ジャム・セッション 石橋財団コレクション×柴田敏雄×鈴木理策
写真と絵画−セザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策
■2022年4月29日〜7月10日
■アーティゾン美術館
アーティゾン美術館所蔵品をモチーフ、あるいは触媒にしながら、現代作家が共演するジャム・セッション・シリーズ。
第3回目となる企画です。
今回は柴田俊雄(1949-)と鈴木理策(1963-)、二人の写真家が招かれています。
3回目にしてようやくこの美術館がもくろんできた「ジャム・セッション」が本来の形で実現したように感じます。
第1回に登場した鴻池朋子は、この作家自身が石橋財団コレクションからコラボレーションしたい作品をどうしても選ぶことができず、やむなく美術館側が共演作を提案。
第2回の森村泰昌は、この人自体が自己完結的に徹底してジャムっているわけですから、作品と作品が共鳴するような世界とはやや異質な感じの企画に。
今回は二人の写真家がしっかり作品を選びながら、新作も交えてアーティゾンのコレクションと見事に響きあっています。
とても示唆と美しさに富んだ企画展です。
二人とも若い頃からセザンヌに惹かれていたのだそうです。
セッションに選ばれた中の一枚。
この美術館を代表する名品「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」。
セザンヌを真ん中に、向かって左側に柴田俊雄の「高知県土佐郡大川村」(2007年 東京都写真美術館蔵)、右に鈴木理策による「サンサシオン 09, C-58」(2009年 作家蔵)が展示されています。
柴田による橋の無機質でストレートな形状。
鈴木が写した石灰岩に覆われた山岳のリアルで豊かな表情。
面白いのは「形」を先鋭に表しているはずの2枚の写真よりも、セザンヌの絵画から、より「立体感」が伝わってくるところです。
感覚が上下左右に静かに揺れるような、まさに三作品による「ジャム・セッション」が演じられています。
柴田俊雄は作品のタイトルに、その対象となった橋やダムそのものの名称を一切用いません。
「山形県東根市」というように、被写体が存する基礎自治体の名前を記すだけです。
それは、おそらく、名前のつけようがない、山にへばりつく法面保護構造体のような場合が含まれるからかもしれませんが、彼自身が、対象となった景物それ自体と固着することをあえて避けているからのようにも思えます。
あくまでも被写体の「実体」そのものを捉えようとした場合、対象物自体の「名前」は必要ないのかもしれません。
徹底して対象との距離がとられながらも、柴田によって写し取られた日本各地の土木建造物からは存在そのものの冷厳とした凄みが伝わってくるようです。
他方、鈴木理策の写真からは、ほのかに写真家自身の主観が景物に投影されているような感覚を得ます。
第1回ジャム・セッションで、鴻池朋子によって拒否されてしまったアーティゾン美術館コレクションの中から、学芸員がおそらく苦渋の末、鴻池との共演作として選び出したクールベの「雪の中を駆ける鹿」が、今回はどこか写真家の温かみを帯びた視線を感じる鈴木の冬景色に囲まれ、生き生きと画像を輝かせています。
その他、モネ、モンドリアン、藤島武二、岸田劉生、岡田三郎助、それに円空仏まで。
多種多彩な共演がたっぷり仕組まれています。
柴田は人物の写真を持ち込んでいませんが、鈴木はポートレート作品を組み込んでいます。
「Mirror Portrait」と名付けられた肖像写真群は、ハーフミラー(マジックミラー)越しに被写体が捉えられているので、写真家と人物は視線を直接交わしていません。
一般的な肖像写真とは明らかに雰囲気が違います。
微妙に漂う被写体たちのナルシシズム。
これと同じ構図を、ジャコメッティの彫像を使って再現しているコーナーがありました。
一捻りした鋭いセンスを感じる展示です。
企画展エリアの6階とは別に、4階の、普段は東洋美術にあてられている照明がかなり落とされたコーナーで、雪舟の「四季山水図」を二人の写真家が囲んでいました。
柴田による「漆黒」と鈴木の「白」が、雪舟にしては異例に色彩的な山水と共鳴。
ここでも見事なコラボレーションがみられました。
それと、この展覧会、図録がとてもよく出来ています。
会場では凝った展示のために一部の作品がよく見えなかった柴田俊雄の大連作もしっかり確認できました。
初版はどうやら完売。
増刷版の予約を受け付けているそうです。