■2021年10月9日〜12月5日
■京都国立博物館
先月から始まった「畠山記念館の名品」展、11月9日から後期の展示に入れ替わりました。
驚いたのは畠山記念館コレクションを代表する桃山の異形陶器、伊賀花入「からたち」が、前期と後期でその展示場所を変えていたこと。
しかも前期では壁面展示でしたが、後期では独立型展示ケースに入れられ、360度鑑賞できるようになっています。
前後期で作品が入れ替わることはよくあることですが、同一の器物が場所と展示形態を大きく変えてそのまま公開され続けるというのは珍しい。
それだけ主催者の思い入れが強い逸品ということでしょう。
独立展示となったことで、この作品のさまざまな景色を堪能できるようになっています。
「からたち」は、金沢の所蔵者から東京の畠山一清(即翁)に譲られることになった際、当地の茶人名士たちが紋付袴姿で駅から見送り、それを受けて即翁も同様のいでたちをして上野駅で出迎えたという、今となっては牧歌的なエピソードをまとった花入。
「ものにも格がある」としていた畠山即翁の気風を察しての京博による特別な計らいなのかもしれません。
そして、前期に「からたち」が置かれていた壁面スペースには、替わって後期から国宝・伝牧谿筆「煙寺晩鐘図」が恭しく飾れています。
室町将軍から天下の覇者たちの手を次々経て加賀前田家に伝来した一幅。
今回初めて静かな環境でじっくり鑑賞できました。
大変な名品だと思います。
部分的には象徴主義、幻想絵画の趣きすらあって、鑑賞時のBGMをもしつけるとすれば、ドビュッシーの「沈める寺」あたりがしっくりきそうですが、やはり無音が一番でしょう。
この水墨画自体、牧谿が「音を絵にした」と言われている作品ですから。
さて、畠山記念館といえば、創設者畠山即翁が集めた茶道具がメインです。
しかし、そのコレクションには結構琳派の作品が含まれていて、今回の特別展でも琳派を特集したコーナーが設けられています。
中でも最高の優品は展覧会図録の表紙にも使われている「四季草花下絵古今集和歌巻」。
宗達の下絵に光悦が古今集の歌を書き散らした全長約920センチに及ぶ巻物。
金銀泥で縦横に描かれた植物に、絶妙な緩急のリズムを持って墨の文字が置かれています。
書と工芸の技が二次元世界にふんわりとした奥行きを創造しているかのようで見飽きることがありません。
同類の作品が他にもありますが、格調高さの点でこの巻物に及ぶものはないようにも感じます。
展示されている横に「畠山記念館の意向により、作品保護の観点から傾斜をつけた展示を差し控えた」との趣旨で京博による説明書が置かれていました。
10メートル近い巻物を一気に展開するのですから、当然リスクが伴います。
どうぞどうぞお気になさらずといいたくなります。
見やすくなるような傾斜がなくても、十分、宗達と光悦の技が感得できました。
畠山コレクションには、俵屋宗達、本阿弥光悦から始まり、尾形光琳・乾山兄弟、酒井抱一、さらに鈴木其一とその子、守一まで主要な琳派作家を網羅する体系的な収集傾向がみられるといわれています。
しかし、全体的に見ると、例えば根津美術館やサントリー美術館、出光美術館といった名だたる琳派コレクションに比べ、やや地味な印象を受けます。
これは作品優劣の話では全くなくて、畠山即翁独特の審美眼が統べた結果のように感じます。
例えば、酒井抱一の「十二ヶ月花鳥図」。
同種の画題で書かれた連作が複数ありますが、基準作といわれる宮内庁三の丸尚蔵館の名品に比べるとかなりあっさりとした色彩で描かれていて、余白の清々しさが際立っています。
華やいだ江戸琳派のデザイン性より、「賤が屋の夕顔図」や「富士見業平図屏風」のように「描かれなかったもの」を想像する愉しみを感じさせる作品を手元に残しているあたりにも、即翁独特の趣向がみられるように思います。
なお、前期に展示されていた鈴木其一の「向日葵図」は即翁が求めたものではなく、次男清二氏がコレクションに加えたもの。
ひまわりの花を正面から博物学的ともいえる独特のアングルで描いたユニークな作品。
いわれてみれば即翁の趣味とはかなり異質なものを感じますが、即翁が手に入れた尾形乾山の「立葵図」の、花を正面からデザイン性豊かに捉えたアングルと通底する要素が感じられます。
琳派の潮流を幅広い視点で捉え続けようとしたこの記念館の姿勢は一貫していたともいえます。
白金台の畠山記念館は2019年から改築工事のため長期休館となっています。
閉館している間、所蔵品を京博が預かることになり、この特別展が企画されたのだそうです。
位置的には京都より東京で保管する方が理にかなっていますが、コレクションの多くは京都に由来を持つ文物。
いわばまとめて里帰りしているようなもので、むしろ京博が一時帰還の宿として相応しいような気もします。
まとまった規模の畠山コレクションが関西でまとめて展示されることはもう滅多に無いでしょうし、白金の記念館本体でさえ、一度にこれだけの名品で館内を埋め尽くすことは不可能とみられます。
非常に貴重で意義のある企画展だったと思います。