蓮成院の菊池契月

 

大原にある蓮成院(れんじょういん)が特別公開されたので訪問してみました。
(京都古文化保存協会主催・公開は2022年11月12日〜30日)

滅多に公開されない寺院だと思います。
初見学となりました。

小さいお寺なのですが、客殿の内部は京都画壇の名人たちによる襖絵に覆われていて、ちょっとしたギャラリー空間となっています。
驚きました。

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蓮成院は、三千院の奥、来迎院に向かう呂川沿いの急坂にあります。
といっても、ほとんど今まで気がついていなかったお寺です。
通常非公開な上に、道からかなり上の方に門が設けられているので、それと意識せずにぼんやり歩いていると視界に入ってこないような場所に佇んでいます。

紅葉真っ盛りの時期に大原、特に三千院界隈を訪れるという行為にはそれなりの勇気が必要で、当然にある程度の混雑は覚悟しなくてはいけません。
しかし、大半の観光客は三千院が目当てなので、その奥になってくると一気に閑散としてきます。
蓮成院のあたりまでくると人影はまばら。
来迎院に比べても格段に知名度が低いせいか、寺内の見学客も少なく、快適に過ごすことができました。

 

 

実は来歴がよくわからない寺院です。
現在はすぐ近くに門を構える天台宗名刹来迎院に属している塔頭
しかし、現在の建物は三千院内にあったものを昭和初期に移したともいわれているようです。
三千院、つまり元の梶井門跡が特に幕末明治にかけて大混乱しているので、このあたりの塔頭寺院もそれに巻き込まれ、良忍の昔から姿をとどめているものはほとんどないのはもちろんのこと、近世の建物ですら、本来どこに何があったのやら、もはや特定できない有様となっているのが実情とみられます。

急な階段を上がった先に、西向きに口を開いた門があり、その門と直角に交わる北向きに客殿の入り口が設けられるという、変則的なエントランス。
いかにも「知らない人は入ってこないでね」という門構え、です。
塔頭という建物が本来そういうものではあるにしても、参拝者を迎え入れるというより、もっぱら、ここに住する人のためだけに造作された寺院という印象を受けます。

今回公開された客殿という建物。
独特の構造をもっています。
玄関から入ると、西に向かって二つの部屋が連なり、一番奥には仏間のような別空間が設けられています。
応接用の御殿なのか、それとも仏殿なのか。
その両者が微妙なバランスで混じりあった不思議空間です。
小ぶりとはいえ、斜面に建てられていますから、北側に広く開けられた窓によって開放感がしっかり確保されていて、南には所々に小さい岩が点在する景色豊かな庭が広がっています。
この建物には梨本宮初代となった梶井門跡、昌仁法親王(守脩親王)の仮御殿だったという伝承が残されています。
ただ、いくら仮の住まいといっても皇族が使用する客間としては狭すぎるといえなくもありません。

そんな質素ともいえる空間にも関わらず、各間を飾る襖絵制作には不釣り合いなくらい錚々たる画壇の大家たちが参画しています。
鈴木松年、川村曼舟、西山翠嶂、さらに木島櫻谷による鹿の屏風まで。
水草木や動物など、いずれも温雅なモチーフが採用されていて画力というよりも滋味で魅せる絵画が大半です。
仮御殿の簡素さを絵画によって補った、ということなのでしょうか。
不思議な取り合わせでした。

 


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しかも、仏間と隣接した一室には、他の襖絵とは全く違った題材でのユニークな図像がゆったりと描かれています。
菊池契月による「天女」の図。
ほとんど墨だけで描かれた三人の天女が、豊かな余白を伴いつつ天空を舞っています。

驚くのは契月の「線」のみによる繊細な官能美表現です。
塗り直しや修正を自らに許していない、一気に仕上げられた線描によって、天人たちからは、一切の努力や無理が剥落していて、ただただ慈愛と色気が混淆したような表情を示しながら浮かんでいます。
よくみると、黒一色と思われていてた線に所々、朱のような色が絡んでいます。
そのことによって、微妙な立体感が生まれ、必要最低限の範囲で、「肉感」的な香りが天女たちに施される妙技。
とても近くまで寄って鑑賞することができました。
動画や写真でこの襖絵をみると、やや通俗的な雰囲気が漂ってきますが、実物には全くそういう気配がありません。
シンプルさの中にどこか超越的な美意識すら看取することができると思います。
とにかく菊池契月の天才的な「線の技」に圧倒されました。

この襖絵は一体、誰の発注によって、いつ描かれたのでしょうか。
契月が、色彩を抑制し、いわゆる「白描画」を好んで描き出す時期は、昭和に入ってからと言われています。
とすると、この建物が三千院から移された時期と推定される昭和初期に近いタイミング、ということになるのでしょう。
では、契月以外の画家たちによる襖絵はいつ、どういう経緯で描かれたのか。
わずかなスペースに5名以上もの画家がそれぞれに絵筆をふるい、しかも、各間を飾る題材間にはほとんど脈略がありません。

蓮成院、京都画壇に関係したちょっとしたミステリー寺院でした。