ピカソとその時代
ベルリン国立ベルクグリューン美術館展
■2023年2月4日〜5月21日
■国立国際美術館
国立西洋美術館での展示を終え、ベルクグリューン美術館展が中之島に巡回してきました。
大型連休を期間内に含む3ヶ月間以上にわたる長期企画です。
2月中旬、そろそろ落ち着いてきた頃かと思い鑑賞に至りましたが、平日でもそれなりにお客さんが入っていました。
もっとも上野での観客密集度に比べるとかなり余裕があると思います。
ほとんどの作品が撮影OKとなっています。
スマホのシャッター音が盛大に鳴り響いていますから、気になる方はノイズキャンセリングイヤホンなどの準備が必要かもしれません。
「ピカソとその時代」("Piacaso and His Time")。
このタイトルに誇張はなくて、ピカソの初期から晩年まで、目まぐるしく作風が変化した彼の作品群を、実にバランスよく、時代をトレースしつつ鑑賞することができます。
ベルクグリューン美術館が2025年まで改装工事に入っていることから実現した引越し企画展です。
これだけまとまったピカソ・コレクションの展示は滅多にない機会だと思います。
ところで、昨年から今年にかけて、ドイツの美術館による日本での出張展覧会が連続しました。
エッセンのフォルクヴァンク美術館(国立西洋美術館「自然と人のダイアローグ」展)、ケルンのルートヴィヒ美術館(国立新美術館・京都国立近代美術館)、今回のベルクグリューン。
それぞれに特色がある展覧会でした。
ただ、美術館の成立という観点からみると、市民コレクターによる寄贈品をコアに収蔵品を拡充してきたフォルクヴァンクやルートヴィヒと比較し、ベルクグリューンは少し毛色が違った面をもっています。
ベルクグリューン美術館コレクションの大半はハインツ・ベルクグリューン(Heinz Berggruen 1914-2007)からもたらされたものです。
この人はカール・エルンスト・オストハウス(フォルクヴァンク美術館)やペーター・ルートヴィヒといったいわゆる「市民コレクター」ではありません。
画商です。
例えば、偶然ですが、ルートヴィヒ美術館展で先頃まで来日していたピカソの「グラスとカップ」は、一時、パリに店を構えていた「ベルクグリューン画廊」が所持していた一枚でした(ルートヴィヒ美術館展 図録P.223)。
数多の作品をディールしてきたベルクグリューンが、いわば「売らず」にあえて手元に残してきた作品で構成されていることがとてもユニークな性質をこのコレクションに与えているように思えます。
その性質が端的に現れている点、それはとても収蔵アーティストに偏りがあることです。
ピカソ、クレー、マチス、ジャコメッティが大半を占め、中でも前2者の作品群が質量共に突出しています。
この展覧会の目玉であるピカソが約100点と、現在の収蔵品数に占める割合は一番多いのですが、実はベルクグリューンは、ベルリンの前、1980年代にメトロポリタン美術館へ90点に及ぶというクレーの作品を寄贈してもいます。
その中には彼の代表作「遠近法のお化け」も含まれていました。
Paul Klee | Phantom Perspective | The Metropolitan Museum of Art
1988年にヘルムート・ニュートンが撮った70歳代中頃とみられるベルクグリューンのポートレートがあります(図録P.310)。
ふてぶてしさが漂う口元と鋭い眼光が印象的です。
画商というより政商といった方が良さそうな、ある種の凄みすら感じさせる彼の本質がニュートンによってあらわにされているようです。
この美術館には、ナチス政権から逃れNYやパリで画商として活動し成功を収めたユダヤ人、ベルクグリューンが終生持ち続けた美意識が凝縮しているといえるかもしれません。
ハインツの息子で美術評論家のオリヴィエ・ベルクグリューンが図録に寄稿している文章「わが父、ハインツ・ベルクグリューン」には面白いことがいろいろと書かれています。
例えばベルクグリューンが書いた自伝、『本道と脇道』について。
このタイトルはルートヴィヒ美術館が所蔵している有名なパウル・クレーの"Hauptweg und Nebenwege"からとられているのだそうです。
なかなか洒落たタイトルをつけたものですが、画商兼コレクターとしてベルクグリューンが最初に購入した作品もクレーですから、この人の画家への愛情と尊崇の念も同時に感じられます。
「本道と脇道」(1929)は石畳、あるいはモザイクのような色彩が連なるスタイルが印象的です。
本展では、この傑作と強く関連しているとみられる名品2点が出展されています。
「平面の建築」(1923)と「モスクの入口」(1931)。
前者は色彩による「階層」の構築が試みられている作品ですが、水平軸の幅と色のグラデーションが実に微妙なバランスで組み合わされているので、じっと見ていると、確かに「建築」を思わせるような不思議な立体感が出現してきます。
一方、後者では、水平軸から方形に構造単位が変化し、その微細な色のハーモニーはさらに多彩な音響を奏でているかのよう。
いずれも、一見、幾何学的な造形イメージです。
しかしそこにはミニマリスム的な冷たさ、そっけなさは微塵もありません。
クレーのもっている詩情性がどちらの作品からもふんわりと立ち上がってきます。
「本道と脇道」において、「平面による建築」で現していた水平軸と色彩の階調に、さらに遠近法による奥行きを施したクレーは、「モスクの入口」では色のパーツを増幅させ点描技法に接近しているのですが、その透明感はむしろ高まっているようにも感じられます。
ずっと観ていられるような不思議な心地よさを感じました。
色と形、そのものに純粋に向き合っていたクレーの静かに研ぎ澄まされた思考が伝わってくる作品が並んでいます。