鳥獣戯画より面白い 高山寺「華厳宗祖師絵伝」

 

現在、京都国立博物館ではコレクション展の中で3点の素晴らしい絵巻が披露されています。

(「異国の仏教説話」展示期間:2023年8月22日〜9月18日)

 

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2F展示室の一画に、「羅什三蔵絵伝」(重文)、「真如堂縁起」(重文)と並んで、高山寺から寄託されている国宝「華厳宗祖師絵伝」の「義湘絵」が展示されていました。

このコーナーは「異国の仏教説話」と題されていて、3つの絵巻は中国を主な舞台としています。

また、いずれの作品も海の情景がとても印象的に描かれていますから、残暑の時季を意識してちょっと涼やかな画題が選ばれた、ということなのかもしれません。

 

華厳宗祖師絵伝」の鑑賞は、東京国立博物館が2021年春に開催した「国宝 鳥獣戯画のすべて」展以来です。

コロナ禍最盛期の中で敢行されたこの「鳥獣戯画展」は、会場にベルトコンベアーを設置して観客を鳥獣戯画(甲巻)の前で自動的に「流す」という、前代未聞の珍工夫が話題になりましたが、高山寺が誇るもう一つの国宝絵巻である「華厳宗祖師絵伝」も、「義湘絵」「元暁絵」の両巻がたっぷり紹介され、個人的にはそちらの方がむしろ楽しめた記憶があります。

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今回、京博で展示されている「義湘絵」(四巻のうち巻三)は、前段が隠されてはいますが、そのクライマックス部分はあますところなく開示されています。

特別展での展示ではありませんから混雑害もなく、じっくり細部まで鑑賞することができると思います。 

 

さて、栂尾の高山寺(真言宗)を代表する名品といえば、当然に「鳥獣戯画」ということになっています。

しかし、もともとここは、明恵(1173-1232)によって再興された華厳宗の寺院だったのであり、彼の周辺で制作されたとみられるこの「華厳宗祖師絵伝」こそ、来歴のはっきりしない「鳥獣戯画」よりも、寺の成り立ちからみれぱ。むしろ重要な寺宝といえるかもしれません。

「みんな大好き鳥獣戯画」ですが、絵巻としての完成度の高さでは、「華厳宗祖師絵伝」の方がはるかに優れているようにも思えます。

 

緻密に描きこまれた人物事物。

どぎつくならない範囲で華麗に施された彩色の妙技。

兎や蛙たちのキャラクター造形に天才的な閃きをみせる「鳥獣戯画」の素晴らしさとは全く別種の、繊細に豊饒な鎌倉絵巻の美が「華厳宗祖師絵伝」には示されています。

 

そして、今回あらためてじっくり鑑賞し、この絵巻の異様な「展開芸」にも驚くことになりました。

 

華厳宗祖師絵伝「義湘絵」(部分)

 

絵巻に描かれているストーリーの後半は、新羅における華厳宗の祖、義湘(625-702)と、彼を慕う善妙という唐の女性をめぐって展開します。

イケメンの僧だったという義湘に善妙は恋心を告白するのですが、そこは華厳の宗祖になるような人ですから、当然に彼女を諭し、仏教への信心を薦めることになります。

善妙もこれに従い経典を読むなど健気に信仰を深めていき、唐での修学を終え新羅に帰国する義湘へ贈るための供物を準備します。

ところが、善妙が供物を渡そうと港に到着した時、すでに義湘は船で出発した後でした。

別れの挨拶もできなかったのです。

悲嘆にくれる善妙は、供物を海に捧げた後、自らも波間に身を投じてしまいます。

物語はここから急速に仏教説話的な幻想味を帯び、海中に没した善妙が龍に変身。

この龍が義湘の乗る船を守り、無事に新羅まで辿り着いた、というお話です。

華厳宗祖師絵伝(けごんしゅうそしえでん) - 博物館ディクショナリー- 京都国立博物館

 

驚くのは、善妙が龍になるまでのプロセス、その描き方です。

 

まず、義湘を見送ることができず、港で打ちひしがれ、悲嘆のあまりのたうちまわる善妙が描かれます。

次いで、供物を海に投げ入れる善妙。

最後に善妙自身が海に飛び込む場面。

 

これら三つの場面がほとんどアニメーションのように、「背景」をそのままに、善妙の行為だけが執拗にトレースされているのです。

合理的に描こうとすれば、三つのシーンは、まとめて善妙の「身投げ」という一つの場面に集約しても済むはずです。

それをわざわざ分割し、「悲嘆」→「供物の投下」→「自身の身投げ」と、ほとんど背景を変えず、善妙の行為だけをピックアップし、執拗に描写する絵師の執念。

場面間にはうっすらと青みを帯びた海の景色が静かに置かれています。

おそらく当時、この絵巻を鑑賞した人たちは、まるで善妙と一体となるような気分を味わったのではないでしょうか。

華厳宗祖師絵伝・義湘絵」、その後半は、紛れもなく、義湘ではなく、善妙が主役となっているのです。

 

明恵上人は、承久の乱で命を落とした後鳥羽上皇方貴族の未亡人たちを庇護し、「善妙寺」という尼寺を建立しています。

鳥獣戯画展」の図録の中で、東博の土屋貴裕学芸研究部室長が指摘しているように、「女人救済」という明恵の思想がこの絵巻にも濃厚に示されているのかもしれません。

 

港で悲嘆にくれる善妙(華厳宗祖師絵伝より)

 

供物を海に捧げる善妙(華厳宗祖師絵伝より)

 

海に身を投じる善妙(華厳宗祖師絵伝より)

 

龍に変化した善妙(華厳宗祖師絵伝より)




よく「鳥獣戯画」が日本マンガのルーツだと言われることがあります。

なんとなく違うような気がします。

というのも、「鳥獣戯画」には、どこにも、「セリフ」が書かれていないからです。

 

ところが、「華厳宗祖師絵伝」には、しっかりセリフに相当する「画中詞」(がちゅうし)が書き込まれているのです。

「画中詞」は、まさにマンガの吹き出しのようなものとみれなくもありません。

これも土屋室長の解説によれば、「華厳宗祖師絵伝」は、こうしたスタイルの最初期例にあたるのだそうです。

 

同一の背景を持ちながら、主人公の行為を分割しつつ連続して描きこむアニメ的手法と合わせると、むしろ、「華厳宗祖師絵伝」の方こそ、日本マンガ、あるいはアニメに関する原型の一つとすら思えてきます。

高山寺が有する絵巻群に「日本マンガのルーツ」を、あえて強引にみるとするならば、「鳥獣戯画」ではなく、実はもう一つの国宝、「華厳宗祖師絵伝」の方がしっくりくる、かもしれません。