ボストン美術館展 芸術×力
■2022年7月23日〜10月2日
■東京都美術館
もともと2020年に開催される予定だったボストン美術館名品展。
コロナで中止の憂き目にあったものの、都美術館とおそらく読売新聞&日テレによる執念ともいえるプロデュースの力で今年リベンジ的にあらためて開かれることになりました。
ただ、幻となった2020年展の時点で巡回地として名を連ねていた福岡市美術館と神戸市立博物館は、コストや展示スケジュールの都合がつかなかったのか、今回は残念なことに脱落してしまいました。
この手のブロックバスター展はごったがえする都内で観るより地方巡回展の方がはるかに快適なので、できれば神戸で鑑賞したかったところですが、やむをえません。
残暑の上野に足を運ぶことになりました。
さらに失敗したのは涼しさを狙って午前中早めの時間帯を選んでしまったこと。
この系統の名品展は高齢者比率が高く、早起きシニアたちで混み合うことを知っていながら、しくじりました。
案の定、事前予約制の入場制限を一応かけてはいるものの、それなりの観客が詰めかけていて、一点一点じっくり鑑賞することは難しい状況。
特に目玉の里帰りマスターピース「平治物語絵巻 三条殿夜討巻」あたりの展示空間はマナー無視の中高年層を中心に押し合いへし合いのうんざりするような有り様。
この名作絵巻はまた来日する機会もあるとみられますから、軽く流して早々に立ち去ることになりました。
しかし、幸いなことに、展覧会も終盤、疲れた老害系鑑賞者たちがさっさと出ていってくれるので人口密度が程よく薄くなっている絶好の場所に、今回のボストン美術館展で個人的に最も惹かれた作品が連続して置かれていました。
まず狩野探幽(1602-1674)による三幅の小品掛軸「楊貴妃・牡丹に尾長鳥図」。
図録の解説文によると、落款のスタイルから明暦年間(1655年から58年)あたりに描かれたと推定されています。
50歳代前半の探幽による気品と精緻さを兼ね備えた傑作で、シンメトリーを少し意識した格調高い構図も相まって最高級の中国絵画のような雰囲気を醸し出しています。
観れば観るほど繊細なディテールに目がはりついてしまう。
やっつけ仕事的な量産型狩野派風の気配は全くありません。
すでに大絵師への階段を登り詰めようとしていた探幽にして、かなりの緊張感を持って仕上げられたことがわかります。
相当身分の高い発注者の存在が画題や丹念な仕上げから自ずと伝わってくるという意味で、本展のテーマである「芸術と力=権力者」にも実はよく合致した作品だと思いました。
ついで、日本初公開という京狩野二代、狩野山雪(1590-1651)の六曲一双「老子・西王母図屏風」。
探幽の三幅より少し前、17世紀前半の作とされています。
一瞬で山雪とわかるその異様に研ぎ澄まされた線描の凄み。
定規をあてたかのような真っ直ぐな線によって縁取られた建造物を見ると、その細部にはさらに稠密かつ正確に描かれた図像や紋様がぎっしりと嵌め込まれています。
特に西王母の侍者が持つ長棒の先につけられた羽根飾り。
この絵師らしいスタイリッシュな造形で空間を無駄なく品格高く引き締めています。
中国古典にみられる理想世界の一種を表現しようとしているにもかかわらず、全体から受ける印象はどこか緊張感を伴った空気。
もちろん修復はされているのでしょうが、地の白と線描の黒が鮮やかなコントラストを伴って美しく残っていて、その分、山雪の徹底した完璧主義ぶりが目に刺さるような印象を受けました。
最後に増山雪斎(正賢・1754-1819)の「牡丹に孔雀図」二幅。
約147X59センチの大作です。
本展のメインビジュアルの一つとして使われている作品。
実は、増山(ましやま)雪斎の作品を鑑賞するのは今年二度目です。
3月から5月にかけて京都国立近代美術館が開催した「サロン! 京の大家と知られざる大坂画壇」展に彼の「黄初平図」(関西大学蔵)が展示されていました。
伊勢長島藩第五代当主で、主に江戸で絵を嗜んでいた雪斎がなぜ大坂画壇をテーマとしたこの展覧会で取り上げられていたかというと、大坂文人サロンの中心人物、木村蒹葭堂と深いつながりがあったからです。
蒹葭堂の本業は造り酒屋ですが、一時、幕府に制限されている量以上の酒を醸造したとの密告を受け、窮地に陥ります。
彼を助けて長島藩領内の村に住まわせ庇護下においた人物が増山雪斎でした。
本展図録の解説ではまるで雪斎が蒹葭堂のパトロンのように読めるような書き方がされていますが、そうではなくて、実際に身柄を「保護」した大名という言い方が正確でしょう。
雪斎は同じく「サロン!」展で紹介されていた十時梅厓を儒者として藩に招くなど、大坂文人サロンと強い結びつきを持っていた人です。
しかしその画風は文人画によくみられる洒脱さとは違い、沈南蘋系の巧緻な写実に重きを置いていたようです。
晩年は特に孔雀を好んで描いたという雪斎によるこの二幅は、これも図録解説によると享和元(1801)年の作。
どこかマニエリスムを思わせるような過剰さと鮮烈な色彩感覚が特に孔雀の羽に表されています。
大坂の大人たちとの付き合いから「文人大名」という言い方がされる人物で、実際そういう面も色濃くあったのでしょうけれど、この孔雀図からは、いわゆる文人画とは全く異質のセンスが感じられます。
ボストン美術館によってなされた修復が成功していることもあって、往時の輝きが見事に蘇っているように感じました。
増山雪斎再評価の機運が高まりそうな大傑作の里帰り展示です。
さて、以上の江戸絵画三名品はいずれもかつてフェノロサが所持していたものです。
特に増山雪斎の孔雀図はおそらく彼の最高傑作でしょう。
随分凄い作品を日本から持ち去ってくれたものとあらためていまいましくも思いますが、その鑑識眼の高さにはやはり驚かざるをえません。