禅寺に伝わるものがたり Ⅱ期 女性と仏教
女性で初めて無学祖元の教えを継いだといわれる鎌倉時代の尼僧、無外如大(1223-1298)の生誕800年を記念して企画された展覧会です。
あわせて徳巌理豊尼、逸巌理秀尼といった近世の出家皇女に関係した珍しい寺宝の数々などが披露されています。
しかし、「女性」に因んだという理由ではあるのでしょうけれど、およそ無外如大や尼門跡とは関係のない、珍妙で衝撃的な作品も唐突に展示されています。
なんと初公開の一幅です。
1メートルを超える水墨画です。
極端に面長な顔、異様なバランスで描かれた巨人のような足先。
不老長寿をもたらすという桃の籠をもっていなければ、これがありがたい中国最高の仙女、西王母と特定することは難しいかもしれません。
慈照寺、つまり相国寺の境外塔頭、通称銀閣寺が所蔵している作品です。
どういう経緯でこの寺に伝わったのか、展示会場の解説板には特に記載がなく、図録ではこの画自体の説明が省かれていますから、全く来歴がわかりません。
相国寺には旧萬野美術館から寄贈された日本・東洋美術品もありますが、承天閣でも相国寺でもなく、わざわざ「慈照寺蔵」としているところからみると、萬野裕昭がコレクションしたものでもないのでしょう。
今や若冲に次ぐ人気奇想系絵師である蕭白の大作がいきなりの「初公開」。
状態は非常に良く保たれています。
今頃、突然、発見されたとするには不自然です。
蕭白の生前、すでに彼を騙る偽者すらいたという絵師の作品ですから、あくまでも推測ですが、本作もその真贋判定に時間を要していたのかもしれません。
「伝 曽我蕭白」とはしていない以上、それなりの確信が得られたと判断されての初公開と思われます。
これは本当に蕭白の真筆なのでしょうか。
承天閣美術館が公開に迷っていた理由が、なんとなくわかるような気もします。
というのも、この「西王母図」、いわゆる「蕭白らしさ」が非常に複雑な要素として表面化している作品とみられるからです。
どうみても、まともな西王母にはみえません。
異様です。
特に前述した「足」の表現は、仙女というより化け物のようにデフォルメされていて、アンバランスなほど地面に対しその存在を主張し過ぎています。
この仙女から「桃」をもらっても、あまり美味しくなさそうに思えるほど、画像から「ありがたみ」がほとんど感じられません。
吉祥のシンボルにもかかわらず、なにやら、妖怪じみた風情すら漂ってくるようです。
つまり、この西王母も、一見、蕭白独特の視点と筆で描かれた、紛れもない、この絵師らしい奇想水墨とみえます。
しかしそれは、一般的な水墨画による仙女表現の中においてみて比較すると異様だということであって、「蕭白画の中」で比較すると、実は、それほど「異様でもない」画、ということになってしまうのです。
2005年に京都国立博物館が開催した、いまのところ、おそらく空前絶後の「曾我蕭白」展。
図録が手元にあります。
その中で、蕭白が描いた「西王母」は三つの作品内に確認できます。
「慈照寺西王母」の比較対象として、第一に挙げなければならないのは、いうまでもなく、文化庁が所有する大奇想屏風、「群仙図屏風」に描かれた西王母です。
画面の左端から、まるで弧を自らの身体で描くように飛び出す女神。
巨大な鼻、毒々しいまでの赤い唇、そしてどこを見ているのかわからない摩訶不思議なその「視線」。
インパクト絶大な図像です。
この極彩色で表現された強烈な西王母をみてしまうと、慈照寺のそれは、いかにもそっけないというか、「普通」に見えてきてしまいます。
こちらは東京藝術大学美術館が蔵する「群仙図屏風」に描かれた仙女たちの様子です。
文化庁の群仙図に比べると彩色がない分、グロテスクさは落ち着いているようにみえます。
しかし、やはりその鼻筋の珍妙さと怪しげな目付き、「視線」は健在であって、吉祥を象徴する女神という趣は希薄です。
最後に、三枚目の西王母です。
この画像になると、全く文化庁本や藝大本とは違った西王母が描かれていて驚きます。
目鼻は整えられ、それなりに仙女らしいイメージが表されています。
いわゆる「蕭白らしさ」がほとんど感じられない図像です。
図録の解説では「注文主の意向」が尊重されたのではないか、と推測されています。
以上、3枚の西王母を見てきたわけですが、では、慈照寺の初公開図像はどういう特徴をもっているのでしょうか。
顔の表現をみると、面長なところは文化庁本や藝大本と共通しています。
大きく描かれた鼻も似ていますが、目については、慈照寺本ではかなり簡略化されていて、独特の「視線」自体は明確には描かれていません。
といって、個人蔵の常識的図像ほど、整備された面相ともいえません。
慈照寺本の異様さは、その巨大な「足」の表現に加えて、西王母が纏っている衣装にもみてとれます。
豪華な装束によって女神らしい荘厳が一応備わっている文化庁&藝大の西王母に対し、慈照寺のそれは、何やらみすぼらしい、怪しげな毛皮を肩からかけているようにも見えます。
これはおそらく虎の皮なのでしょう。
もともと西王母は下半身が虎だったと伝えられていますから、その由来を意識した図像なのかもしれません。
つまり、慈照寺の初公開西王母は、文化庁&藝大本ほどに強烈な怪異的表現にはなっていないのですが、常識的に蕭白が描いた個人蔵版の西王母表現とも全く違っていて、これはこれで、やはり、異様、なのです。
仮に、近世、蕭白が生きた時代に、慈照寺からこの絵師に直接、西王母画が発注されたとすると、個人蔵版のように、「注文主」の意向が強く働いた可能性があります。
蕭白西王母しかもちえない、あの珍奇に怪しい「視線」表現の扱いをどうするか。
絵師と発注者の間でひょっとすると、事前にやり取りがあったかもしれません。
つまり、今回初公開された西王母図に関しては、京都五山相国寺につならなる慈照寺側の「いくらなんでもあの視線だけはやめてほしい」というニーズに応え、蕭白が省筆の芸によって抑制したという事情が推測できないでしょうか。
しかし、それでも、蕭白はやはり、「足」と「装束」において、その奇想性を隠さず表現してしまってはいます。
蕭白にしては珍しく、仙人群の中で描くことなく、単立している西王母の奇妙に不安定な姿。
そして、この絵師にしてはややラフに運ばれた筆跡が独特のヘタウマ的味わいにもつながっています。
慈照寺の「西王母図」は、「蕭白らしさ」と「蕭白にしては」の両面が強烈に拮抗しているのです。
そこが、この作品の微妙な面白さであり、逆に真贋の点で極めがたいところにつながっていたのではないか、そんなふうに妄想してしまいました。
今後も企画されるのであろう「曾我蕭白展」でこの慈照寺「西王母図」がどう扱われるのか、楽しみが増えた展示でした。