「シャンタル・アケルマン映画祭」で上映された「アンナの出会い」(Les Rendez-vous d'Anna 1978)を観てみました。
映画監督の女性、アンナ(オーロール・クレマン)が、西ドイツからベルギー経由でフランス、パリに戻るまでの3日間が描かれた、一種のロード・ムービーです。
非常に「構造」を感じさせる映画だと思いました。
その理由の第一は、独特の撮影方法。
冒頭、アンナがエッセンの駅につくところから、「シンメトリカル」な構図が執拗に意識されています。
この手法には、映像に幾何学的な美観を生み出す効果に加え、作品のおそらくメインテーマである「孤独」の表現を際立たせる意味合いがこめられています。
左右対称、ということは、つまり、右と左、「二つの存在」が自然と想起されることになります。
アンナがエッセンで泊まるホテルの部屋はツインルーム。
二つあるベッドの片方にだけ寝そべる彼女の姿が、すでにこの女性の「孤独」そのものを構造的に明示しています。
二つあるべきところに一つしかない。
そういう物理的な関係性が、否応なく、彼女の「単独性」を浮き彫りにしていきます。
垂直方向にカメラが動くことはほとんどありません。
徹底して「水平方向」に視点が移動していきます。
これは、執拗に「エレベーター」での垂直方向の動きを追った前作「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番」(1975)とは対照的な描き方です。
水平視線のカメラは、必然的に「流れ」を視る者に強く印象づける効果を生み出します。
そして、どこまでも一方通行的に流れていく動線は、他者による「たて」の時間軸と有機的に深く交わって一箇所に長く留まることがありません。
映像的に、終始、アンナという単一の存在自体が冷徹にみつめられていきます。
第二に、ストーリー自体が、とても、「構造」的なのです。
時系列に沿って、アンナがランデヴーしていく人物を列記すると次の通りとなります。
1.映画祭が行われているエッセン: 妻に逃げられた小学校教師の男性(ヘルムート・グリーム)。
2.乗り換え中継点のケルン駅構内: 元婚約者の母親(マガリ・ノエル)。
3.ブリュッセル行きの夜行列車内: パリに移住すると語る男(ハンス・ツィシュラー)。
4.実家があるブリュッセルの南駅とホテル: 母親(レア・マッサリ)。
5.帰り着いたパリ: 情事におよぶ男性(ジャン=ピエール・カッセル)。
5楽章から成る交響曲、あるいは組曲とみることができるかもしれません。
真ん中にあたる第3パート。
列車内で出会う男性とアンナは、言葉を交わすだけで、一定の親密さは両者の間に一瞬漂うものの、そこに恋愛感情のやり取りはありません。
第1パートでは、好意を寄せるドイツ人教師をアンナは明確に拒否します。
逆に、最終第5パートでは、献身的に尽くしたのに、フランス人男性からアンナは拒絶されてしまう。
第2,4パートは同性同士の会話劇。
元婚約者の母親とは「子供」を持つか持たないかがテーマ。
一方、実の母と安宿のベッドで同衾しながら語られるのは、アンナの性向に関する告白です。
つまり、経過的でニュートラルな中間の第3パートを挟んで、ストーリー的にもシンメトリカルな構造が明確に仕組まれているのです。
そしてもう一つ、映像には登場しない、「彼女」の存在。
アンナはエッセンに到着するなり、「イタリア」と国際電話をつなごうとします。
相手は、アンナの同性の恋人。
しかし、このイタリア人の彼女とアンナは、結局、コミュニケーションをとることができません。
この「イタリアとの不通」が映画全体の通奏低音となっています。
最後の場面。
帰り着いた自宅で留守番電話のメッセージを一人聞くアンナ。
右と左。
電話機とアンナが等価な図像として写されます。
幾重にも容赦ない「構造」によって示される一人の女性の圧倒的な「孤独」。
全くウェットな感情表現やセリフが使われていないにも関わらず、その表現は鋭く無駄がありません。
アケルマンは1950年生まれですから、この映画を撮ったとき、まだ20代後半です。
ヴィスコンティ映画の将校役でお馴染みのヘルムート・グリームに、情けなくアンナから振られる役をあてがい、フェリーニ作品等で存在感を放っていたマガリ・ノエルに延々と極端な長台詞を喋らせています。
オーロール・クレマンを全裸にしてジャン=ピエール・カッセルの上に重ねた挙句、惨めな拒絶に合わせる残酷さ。
名優たちを相手に、かなり肝が据わっていないと、なかなかできない演出だと思います。
この映画では、最終パートであるパリの夜景を除き、街の映像がほとんど映されません。
しかし、ブリュッセルだけは、列車の動きに合わせて「北駅」「中央駅」「南駅」と丹念に駅名がトレースされます。
そんなブリュッセルの母親を間に挟み、善良そうなドイツ男を拒否し、身勝手そうなフランス男に拒否される。
本当はイタリアに憧れているのに、そことは結ばれない。
Chantal Anne Akermanは、「ベルギーの人」、でした。