大阪市立美術館 休館前の名品展

 

華風到来 チャイニーズアートセレクション

■2022年4月16日~6月5日
大阪市立美術館

 

次回の特別展である「フェルメールと17世紀オランダ絵画」展(2022年7月16日〜9月25日)の終了後、大阪市立美術館は約3年間の長期休館に入ります。

主にバックヤード、設備面での改修等が中心となるようですが、休館期間としてはやや長めに感じます。

ちなみに2020年、大規模にリニューアルした京都市京セラ美術館の休館期間も約3年。

かなり大胆に改変された京都市美術館並みの期間をあてるわけですから、天王寺の老舗美術館がどう生まれ変わるのか、今から楽しみです。

www.osaka-art-museum.jp

 

一時閉店前の特別企画として、この美術館自慢の中国美術を中心とした拡大版のコレクション展が開催されました。

ポスターやチラシに島成園「上海娘」や椿椿山の可憐な花鳥が使われているので、華やかな作品群をイメージしがちですが、実態は実に渋く濃密なラインナップとなっていて、この美術館の奥深い底力が示されていると思います。

 

東洋紡績を率いた阿部房次郎のコレクションを中心とした中国絵画の世界から始まり、山口謙四郎による石仏の数々など、質量ともに圧倒的です。

 

伝王維の筆とされる「伏生授経図」は唐代の作品。

異様に痩せ細った伏生の姿からは、焚書坑儒に抗ったという壮絶な人生よりも不思議な達観が滲んできます。

 

清代の絵画「子母図」では、写実と様式性を見事に融合させながら、宋代の気品になんとか近似させようと企図する画家の高い技術力がうかがえると思います。

 

北斉 天保8年(557年)の銘をもつ「石造 如来三龕」の極端に丸く繊細な表情。

日本や朝鮮とも違った「薄味の雅」が漂ってくるようです。

 

なお、全作品、写真撮影OKとなっていて、著作権が生きている作品については、SNS等での利用を不可する旨の注意書きが添えられています。

 

伝王維「伏生授経図」

「子母図」より

北斉 石造 如来三龕

 

本展のチラシの中で、大阪市美は「当館の特色は、ずばり『中国』」と、誇らしく宣言しています。

 

しかし、大阪市立美術館が、その創設当時から「中国」をとりわけ重視する姿勢をとっていたわけではありません。

1920(大正9)年、新しく大阪に美術館を設置することが市議会で決議され、それを受けて組織された設立調査委員会が掲げたコレクション方針は、「純正美術を主とし応用美術を従とする、古美術を主とし新美術も加える、東西両洋の間に軽重を設けない」という、実にオールマイティなものでした。

しかし、用地の取得に時間がかかり、ようやく住友家から茶臼山の邸宅と庭園の広大な敷地を譲り受けて着工したものの、関東大震災などの影響もあって、結局開館したのは起案から17年後の1936(昭和11)年。

さらにアジア太平洋戦争が始まってしまうと、陸軍が美術館内に常駐、敗戦後は米軍に接収され、展示空間の一部はバスケットボールのコートになってしまうという悲惨な状態に置かれてしまいます。

ようやく運営が正常化してくるのは昭和30年代以降です。

 

つまり、大阪市立美術館は、ミュージアムとして最も大事なコレクション形成期の大半をアクシデントに見舞われ続けてしまったということになります。

創設当初のオールマイティ路線が取り得ない中、関西実業界の大立者たちによる中国美術コレクションの寄贈がはじまります。

結果として、やや皮肉めいた言い方をすれば、「成り行き」で、大阪市立美術館は「中国美術の殿堂」となったわけです。

 

しかし、その「成り行き」がもたらした成果、コレクションの素晴らしさは超一級。

長期休館前の棚卸的名品展として、あらためて、大阪市美の凄みを実感する展覧会になっていると思います。

 

中国系のコレクション以外にも実に多種多様な作品が、この美術館の磁場に引き寄せられています。

 

例えば、コプト美術、その壁面に浮き出たアカンサスと奇妙な人面。

 

大阪箱物無駄行政の象徴として閉館してしまった「なにわの海の時空館」が所蔵していた沈没船引揚品の中には、なんとも優雅な曲線を持った、おそらく世界一、美しい「チリレンゲ」が見られます。

 

コプト

沈没船引揚チリレンゲ

 

今年開館した大阪中之島美術館と、今後どのように大阪市美が棲み分けていくのか、注目されるところです。

当然に現状の柱である中国美術がひきつづきこの美術館を特色づけるものになるとは思いますが、それ以上に、「近世の大坂画壇」にもっと注力しても良いように感じます。

先日、京都国立近代美術館が開催した「サロン! 京の大家と知られざる大坂画壇」展では、本当に「知られざる」大坂絵師がたくさん登場。

有名どころでも岡田米山人・半江親子の名作は特に印象に残っています。

岡田米山人・半江「煙霞帖」

この親子による「煙霞帖」という美しい小品が大阪市美にはあって、今回展示されていましたが、もっとさまざまな作品がどこかに埋もれているような気がします。

この美術館は1981年に近世大坂画壇を特集した企画展を開催し、高い評価を受けていたはずです。

しかし、「その後」、がありません。

中之島は本来「大阪市立近代美術館」になるはずだったわけですから、「近世」以前の大阪ゆかりの美術は、やはり、天王寺の美術館が主体になってコレクションを増強していく方針がふさわしいようにも感じます。

3年後、休館明けには創設90周年の記念イヤーが控えています。

ぜひ、正真正銘の大阪の美術館による「大坂画壇」大展覧会を期待したいと思います。