「シュルレアリスムと日本+京都」展|京都文化博物館

 

 

シュルレアリスム宣言』100年 シュルレアリスムと日本

■2023年12月16日~2024年2月4日

 

シュルレアリスムと京都

■2023年12月23日〜2024年2月18日
京都文化博物館

 

シュルレアリスムと日本」展は、アンドレ・ブルトン(André Breton 1896-1966)が1924年10月に「シュルレアリスム宣言」を発表してから来年で100年になることに因んで企画された特別展です。

京都の後、東京(板橋区立美術館 2024年3月2日〜4月14日)、三重(三重県立美術館 2024年4月27日~6月30日)に巡回しますが、京都では会場となっている文博の中でもう一つこれに関連したミニ特集展示「シュルレアリスムと京都」が並行して開催されています。

www.bunpaku.or.jp

 

シュルレアリスムと日本」。

とても大きなテーマを背負ったタイトルと感じます。

本来ならば東京国立近代美術館あたりが開催しても良さそうな内容なのですが、意外にも本展は板橋区京都府三重県と、いずれも地域ミュージアムの3館が連携しての企画です。

 

これにはおそらく伏線があったようです。

2021年、板橋区立美術館京都文化博物館は、共同で「さまよえる絵筆 東京・京都 戦時下の前衛画家たち」と題した展覧会を開催しています。

福沢一郎や靉光、北脇昇といった本展でも大きく扱われているアーティストたちの戦時下における挑戦と蹉跌を鋭く抉った見事な特別展でした。

今回の「シュルレアリスムと日本」展は、この「さまよえる絵筆」展のいわば続編といっても良い企画なのでしょう。

中心となっているキュレーターが弘中智子板橋区立美術館学芸員と清水智世京都文化博物館学芸員である点も両展に共通します(本展ではさらに速水豊三重県立美術館館長が加わっています)。

しかし続編といっても、今回はこの国におけるシュルレアリスムの黎明期から最盛期にかけて主にスコープが当てられていますから、時代的には前回展を遡る格好になっています。

 

福沢一郎(1898-1992)や山中散生(1905-1977)、瀧口修造(1903-1979)のような推進者がいたとはいえ、ブルトンのような強烈な牽引者が出現しなかった日本のシュルレアリスムは、良くも悪くも大きな「中心点」をもたなかったムーヴメントといえるのでしょう。

結果として、東京だけでなく名古屋や京阪神、さらには九州まで、日本各地で個性的な画家やグループが一気に明滅するという、この国独特のシュルレアリスムが展開することになりました。

本展では、古賀春江等の作品をその曙光として導入パートに組み入れつつ、呆れるくらい多種多様に開花したアーティストたちの群像を可能な限り満遍なくとらえようとしていて、規模的にはそれほど大きくはないのですが、情報量はとてつもなく多い内容となっています。

 

浅原清隆「多感な地上」(本展アートワークより)

 

お馴染みの有名画家もいるわけですが、ほとんど今まで意識して観る機会がなかったアーティストたちが数多く登場していました。

キービジュアルの一つに採用されている作品「多感な地上」を描いた浅原清隆(1915-1945)もその一人です。

兵庫県出身というこの画家は1934年、帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)入学後から派手に活動を開始し、「表現」というグループを学内で立ち上げた他、マン・レイの名作「ひとで」の上映会を開くなど、瀧口修造にも目をかけられるという逸材でした。

しかし出征後、ビルマで行方不明となってしまい、現存する代表作はこの「多感な地上」と「郷愁」(いずれも東近美蔵)しかないのだそうです。

繊細に独特の才気を感じさせる作風が、悲惨であったろうその最期と無関係に美しいため、より一層、この時代に生きてしまった芸術家の不運が胸に迫ります。

 

靉光「眼のある風景」(東京国立近代美術館コレクション展で撮影)

 

戦闘自体で命を落としたわけではないものの、上海で病死した靉光(1907-1946)も、アジア太平洋戦争で犠牲になったアーティストの一人でしょう。

「さまよえる絵筆」展では「新人画会」で活動していた頃のやや珍しい作品が紹介されていましたが、今回は堂々と彼の代表作「眼のある風景」が竹橋から出張しています。

こうして多様な日本シュルレアリスム絵画の中に置かれると、本作の異様なまでに高い完成度がさらに際立つようにも感じられました。

 

北脇昇「眠れね夜のために」(京都市美術館コレクション展で撮影)

 

さて、京都も日本シュルレアリスム史上、重要な役割を果たした地域です。

北脇昇(1901-1951)、小牧源太郎(1906-1989)、今井憲一(1907-1988)たちの作品がこの種の展覧会では必ずといって良いほど取り上げられてきました。

ただ今回はなるべくたくさんの関連アーティストを網羅するためか、「シュルレアリスム京都画壇」の展示自体はやや控えめです。

その代わり、文博は京都市美などから彼らの作品を取り寄せ、2階総合展示室でミニコーナー「シュルレアリスムと京都」を個別に追加開催し、本展を補っているというわけです。

いずれも岡崎のコレクション展で陳列されたこともある見慣れた作品ですが、こうして「シュルレアリスム全国大会」の中で鑑賞すると、そのクオリティの高さを再認識させられます。

 

米倉壽仁「ヨーロッパの危機」(山梨県立美術館展示時に撮影)

 

その他、群馬、名古屋、和歌山、福岡、熊本などなど、各地の地域ミュージアムから個性的な作品が出展されていて、一度の鑑賞では脳内の整理がなかなか追いつかないほどです。

今年のお正月、旅行ついでにたまたま訪問した山梨県立美術館での回顧展で鑑賞した米倉壽仁(1905-1994)の作品にも年末になって再会できました。

戦後、おそらくこの運動では最も遅く立ち上げられたグループ「サロン・ド・ジュワン」(1951年創始)を主宰した米倉のシュルレアリスム運動に関する次の言葉を本展図録に寄稿している永井敦子が印象的に引用していました。

 

「運動としてではなく個別に咲き継ぐことであろう」(P.8)

 

「咲き継ぐ」という米倉の表現は素敵です。

弾圧と戦争によって大きな挫折を被った日本のシュルレアリスムが、戦後も実はしぶとく強く美術界に影響を及ぼしていた状況を一瞥して本展は締め括られています。

 

小牧源太郎「民族病理学(祈り)」(京都市美術館コレクション展示で撮影)

 

なお写真撮影は全面的にNGです。

また前期(12月16日〜1月8日)と後期(1月10日〜2月4日)で若干の作品入れ替えがあります(詳細は文博の出品目録PDFでご確認ください)。