京都御苑の東隣、寺町通に門を構える清浄華院には、二つの「泣不動縁起絵巻」が伝わっています。
この秋、京都古文化保存協会主催の特別公開(2022年11月18日〜27日)により、普段は京都国立博物館に寄託保管されているこの絵巻二本が同時に寺内で展示されました。
「泣不動縁起」については、現在、5件、そのテーマと図像をほぼ同じくする絵巻、あるいは断簡の存在が知られています。
東京国立博物館本(重要文化財)、逸翁美術館の断簡、奈良国立博物館本、そして清浄華院に伝わる「清浄華院本」(これも重文)と「狩野永納本」がこれにあたります。
最も古い例として残っている作品が東博所蔵の「不動利益縁起絵巻」。
南北朝時代、14世紀に描かれたとされています。
(たまたまですけれど、現在京博で開催されている「茶の湯」展にこの絵巻が出展されていて、一部が開示されています)
次いで、逸翁美術館にある「証空絵詞残欠」。
これは絵巻の一場面が切り取られたものですが、東博本に近い、南北朝の頃に描かれた作品とされています。
以上、二件の作品は、「詞書」つまりテキストによって絵がつながれていく、伝統的な絵巻のスタイルで制作されています。
ところが、室町時代に入ってから制作されたとみられる、「清浄華院本」と「奈良国立博物館本」からは、詞書が省かれ、絵画のみによって物語が描かれています。
通説では、この頃になると「泣不動」の物語自体がお馴染みの説話として流布していたために、もはや説明書にあたる詞書が不要になったのではないか、とされているようです。
重病となった三井寺の僧智興を救うため、身代わりとなって命を差し出そうとする弟子証空の行いに感動した不動明王。
不動明王は、証空の命を救う代わりに自らが冥府に連行されることになるのですが、裁きを行う立場の閻魔大王から逆に礼拝され、結果として智興も証空も命が救われるというのが絵巻のストーリーです。
証空と不動明王、二重の自己犠牲が描かれた強力に感動的な説話ですが、さらに死への覚悟を決めた証空が老母との別れを惜しむといった人間味あふれる場面なども挿入されているので、中世の昔から人気があったのでしょう。
ただ、現代では、この物語に登場するもう一人のキーパーソンが大きく注目されていて、彼の活躍を描いた部分が、むしろ絵巻の最も有名なシーンになってしまっている感があります。
陰陽師、安倍晴明の存在です。
智興の病いを直すためには、身代わりとなって生命を捧げる存在が必要と占断した晴明は、名乗り出た証空の意志を汲んで、得意の秘術「泰山府君祭」とみられる儀式を実行します。
その秘儀をまさに行なっている場面には、彼が操る式神たちや、晴明の術に従い、おとなしく儀式に参加しているような妖怪たちのユーモラスな姿が描かれています。
一条堀川の晴明神社に伝わるこの陰陽師の肖像画(京博寄託・この絵も今秋晴明神社で特別公開されました)とともに、非常に有名な図像として認知されていて、陰陽道関連の書物によく登場することでもお馴染みの一場面です。
清浄華院自体は、絵巻本来のテーマであり寺にとっても大きな存在である「泣不動」よりも、「安倍晴明」の方に注目が集まってしまう昨今の状況にやや困惑しているかもしれません。
しかし、今回の展示でも、部分開示となった重文絵巻の方では、晴明が儀式を行なっている例の場面が描かれた部分を展示していましたから、世間の関心はちゃんと意識しているようです。
それはともかく、この絵巻の人気は江戸時代に入っても継続していて、寛永宮廷文化の頂点に君臨していた帝王、後水尾院(1596-1680)も「泣不動縁起」に強く惹かれた一人でした。
院は、「清浄華院本」について、京狩野三代目、狩野永納(1631-1697)にその模写を命じます。
こうして制作された第5番目、江戸時代前期に描かれた「泣不動縁起絵巻」が、清浄華院が所有するもう一巻である「狩野永納本」ということになります。
ここで注意が必要なのは、現在は「清浄華院本」と呼ばれる重文の室町絵巻と、その江戸期の写である「狩野永納本」、それぞれが清浄華院に収められた時期です。
なんとなく、室町時代に描かれた「清浄華院本」が昔から清浄華院にあって、それを狩野永納が模写して、寺に収めたとイメージしてしまいがちですが、実態は全く違っているのです。
まず、現在は結果的に「清浄華院本」と呼ばれている室町絵巻は、もともとこの寺とは直接関係がない存在でした。
狩野永納は、清浄華院からこの室町絵巻を見せてもらって写したわけではなく、初めから自分が所有していたのです(その前、彼がどこで誰からこれを入手したかは不明)。
後水尾院が制作を命じた永納による室町絵巻の「写」は、当然、院の御所に収められましたが、「写された」方の絵巻はそのまま永納が持っていたとみるのが自然でしょう。
18世紀に入り、霊元院の時代、父、後水尾院から引き継いでいた「写」、つまり「狩野永納本」が清浄華院に下賜されました。
清浄華院四十七世、了秀が院から拝領したと伝わっています。
さらに、江戸時代中期、入江孝治という人物が、狩野永納が旧蔵していた室町絵巻を、経緯はよくわからないようですが、清浄華院に寄進します。
ここで初めて、現在重文指定されている「清浄華院本 泣不動縁起絵巻」が清浄華院の蔵に収まることになったわけです。
文化財の価値としては「清浄華院本」の方が高く評価されていますけれど、この寺の、特に近世以降における歴史の中においてみると、実は上皇から下賜された「狩野永納本」の方が遥かに重要な寺宝であるともいえそうです。
その「狩野永納本 泣不動縁起絵巻」が、今回の特別公開では全巻、開示披露されています。
これが素晴らしい作品なのです。
狩野永納は、京狩野二代目となっていた狩野山雪の長男です。
父山雪に見られる異様なまでに研ぎ澄まされた感覚美に比肩するほどの才能を持ってはいなかったようですが、優れた技巧、様式美は父譲りともいえ、この絵巻でもその実力が十全に発揮されています。
ふんだんに使われた高価な岩絵具が発する鮮やかな色彩が今に残り、永納による繊細を極めた人物事物表現が随所に見られます。
ただ、やや「整えられすぎ」たところもあって、たとえば、同時陳列されている「清浄華院本」の秘儀シーンにおける安倍晴明の表情と比べてみると、「永納本」では、陰陽師の凄みというより品格が優先されているように感じられるし、妖怪たちもちょっとキレイにまとめられている雰囲気をもっています。
とはいえ、この作品は後水尾院のリクエストによる制作ですから、当然、院の美意識にも永納は配慮しているとみるべきでしょう。
もっと勘繰れば、院は、永納が所有していた室町の「泣不動縁起絵巻」を、本気になればそのまま献上させることもできた訳です。
それをあえて、永納に写させたということは、「本物よりも美しい」コピーを求めていた、ということではないでしょうか。
後水尾院と狩野永納による「寛永のセンス」で写し取られた「泣不動縁起絵巻」。
その保存状態の良さも含め、傑作だと思います。