーリー性に圧倒されてしまう。
反復美の決まり事、シンプルさがこの堂内では見事に反故にされています。
でも全体として現された仏教空間はこれ以上ないくらい美しい異形のミニマル芸術世界を体現しているといえなくもありません。
他方、同じく執拗に反復の異形さを際立たせているのが伏見稲荷大社の千本鳥居。
こちらは蓮華王院の千手観音とは違い、鳥居そのものの形状はシンプル。
その意味で、ミニマル・ミュージックのセオリーに似通っているといえます。
ただ、ここを体感したときに感じる異様な雰囲気は、「反復+シンプル」の美空間とはまったく様相を異にしている。
一見、整然とリズムを刻んで建てられているようにみえる鳥居。
しかし、ここは元々そのような美意識に基づいて計画されたものではありません。
人々による信仰の凝集が稲荷山の山麓に次々と鳥居を建てさせた。
稠密に鳥居が並んでいるエリアもあれば、ほんのわずかですが余裕をもたせて立てられている箇所もあります。
計画的に鳥居が並べられてきたのではなく、信仰の力によって結果的に作られた鳥居の集合列が続く。
ここでは反復美の中に、千手観音を作らせた信仰心とは別の、市井の人々の執念が織り込まれている。
だから異形にして異様な美空間が出現していると感じられます。
蓮華王院と伏見稲荷大社。
異形にして豊穣な反復。
つまり、ミニマルのルールを完全にひっくり返しながらの圧倒的ミニマル芸術が出現している場所です。