宮本佳明「建築団地」展|宝塚市立文化芸術センター

 

Made in Takarazuka vol.4  
入るかな?はみ出ちゃった。~ 宮本佳明 建築団地

■2023年9月16日〜10月22日
宝塚市立文化芸術センター

 

昨年のちょうど今頃開催された「生誕100年 元永定正ドキュメンテーション」展などなど、宝塚市立文化芸術センターは、その規模に似合わず、次々と尖った企画性で楽しませてくれる面白い場所です。

今回もとってもユニークな「建築展」が開催されていました。

 

takarazuka-arts-center.jp

 

「建築団地」、"Architecure Park"、と銘打たれています。

何のことやらさっぱりわからない、謎めいたタイトルですが、会場に行くと、その正体がすぐにわかります。

 

宝塚市出身の建築家、宮本佳明(1961-)が手がけた建築作品の「一部」が、原寸大の模型で、会場の中に「くい込んで」いるのです。

「入るかな? はみ出ちゃった。」という言い方よりも、「全部は入らないけれど、ちょっとくい込んでみました。」といったところでしょうか。

 

「くい込んだ」建築の一部が会場をぐるりと囲繞して集結しています。

だから、「建築団地」。

すごいアイデアを思いついたものです。

 

www.kmaa.jp

 

いわゆる「建築展」というジャンルは、絵画や彫刻などと違い、「実物」が展示できないという決定的なジレンマを抱えています。

結果として、近時の例でいえば、2020年の「分離派100年展」や、現在も開催されている「ガウディとサグラダ・ファミリア展」などに代表されるように、図面や模型、それに映像なども活用して相当に工夫されてはいるものの、どうしても「読ませる」展覧会になりがちだったりして、本格的であればあるほど、ちょっと余計な疲労感が残ってしまう印象があります。

 

展覧会チラシに書かれている宮本自身のコメントを読むと、彼がこうした制約、というか建築をテーマとした展覧会がもつ宿命を十分認識していることが、まず、明らかにされています。

その認識の上で、この建築家は、本展では、こうした「建築展」が帯びがちな性質の、そのいわば逆手をとるように、とても真面目に遊んでいるのです。

 

 

会場内に入るやいなや、いきなり鑑賞者の頭上に、迫り出すように「くい込み」、その存在を主張する模型に驚きます。

これは2006年、西宮に建てられた個人住宅「SHIP」の出っ張った部分です。

下の床面には同じく西宮にある美容室「elastico」が描く敷地の「型」が設置されていて、サロン空間の広さを実体験できるようになっていました。

四方を囲む壁だけではなく、床までも「くい込み」のために使われている徹底ぶり。

次第に、なんとなく、「建築団地」に囲まれている感覚に襲われてきます。

 

 

どの作品も圧倒的な迫力がありますが、中でもインパクト絶大と感じた模型が、「澄心寺庫裡」の屋根断面です。

会場南側の壁面をほぼ全て使い切り、長大な弧を描く屋根の曲面が再現されていました。

長野県伊那郡箕輪町にあるこの曹洞宗寺院の庫裡の建設にあたっては、2009年、寺から全国に建築案が公募され、180を超える応募作の中から宮本案が選出されたのだそうです。

JR飯田線伊那松島駅からタクシーで10分と、アクセスはちょっと大変そうではあるものの、実物を見に行きたくなるような気分にさせてくれる、印象的外観をもった建築です。

今回展示されているの「原寸模型」は、いずれも現物の色彩に関係なく白で統一されていますが、「澄心寺庫裡」は実際の建築自体がほぼ真っ白ですから、最もホンモノらしい「くい込み」かも知れません。

www.seiunzan.com

 

宮本佳明は「展覧会によせて」という文章の中で、「製作する原寸模型は建築物の一部に過ぎませんが、鑑賞者の想像力を借りることによって、壁や床の向こう側に建築空間の全体像を浮かび上がらせることが出来ると考えています。」とコメントしています。

模型の近くに置かれた実物の写真と組み合わせて確認することで、確かに彼の目論見通りの効果が現れているように感じました。

 

ただ、この手法が通用するためには、実物である建築物に、ある条件、あるいは要素が備わっていないと、難しいのではないか、とも感じるのです。

それは、第一に「大きさ」、第二に「構造」です。

 

「大きさ」については、ある意味、身も蓋もない話ではあります。

あまりにも巨大な建築は、たとえその一部であっても、「原寸大」では、展覧会場のような限界のある空間において再現することが困難です。

たとえば丹下健三の「国立代々木競技場」がもつ屋根の曲線が美しいからといって、それを宝塚の会場に再現することは不可能でしょう。

展示空間に「はみ出る」程度の大きさだからこそ、実現できる企画なのです。

つまり、この「建築団地」に集った宮本建築たちは、いずれもそれほど「巨大さ」で存在を主張している作品ではない、ともいえると思います。

 


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重要な要素はむしろ「構造」の方でしょうか。

ほんの一部分であっても、「くい込んだ」あるいは「はみ出た」宮本の建築模型は、その全体イメージに直結するほどの造形力をもっています。

いずれの作品からも、とてもシンプルな力強さ、構造そのもののもつ美しさが感得できると思います。

つまり、明快な「構造」の力があってこそ、「一部」から「全体」が浮かび上がってくるのです。

宮本の建築には実に個性的な「曲線」が使われているケースが多くみられますが、それは「装飾のための曲線」あるいは「美のための曲線」というよりも「構造力のための曲線」という性質が強いように思われます。

住む人、集う人の思いを受け止めつつ、建築としての「強さ」にとてつもない配慮が仕込まれています。

 

そうした宮本佳明建築がもつ「配慮」の深さ、その根底にある作品が、「ゼンカイ」ハウス(House Surgery )なのでしょう。

展示解説文を読んではじめて知ったのですが、1995年に起きた阪神淡路大震災では、公費による破損建築への支援自体が建物の「解体」を促進した面があるのだそうです。

「公費解体」制度はあったものの「公費修繕」制度がなかったために、被災し「全壊判定」を受けた家々の多くが「修理」ではなく「解体」を選択せざるを得なくなった、そうした行政指導への宮本からの「異議申し立て」が「ゼンカイ」ハウスです。

この建物は、宝塚市立文化芸術センターのすぐ近所、阪急宝塚南口駅から徒歩圏内にありますから展覧会の前後に現物を確認することができます。

 

宮本佳明「ゼンカイ」ハウスの外観

 

宮本の発する強い言葉である「異議申し立て」を意識すると、「ゼンカイ」ハウスはいかにも政治色をまとったような厚かましさを主張した建築なのではないかとイメージしてしまいます。

ところが、実際の外観からは全くといって良いほど「主張」のくどさを感じません。

被災した木造家屋に白い耐震構造体が「くい込んで」いるのですが、その構造体自体も年数を経てほどよく色が落ち着いていて、言われなければ通り過ぎてしまうような地味な建築物です。

何よりここは「住む場所」であって、「主張」をする装置ではない、その大前提がよく確認できると思います。

 

今回の「建築団地」にちょっと一部をのぞかせている宮本建築たちからは、その全体像をダイレクトにイメージできるほどの力強さを感じますが、同時に、「ゼンカイ」ハウスがみせているような「使う人間への配慮」も、極めて優しく滲み出てくるようにも思われました。

 

「建築団地」の出口には、これからその仲間入りをすると思われる「北九州市立埋蔵文化センター」のプラン模型が設置されています。

村野藤吾が設計した「旧八幡市民会館」を活かしながらコンバージョン(用途転用)するというプロジェクト。

村野の語彙を最大限尊重しつつ、宮本佳明らしい「力強い配慮」に満ちた作品が実現に向けて「工事中」です。

 

北九州市立埋蔵文化センター建築模型