蔵王権現大集合と道長の経筒|MIHO MUSEUMの金峯山展

 

2023年度秋季特別展 金峯山の遺宝と神仏

■2023年9月16日〜12月10日
MIHO MUSEUM

 

質・量ともに驚異的な大修験道特集展です。

期間によって展示品の入れ替えがあるものの、約180件にのぼる金峯山にまつわる品々が全国から集められています。

しかも国公立ミュージアム等の他館との共催ではなく、ミホミュージアム単館での企画という点に驚きます。

学術的側面も含めて考えると、個人的には今年ベスト級の企画展でした。

 

www.miho.jp

 

「金峯山」という名前自体はよく目にすると思います。

しかし、和歌山周辺の一般的な地図の上にこの山の名前は存在しません。

特定の山のことを指しているとみられる古い記録もあるようですが、現在では、奈良の吉野から和歌山の大峰山にかけて連なる山々の一群とその周辺をまとめて「金峯山」としています。

奈良時代頃から独特の存在感を示してきた巨大な聖地です。

 

会場にはまずこの場所を信仰の対象に導いた役小角(役行者)の像が置かれています。

これが凄まじい彫像なのです。

山梨にある円楽寺という寺院から運ばれてきた「役行者半跏像」とその左右に陳列されている「前鬼・後鬼坐像」がそれです。

平安後期から鎌倉時代にかけて彫り上げられたとみられるこの木像は、かつて、富士山2合目の小室浅間神社横にあった「行者堂」に設置されていたものです。

役小角は、伊豆に流された後、夜は富士山で行をおこなっていたとされていますから、それに因んで祀られていたのでしょう。

1961(昭和36)年、「行者堂」が台風で倒壊したのち、円楽寺に移されたのだそうです。

www.gaido.jp

いずれの像も激しい損耗があるのですが、もはやその傷や穴自体までもが一種の「凄み」につながっていて、類例のない迫力をもっています。

仏像とは違い、神像は原則、修理や補完が行われません。

おそらくこの役小角と鬼たちは、神像の一種として扱われ、傷みが激しくなってからも手を加えられることなく富士山に長年祀られてきたのかもしれません。

極端に吊り上がった目をもつ役行者の表情も恐ろしいのですが、横にいる鬼たちもかなり異様です。

奇妙にデフォルメされた筋肉や目、頭髪が不気味な様相を形成しつつ、どこかユーモラスな雰囲気も漂ってきます。

信仰と自然の錬磨が生み出したきわめて独特な魅力をもった彫像です(通期展示)。

 

この役小角による祈りというかパワーによって出現した「尊格」(神とも仏ともいえないのでこう表現されるようです)が、「蔵王権現」です。

蔵王権現は明治の神仏判然令の後、牛頭天王などともに最も迫害を受けた尊格で、関係した寺社からどんどん流出してしまいその多くが失われました。

幸運にも残された貴重な像が全国各地に保存されています。

本展では、金峯山寺金峯神社はもとより、奈良国立博物館石山寺、佐野美術館など実に多彩な場所から蔵王権現像をとりよせていて、まさに「蔵王権現大集合」となっています。

 

国宝の「蔵王権現鏡像」(西新井大師總持寺蔵)は、東京国立博物館に寄託されていますから、しばしば同館本館のコレクション展示で観ることができます。

しかし、今回の展示では、東博での展示のような白色系のフラットなライトではなく、やや暖色系のスポットライトがあてられていて、蔵王権現とその眷属たちの活き活きとした姿が、より一層くっきりと視認できました。

あわや鋳つぶされるところを救われたという有名な来歴をもつこの線刻像は、蔵王権現が明治近代に入って被った悲劇を象徴する名宝でもあり、主役級の一点としてここでも存在感を放っていました。

www.nishiaraidaishi.or.jp

 

 

さて、蔵王権現に加え、金峯山に関係したもう一人の「主役」にもスコープが当然にあてられていました。

藤原道長(966-1028)です。

彼がこの聖地に埋めたという国宝の「経筒」(金峯神社蔵)が展示されています。

これも普段は京都国立博物館に寄託されているので、ときどき京博のコレクション展でさりげなく展示されたりしますが、本展では、『御堂関白記』(陽明文庫蔵)の道長参詣に関係した記録(寛弘4年条)を並列展示するなど、徹底的にこの平安タイムカプセルに迫っています。

御堂関白記』をたどると、藤原道長が1007(寛弘4)年8月2日に平安京を出発し、どのようなプロセスで金峯山に参詣したのか、おおよそのルートまでわかります。

本展では、石清水八幡宮や大安寺で一服しながら南下していった道長一行の道程が地図で示されていました。

とても展示に臨場感を与える解説だったと思います。

典雅な国宝の「経箱」も三個同時に合わせて公開されるなど、平安工芸の清華が一室に再現されています。

この美術館がもつ企画力の高さに驚く展示となりました。

www.kyohaku.go.jp

 

全体の監修は関根俊一(帝塚山大学名誉教授)が担当していますが、MIHO MUSEUMの片山寛明特任学芸員と辻上祐貴学芸員による展示解説や図録コメントもとても参考になりました。

出土品に関する古い研究から近年の実績まで網羅した展示構成は、彫像や仏教工芸だけでなく鏡類や絵画、非常に微細な発掘品断片にまで及んでいて、美術鑑賞を超えた噛みごたえを感じます。

 

コロナの制約が実質解けたこともあり、信楽の山奥にも関わらずたくさんのお客さんが来場していました。

ここは環境を含め、かなりインパクトのある外観をしているミュージアムなので海外でも有名なのでしょう。

チャイナ系と見られる観光客が日本人より多いくらいでしたが、特別展である本展ではなく常設展を中心にまわっているようだったので、混雑害はありませんでした。

ただ、公共交通機関を使う場合、石山駅から出ているミホミュージアム行きの帝産バスは本数が少ないので、注意が必要です。

大勢の外国人観光客が停留所に行列していることがあるので、確実に座って乗車したい場合は時間に余裕をもって並ばれることをお勧めします。