八坂神社本殿「裏側」公開と円山応挙の「鶏」

 

今年も京都古文化保存協会による恒例の秋季文化財特別公開がスタートしています。

今回は祇園、八坂神社が対象となっていたので見学してみました。
意外なことに初公開となるのだそうです(2023年11月2日〜11月12日)。

 

www.kobunka.com

 

つい最近である2020年に国宝指定された八坂神社本殿自体は、当たり前ですが、常時公開されていて、その外観だけであれば昼夜問わず無料で鑑賞することができます。

今回特別公開(料金1000円)とされている部分は、本殿の北側内部にあたる、いわば「裏」の部分です。
本殿北西コーナーの小さな入口から靴を脱いで入ると、やや長細い控の間のような畳敷のスペースがあり、そこから「内々陣」裏の廊下に進むことができるようになっていました。
下鴨神社における特別公開時のように本殿の裏道を巡るのではなく、本殿内部自体に入室できるところが独特です。

ところで、八坂神社本殿は非常にユニークな構造をもっていることで知られています。

一般的な神社では、祭神を祀る「本殿」とそれを人々が拝む「拝殿」が別々に建造されています。
ところがこの本殿は、神を祀る「内々陣」と、拝殿としての機能をもつ「礼堂」、二つの空間を大きな屋根で囲い、内包しているのです。
江戸時代まで神社と寺院が渾然一体となっていたこの宗教施設独特のスタイルです。
結果、外観は一つの巨大な社殿にみえるのですが、内部は複雑に各エリアが組み込まれた構造をもつことになります。

と、テキストでお伝えするより、具体的なイメージについては八坂神社のHPを確認いただく方がわかりやすいと思います。
建築の歴史的変遷も含め丁寧に解説してくれています。

www.yasaka-jinja.or.jp

 

公開された部分は、本殿の最も奥、「内々陣」の北側にあたります。
内々陣には東から、櫛稲田姫命素戔嗚尊、八柱御子神が並んで祀られています。
最奥エリアですから、正面からはかなり遠い位置になるわけですが、この「裏側」は、逆に内々陣に最も近い場所にあたり、その北壁を直接みることができます。
特に彩色が施されておらず、朱塗が鮮やかな本殿外観とは対照的です。
こうしてみると、確かに、外側からのカバー部分に内々陣が組み込まれている様子がよくわかります。

驚いたのは、ここに、かつてこの社が「感神院」という神仏習合の聖地だった痕跡がこっそり、かつ、堂々と置かれていたことです。
寺院としての名称であった「感神院」と彫られた巨大な扁額が掲げられています。
そしてその下には、なんと木造の「十一面観音菩薩」が置かれているのです。
頭上の仏面群は取れてしまい、損耗も目立つ素朴な彫像です。
でも、紛れもなく、これは仏像です。
ちょうど神々を後ろから見守るように温和な表情を浮かべています。
さすがに祇園社における習合の本体ともいえる「牛頭天王」像等を再び存置することはできなかったようですが、かつての寺院としての来歴を本殿から完全にデリートすることを避けているところに、「感神院=祇園社=八坂神社」の奥深さを感じました。

現在の本殿は、1654(承応3)年、四代将軍徳川家綱の支援によって建造されたものです。
東寺や仁和寺五重塔再建など、京都の寺社復興に積極的だった三代家光ではないところが意外に思われます。
でも、もともと荒廃していた祇園社本殿を江戸時代初期にまず再興したのは、実は、やはり、家光でした。
1646(正保3)年、彼の命によって本殿が修復されています。
ところがその年も終わらないうちに、この家光再興の本殿は火災によって焼失してしまうのです。
幕府は直ちに再建に着手したのですが、現在の本殿が完成したとき、すでに将軍は代替わりし家綱になっていたのでした。
実質的に祇園社を再興した将軍は家光であり、家綱は先代の意向を引き継いだにすぎないともいえそうです。
実際、これ以降、徳川幕府による京都の大規模な寺社復興事業は行われなくなります。

この承応3年時の再建に際し神宝類も全て新調されています。
今回の特別公開では、その華麗な神宝類や徳川家からの朱印状などを、社務所に付随する施設「常盤殿」であわせて鑑賞することができます。

さて、内々陣裏の空間には、もう一つ、珍妙なお宝が陳列されていました。
円山応挙(1733-1795)の筆による「番鶏図衝立」です。
縦、約1.1メートル、横は約1.6メートルを超える、それなりの大きさをもった画像です。

薄暗い室内では細部まではっきり観ることができなかったのですが、その筆致と複雑にほどこされた彩色はなんとか視認できました。

びっくりするのはここに描かれた対象物とシンプルすぎるその構図です。
つがいのニワトリが描かれています。
それだけ、なのです。

画面の右下側に二羽を描き、大きくとられた左上の部分は余白とされ、何も描かれていません。
(なお、背景に散らされた金箔模様は後の修理の際に付加されたもので、応挙が描いたものではありません・後述の図録解説によります)

ニワトリ自体、若冲が描くように作為的なポーズをとるわけでもなく、ごく普通に地面に落ちた餌を探しているようにみえます。
雄鶏と雌鶏ですから、夫婦円満の意などを示した吉祥図の一種なのでしょうけれど、応挙の筆は何も象徴的な表現を含ませていません。
とにかく、あるがまま、なのです。
これぞ、「写生」そのものという画です。

 

円山応挙「番鶏図衝立」(部分・八坂神社蔵)

 

この絵には裏面に修理した記録が残されているそうです(以下、2002年、京都国立博物館で開催された「祇園・八坂神社の名宝」展図録にある狩野博幸の解説を参考に記載しています)。
源応周によって記されたその銘文によると、1809(文化9)年、応挙の息子である円山応瑞(1766-1829)によって、当時すでに損耗が激しかったというこの「番鶏図衝立」は修復作業を施されています。
銘にはこの絵が33年前に応挙によって描かれたことが記されているため、制作年代が1776(安永5)年であることも判明します。
応挙44歳、狩野博幸によれば「絶頂期」の作品ということになるようです。

また、今回解説してくれた神職の方によると、この衝立絵を見たある農夫に「ニワトリの羽の色がおかしい」と指摘された応挙がただちに修正を施したという逸話も残っているのだそうです。
写実を極めようとする、いかにも応挙らしさが感じられる伝承です。

神職による神社の説明と本殿内部見学で約10数分。
常盤殿での神宝類鑑賞と合わせて、30分程度で鑑賞を終わることができました。
ただ、本殿内の見学は何名かまとめて、グループ単位で行われますからタイミングによっては入口で15分くらい待たされるかもしれません。