アウステルリッツ|セルゲイ・ロズニツァ

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アウステルリッツ (2016)  監督: セルゲイ・ロズニツァ

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強制収容所であるザクセンハウゼン追悼博物館を訪れる無数の観光客たち。

彼ら彼女たちをただひたすら映像におさめた、それだけの作品です。

約1時間半。

全編モノクロです。

 

現在各地のミニシアターで公開されているロズニツァの《群集三部作》。

最後にこの映画を観ました。

 

三作いずれもドキュメンタリー映画とカテゴライズされています。

しかし、「国葬」と「粛清裁判」は、元となる映像をロズニツァがいわば再編集した作品。

単純なドキュメンタリーというより、メタ・ドキュメンタリー映画といえると思います。

 

他方、この「アウステルリッツ」は、ロズニツァ自らが撮ったもの。

そういう意味では純然たるドキュメンタリーです。

でも、一般的なドキュメンタリー映画とは一味も二味も違います。

 

先ほど、映されている人々を「観光客」としましたが、このような場所を対象としたとき、普通、そういう言い方は相応しくないと感じます。

本来なら「見学者」とすべきでしょう。

ところが、この映画に見られる人々=《群集》は、まぎれもなく「観光客」です。

 

夏の日差しが照らす中、群集はほとんど軽装。

Tシャツにハーフパンツといった格好の人が目立ちます。

音声ガイドの大きな端末をときおり耳にあて、スマホやカメラも大活躍。

人々の表情はとても虐殺の現場を訪れているという神妙さからはほど遠く、名所旧跡観光を楽しんでいるように見えます。

体格の良い欧米人が中心。

飢餓に苦しんだという収容者たちとは対照的です。

 


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この映画が独特なのは一つのシーンを固定カメラでただ延々と撮り続けているところ。

まったくアングルは動きません。

特徴的な表情や仕草をしている人に照準を合わせてカメラを動かすことがないのです。

結果として、撮影者の意思がほとんど入ってこない、あるがままの、そこに居合わせた人々の姿が100%、混じり気なしに伝わってくるように見えます。

しかし、ある入念な操作が仕込まれていることに次第に気づかされます。

まずは「構図」と「視線」です。

ザクセンハウゼン元収容所の門扉には"ALBEIT MACHT FREI"(働けば自由になる)という文字が配されています。

この忌まわしい門扉を中心に据え、ほとんどシンメトリーといえる構図がまず最初にとられます。

他にも窓枠をとらえた映像等、はっきりと左右対称性を意識したアングルを設定したシーンが多い。

この構図によって、ともすると陰惨な空気をまといがちな建物や設備が無機的に、透明な存在へと変質。

より一層、群集たちの表情が白日のもとに晒される効果を生んでいるように感じました。

白いタイルで覆われた腰の高さくらいの長方形の台が撮されています。

人体実験が行われたというその物体の前で記念撮影をしようとポーズをとる人。

無機質な手術台と能天気な観光客。

これ以上シュールで残酷な取り合わせはないシーンです。

ロズニツァは群集たちを映しはしますが、彼ら彼女たちがのぞきこんでいる収容所施設の暗い内部までは映しません。

結果として、映画を観ている観客も、群集と同じ「視線」を共有することになる。

具体的に何が見えているのかは、わかりません。

でも、そこで行われたことは、わかっている。

何も見えない映像なのに、その悲惨な対象物は映画鑑賞者に、これ以上ないほど、実は見せつけられているといっても良い効果が生み出されています。

 

そしてもう一つ、ロズニツァが仕掛けた効果。

それは三部作に共通する、周到な音響面での演出です。

 

収容所内を歩く群集の足音や様々にたてられるノイズは聞こえます。

しかし、ほとんど彼ら彼女らの「話し声」は聞こえない。

聞こえても何を話しているのかわからない程度の音量。

一方、見学ガイドたちの声は比較的明瞭に聞こえてきます。

その声のおかげで、この収容所で何が行われたか、映画を見ている観客にも伝わることにはなります。

スマホやカメラの撮影音はしっかり捉えられているのに、人々の声は消されている。

個としての存在が消え、あくまでも、「群れ」として出現する人々。

ほんの一部、長く沈んだ表情を見せる一人の女性が映し出されるシーンがあります。

しかし、それは全体の中ではごくごく限定的な場面。

 


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ロズニツァは、ここに映された人々を批判しようとしているわけではないでしょう。

何より、数多あるドイツ観光名所の中から、ここを選んで来ている時点で、群集たちには陰惨な歴史の記録をみておきたいという意思が少なくともあるわけです。

つきあいで来ている人やツアーに組み込まれていたので仕方なく来ている人も当然に含まれてはいるでしょうけれども。

しかし、どきりとします。

終盤近く、収容者の死体を焼いたという焼却炉の真っ黒い二つの穴。

覗きこんでいた群集が立ち去った後、取り残されたようなこの穴が、何かを語りかけてくるような凄みに圧倒されました。

「観光」では到底回収されえない、絶対的な暗部のもつ力。

なお、タイトルの「アウステルリッツ」はゼーバルト原作の小説からとられていまが、実質、小説の具体的内容とは関係していないと思います。

あくまでもロズニツァがこの本から「着想をえた」という範囲でつけられたようです。