「バビ・ヤール」 |セルゲイ・ロズニツァ監督



セルゲイ・ロズニツァ( Sergei Loznitsa 1964-)が監督した「バビ・ヤール」(Babi Yar.Context, 2021)が、シアター・イメージフォーラム他、各地のミニシアターで上映されています。

 

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古いアーカイヴ映像に強烈なサウンドトラックを施して全く新たな「映画」として提示する手法。

「粛清裁判」や「国葬」といった以前のロズニツァ作品と共通したスタイルがとられています。

他方、テーマはホロコーストですから、この点では「アウステルリッツ」と同系の内容。

その意味で、「バビ・ヤール」は、先年公開されて反響を呼んだこの監督による「群衆三部作」の要素が一本に集約されているともみれると思います。

 

映像に写されているのは、およそ80年前、第二次大戦中のソ連邦ウクライナ

2021年の製作。

つまりロシアによるウクライナ侵攻直前に完成していますから、直接、現代の戦争がこの作品に影響しているわけではありません。

しかし、悲惨な事態が起こってしまった後に観ている以上、どうしても現在とオーバーラップしてしまうところがあります。

 

映像は、「リヴォフ」へのドイツ軍による攻撃から始まります。

リヴォフ(ドイツ名ではレンベルク)とは、リヴィウのこと。

現在行われている戦争では比較的安全な地域といわれ、ウクライナからポーランドなど、周辺国へ逃れる人の避難拠点になっている街。

皮肉なことにロシアの侵攻に関するニュースによって、よく知ることになってしまった地名です。

 

「バビ・ヤール」がある首都キーウも「キエフ」として当然登場します。

丁寧に当時のフィルムがリマスタリングされ情報量が格段に蘇生されているとはいえ、大半がモノクロのアーカイヴ映像です。

にもかかわらず、終始奇妙な臨場感がつきまとうのは、ロズニツァの技にもちろんよるわけですが、それに加えて、「現在起きてしまっていること」が否応もなくのしかかってくるからかもしれません。

次第に息が苦しくなってくるような映画、でした。

 

バビ・ヤールとは「窪んだ土地」という意味だそうです。

 

ショスタコーヴィチ交響曲第13番につけられたタイトルとしても知っている人が多いと思います。

「バビ・ヤールの谷」とか「バビ・ヤール渓谷」などと訳されている名称をよくみていたため、森林や水が豊かな景勝地か何かかと勝手に想像していましたが、映像を見る限り、惨劇が起きた当時から緑はほとんどなく、どこか殺伐とした採石場のような場所。

キーウ市内北西に位置し、当時はユダヤ人墓地があったそうです。

これから13番を聴くときには、どうしても、この映像にとられた灰色のバビ・ヤールが眼前に浮かんできてしまうはず。

ショスタコーヴィチを聴く人にとって、一種のトラウマ映画になりえる作品と言えるかもしれません。

 


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俳優の出演はもとより、ナレーションすらありません。

場面の簡単な説明文言がときどき挿入される程度。

しかし、画面に重ねられた音響は逆に過剰ともいえるくらい、凄まじいものがあります。

思わず腰を浮かしてしまうような砲弾の炸裂音。

火炎放射器で焼き尽くされる民家の屋根からまきおこる暴風の響き。

大音量で奏でられるミリタリー・マーチの中で、ドイツ軍を歓迎し、彼らが敗走した後は赤軍歓喜で迎えるウクライナの群衆。

「粛清裁判」や「国葬」で示されたロズニツァ語法に慣れているとはいえ、その生々しさはやはり尋常ではありませんでした。

 


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スターリンヒトラーによって、東から西から、いわば往復ビンタをされていたような当時のウクライナ

翻弄される民衆や捕虜兵士たちの悲惨さが示されますが、時々、いかにもとってつけたような表情の人物や、撮影者によって「見栄え」を考慮されて写されたとみられる市民の姿も確認できます。

ドイツ、ソ連ウクライナ、当時の権力側の「視線」がしっかり記録されている映像。

真実と欺瞞。

その境目をロズニツァは徹底的に炙り出していきます。

終戦後に行われた軍事裁判シーンに登場するウクライナ側の証言者たちには、どこかわざとらしさが伴っているように感じられる一方、処罰される側のドイツ軍人の証言の方は淡々としている分、逆に真に迫っています。

容赦無く記録され、そして映像として流されるドイツ人将校たちの公開絞首刑シーン。

周囲では興奮の坩堝と化したウクライナの大群衆が写されています。

しかし、その騒ぎが大きければ、大きいほど、バビ・ヤールで虐殺されたユダヤ人たちの「無言」が生み出す途轍もない闇が映像の底の方から噴出してきます。

アウステルリッツ」でロズニツァが「無言」で長く捉え続けた、ユダヤ人収容者たちを焼いた「窯」跡。

そこに空いていた真っ黒い穴。

「バビ・ヤール」ではその穴の暗闇が、目に見えない漆黒の空気に変化して立ち上り、身体を包んでくるような重苦しさが感じられました。

 

ソ連当時のウクライナは、おそらくその「無言」が放つ暗黒に耐えられなかったのでしょう。

バビ・ヤール全体に汚泥などを投入してダムと煉瓦工場を作ります。

映画はその工場を写した映像で締め括られますが、当然に殺戮された人たちの「無言」が生み出す暗黒の怨嗟が消えることはありません。

 

1961年3月、バビ・ヤールを覆っていた泥水が大雨によるダムの決壊によって溢れるという大災害、「クレニフカ土砂崩れ」が起き、多数の死者が発生。

ATOMS&VOIDによるこの映画のミニ続編アーカイヴ映像によって、その様子を確認することができます。

埋め尽くされた「無言」が20年ぶりに吐き出されたような禍々しさが伝わってきます。

 


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災害後の1962年、バビ・ヤールは今度こそ完全に埋め立てられますが、ソビエト政府はその後も「無言」の闇を隠し続けました。

現在整備された公園内にある、第二次大戦中の蛮行を記憶する碑が建てられたのは、ようやくソ連が崩壊してからのことです。