特別展 感覚の領域 今、「経験する」ということ
■2022年2月8日〜 5月22日
■国立国際美術館
とても抽象的なタイトルが付けられた展覧会です。
「感覚」。
「経験」。
まるでカントやマッハ、ラッセルあたりが登場してきそうな、「哲学と美術」の開陳でも企図したかのごとき噛みごたえ満点の響き。
久しぶりに頭がキリキリしてきそうな難解展を期待し中之島に向かいました。
しかし、実際鑑賞してみると、とてもわかりやすい内容の展覧会。
良い意味で期待を裏切られた感じです。
本展の英訳タイトルは Range of the Senses: What It means of "Experience" Today、です。
Rangeは、より素直に日本語に訳し返すと、「幅」、です。
「感覚の領域」というより、「感覚の幅」と言い直すと、本展が意図したことが一層明確になってくるかもしれません。
コロナ禍が始まる以前から企画されていた特別展なのだそうです。
7人のアーティスト、飯川雄大(1981-)、伊庭靖子(1967-)、今村源(1957-)、大岩オスカール(1965-)、中原浩大(1961-)、名和晃平(1975-)、藤原康博(1968-)の近作が集められています。
その多くが2020年以降、まさにコロナ以後に製作された作品です。
ただ、キュレーターの安來正博(国立国際美術館上席研究員)によれば、展覧会のコンセプト自体はコロナ以前/以後に関係なく当初のまま維持したとのことです。
日本における「美術」という言葉が、「視覚」をベースとした「絵画」を中心概念として想定しているその制度的問題については、『眼の神殿』(北澤憲昭)などの批判的検証によって既に当たり前になっていますけれど、そのことは一旦横に置くとして、国際美が本展でいっている「感覚」の中心軸は、やはり、「視覚」と「絵画」です。
古典的な絵画アートを一方の極に置き、そこから距離をとりつつも、なおアートとして感覚に訴求する作品をもう一つの極に置く。
「絵画極」と「非絵画極」、「幅」を持った二つの極を結んだ軸線上に置かれたそれぞれの作品に接した時、鑑賞者に生起する新たな「経験」。
こんなことが目論まれている展覧会だと思います。
そして、本展の中で、おそらく一番「絵画らしい絵画」、つまり「絵画極」に最も近い作品を描いているアーティストが藤原康博です。
他方、絵画とは遠く隔たった「非絵画極」に近接し、「体験」そのものを作品化しているのが飯川雄大、ということになると思います。
藤原康博が2021年から2022年にかけて描いた「青」が支配する大判の油彩画シリーズ。
たとえば「迷宮〜記憶の稜線を歩く〜」では、どこにでもありそうな布団やシーツが、異様な質感を伴い、視覚を通して「触覚」に直接訴えかけてくるような静謐な迫力が感じとれます。
やや大袈裟に喩えるならフリードリヒの「氷の海」にも通じそうな超感覚の世界が描き出されているのですが、一方でそこには、だらしなくベッド上で寝ていた人物の体温、気配が残っているようにもみえてきます。
これは、あくまでも視覚芸術、特に絵画の力が信じられている作品です。
一方、藤原作品とは真逆の、「非絵画」的な、ほとんどコンセプチュアルな世界観だけで作品を構築しているのが、飯川雄大による一連の「デコレータークラブ」シリーズということになります。
彼の映像作品中、登場人物たちによって語られ続ける「自らを飾りつける蟹」という生物は、いつまでたっても画像としてその姿を現しません。
そろそろ意地悪な作家の意図に気がつきはじめつつも、その映像を見続けていたら、いきなり、展示室内の巨大な「壁」が動いてこちらに迫ってきました。
これは別の観客が展示室の反対側から「押した」ためにこちらに迫ってきた、飯川によって仕組まれた可動壁です。
これも「デコレータークラブ」の仕掛けの一つです。
あちら側で壁を押している観客は、大きな壁面を動かしているような「体験」をしていると思い込んでいるのですが、実は、それは自分の力だけで動いているものではなく、可動壁自体に備わった惰性的他力が作用しています。
それどころか、得意気に押している壁の奥に別の鑑賞者がいることにすら気がついていないかもしれない。
「体験」の、その裏の裏をかく、徹底的に表裏がはぐらかされた「感覚」の世界が実現されています。
また、会場のあちこちに飯川が仕掛けたとみられるなんの変哲もないバッグ、「鞄」が置かれています。
単に置き忘れられたものなのか、それとも何かのトラップなのか。
鞄を前に何もアドバイスをしてくれない監視員の人たちの存在も含めて「感覚」が宙に浮く「感覚」。
飯川の作品には、藤原が信じた絵画の力とは全く別種の「感覚」を生起させる力が仕込まれています。
藤原による「絵画極」における超感覚体験と、飯川による「非絵画極」による逆説的な感覚体験。
おそらく、この両極の、その中間点あたりにある作品が中原浩大による「Text Book」(2022)、ではないでしょうか。
150枚にも及ぶ「色の教科書」。
一枚一枚ずっしりとした紙の重さとねっとりとした質感を噛み締めながら味わう大判色彩見本帖。
しかし、150色の純化された色そのものを律儀に見終わっても、実は色のバリエーションは150を遥かに越えて存在することに、他の作家が描いた作品によって、気がつかされることになります。
企画当初からコンセプトは変わっていなくても、コロナの波を受けた作品への影響が随所に感じられます。
そこが、この一見楽しい展覧会に「不穏」のスパイスをたっぷりふりかけていて、さらに「幅」=Rangeが多方向に広がっているようにも感じられました。
素晴らしい特別展でした。