ボリス・ミハイロフ Yesterday’s Sandwich
■2023年4月15日〜5月14日 (京都国際写真祭)
■藤井大丸ブラックストレージ
綾小路を御幸町からすこし西に入ったところに、藤井大丸の店舗外施設、ブラックストレージがあります。
以前はショップが入っていましたが、現在は倉庫として利用されているそうです。
その名の通り、建物正面はほとんど黒一色の外観。
駐車場の奥みたいなところにありますから、普通に歩いていたら見過ごしてしまいそうなスポットです。
このユニークな建物の中で、ウクライナ出身のアーティスト、ボリス・ミハイロフ(Boris Mikhailov 1938-)によるスライドショー 「Yesterday’s Sandwich」がKYOTOGRAPHIEのプログラムとして上映されています。
真っ暗な室内。
巨大なスクリーンの前にソファや椅子などが数個置かれていました。
一度にゆったり座って鑑賞できる人数は10名前後でしょうか。
もちろん、立ち見を含めればもっと多数の入場が可能とみられますが、この作品は、できれば、じっくり腰を据えて、あるいはソファにふんぞりかえって「没入感」を味わいたいところです。
両端に置かれたトールボーイタイプのスピーカーからは、スライドに合わせて、ピンク・フロイドの古典的アルバム「狂気」(THE DARK SIDE OF MOON)の音楽が聞こえてきます。
選曲はミハイロフ自身によります。
数秒間隔のリズムでスライド写真が切り替わっていきます。
いずれも一種の「合成写真」です。
全く図像の異なる複数の画像が重ねられることで、個々のイメージ同士が、混淆、あるいは、反発しながら、新たに違った意味性を帯びたイメージを作り出してしまう、異次元的モンタージュ。
幻想的で、ときに刺激的なイリュージョンが次々と出現します。
中にはマルセル・デュシャンの有名な「遺作」を、ひょっとすると、オマージュしているのではないか、そう思わせるような画像もありました(結構、ヤバいあの図像です)。
ミハイロフが1960年代末から70年代にかけて制作した写真群。
主な撮影場所は、半世紀近く前の、ウクライナとみられます。
しかし、今見ても、いや、むしろ今だからこそ、実に新鮮で苦々しい感覚を得ます。
制作されたとき、当然、2022年に起きたロシアによるウクライナ侵攻が予想されていたわけではありません。
でも、画像の何枚かには、明らかに「威圧者」の存在が確認でき、それが現在の「侵略者」と見事にイメージとして一致してしまうのです。
画像の中で威圧している側は当時のソ連ということになるのですが、ウクライナという国にとってみると、それは現在のロシアと文字通り時空を超えて繋がっていて、相変わらず厄介な存在であることに変わりはないようです。
この不思議な画像群は、ある偶然のアクシデントをヒントに制作されています。
奥さんの裸を撮影したことをKGBによって知られてしまい、ポルノを撮ったと咎められたミハイロフは、勤めていた工場を解雇され、素人写真家として生計を立てざるをえない状況となっていました。
フィルムの扱い方に慣れていなかったというこの写真家は、スライドのネガを重ねたまま放置。
結果、複数の写真が貼り付き「融合」してしまったのだそうです。
明らかなミスなのですが、そこに、偶然、現れたシュールな図像にミハイロフは魅せられてしまい、同様のスタイルで作品が制作されていくことになったのだそうです。
当時の抑圧的なイメージが投影される画像もありますが、政治的なメッセージばかりが全面に出ているわけではありません。
むしろ、イメージが、イメージと、イメージを生み出していく、幻想的な遊戯世界といった方が作品全体の表現としてはしっくりくるかもしれません。
湖や山を渡り歩く巨大なカマキリ。
肉、あるいは内臓の塊のような物体と対峙する人物。
天空を雲のように漂う裸体の女性像。
合成されたイメージ群は、超現実的な世界をスライドの中に鮮明につくりだし、何かのメタファーを伝えようとしますが、それを観客が考える間まもなく、画面が次々と切り替わっていきます。
結果として、意味が再創造されたかのような錯覚をじわじわと植え付けられつつ、全体としては心地よい悪夢を見終わったような感覚を楽しむことができました。
この企画は、前年のアーヴィング・ペン特集と同様、パリのMEP(ヨーロッパ写真美術館 Maison Européenne de la Photographie )と京都グラフィー側のコラボレーションによって実現されたものです。
MEPは、2022年、ミハイロフのレトロスペクティブを開催しています。
当然にウクライナの状況を考慮しての企画だったのでしょう。
ボリス・ミハイロフは、現在ベルリンと故郷ウクライナのハルキウを往来する生活を送っているそうです。
今回の悲惨な状況を伝えるニュース等によって、ウクライナの地名を皮肉にもたくさん覚えることになってしまいました。
中でも、ハルキウ、かつてロシア語で「ハリコフ」と呼ばれたこの街は、特に印象深い場所です。
行ったことはないのですが、ある記憶に残る映画に登場してくる地名なのです。
アンドレイ・タルコフスキーの「鏡」です。
監督の自伝的要素が強いといわれるこの映画の冒頭、吃音症と見られる青年が催眠療法を受けている、奇妙なシーンが置かれています。
後続のストーリーとは、一見、何のつながりもない、ここだけモノクロの不思議な映像です。
この青年が、出身地を催眠療法士の女性から問われて答える場所、それが「ハリコフ」なのです。
タルコフスキーの父、詩人のアルセニー・タルコフスキーは、ウクライナの人です。
何かを象徴しているのかもしれません。
ウクライナ東部の文化的中心地でもあったというハルキウに生まれたミハイロフにも、この地が醸成する影響が少なからずある、のかもしれません。
余談でした。