梥本一洋「鵺」をめぐる妄想|京都市京セラ美術館

 

 

2023 冬期コレクションルーム 特集「昭和前期の日本画と古典」

■2023年12月22日〜2024年2月25日
京都市京セラ美術館

 

現在開催されている京都市美の冬コレでは1930年代を中心に描かれた京都画壇の作品が数多く紹介されています。

菊池契月による新古典的な大作群が入り口近くで出迎えてくれました(このコーナーのみ写真OK)。

さらに会場の真ん中あたりでは梥本一洋(1893-1952)のミニ特集が組まれています。

kyotocity-kyocera.museum

 

本展のメインビジュアルにも採用されている「鵺」は1936(昭和11)年に描かれたもので、「送り火」や「餞春」(これも展示されています)と共にこの美術館が蔵する梥本一洋の代表作です。

個人的に一洋作品の中で最も好きな一枚です。

 

鵺(ぬえ)は『平家物語』にも登場する、平安時代から大人気の幻獣、キマイラの一種です。

猿の顔と狸の胴体を持ち、足は虎、尻尾は蛇という奇天烈な妖怪ですが、一洋の描く「鵺」にはそのような禍々しい姿は全く描かれていません。

三人の高貴な身分とみられる女性が舟上で悲嘆にくれている様子が洗練された筆致と抑制的に施された色彩で端正に表現されているだけです。

 

この絵は謡曲の名作「鵺」を題材に描かれた作品とされています。

源頼政(1104-1180)によって退治された鵺の亡霊と旅の僧による対話劇で、零落した妖怪が成仏を願い僧に回向を頼みつつ消えていくという、なんとも陰々滅々とした幻想譚です。

ただ、謡曲の筋を追っても、鵺の正体が貴顕の女性とは明示されていません。

そもそもこの妖獣の性別すら明確ではありません。

しかし、梥本一洋は鵺を三人の上臈として描いています。

どういう思いで画家はこのように絵を仕上げたのでしょうか。

 

ヒントを与えてくれる人物がいます。

かつて京都市美術館学芸員を務めたこともある美術評論家加藤一雄(1905-1980)です。

彼は一洋の描いた上臈たちの姿に「懊悩したという近衛ノ院」をみているのです(京都市京セラ美術館で開催された「コレクションとの対話」展リーフレットより)。

 

頼政によって仕留められる前、鵺は夜な夜な内裏に出現し奇怪な鳴き声を発しながら、ときの近衛天皇(1139-1155)を苦しめていたとされています。

天皇が鵺のせいで重病に罹ってしまったため、武勇で名高い頼政に成敗の命が下されたのです。

豪快な源頼政によるモンスター退治の逸話は浮世絵にも描かれるくらい人気の題材でした。

 

しかし、一洋の「鵺」を評した加藤一雄の言葉にある「懊悩」からは、派手な化物退治奇談とは違う、何やら妖しげに官能的な空気が立ち上ってきます。

近衛院は荒々しい幻獣の剛力に苦しめられたというより、艶やかに妖しい女性(にょしょう)の色香に悶え悩んでいたという情景が浮かんでくるのです。

 

ところで近衛天皇はとても気の毒な生涯をおくった人物でもありました。

父、鳥羽上皇(1103-1156)による院政の下、病弱だった天皇はわずか17歳で崩御しています。

この鵺に苦しめられたという物語の他にも、呪詛にあって眼を患ってしまったなど、悲惨なエピソードが伝えられています。

ただ、天皇呪詛の犯人が藤原頼長とする風聞が流れたため、鳥羽上皇が頼長を遠ざけ、これが後の保元の乱につながっていく要因の一つにもなるわけですから、実は消極的ではあるものの歴史の流れに強く影響した人物とも言えます。

 

近衛天皇

 

竹田駅のすぐ近くに、近衛天皇陵があります。

非常に美しくも珍しい多宝塔式の天皇陵で、桃山時代豊臣秀頼の寄進で建造されたといわれています。

陵墓なので宮内庁の管轄下にあり同庁の見張り小屋が近くに建ってはいますが、ほぼ正面全景を間近に観ることができます。

一般的な寺院建築であれば間違いなく重要文化財指定される特級の建築遺産です。

この近辺にはかつて鳥羽上皇が営んだ離宮があり、上皇やその父、白河院の陵もすぐ近所にあります。

華麗な院政期文化を牽引した二上皇の陵墓がやや地味にこじんまりとしているのに対し、若くして崩御した近衛天皇の陵が一番大きく立派に残っているという、歴史の皮肉を感じる場所です。

 

さて、加藤一雄説に依拠し、思春期の天皇を懊悩させた官能の魔性という想定で、梥本一洋は鵺の正体を描いたのだとすれば、その姿が女性であることも得心できます。

三体に別れて表現されているのは、鵺自身がさまざまな獣のキマイラであり、精神的にも一体化できない煩悩の合成体であることに起因しているようです。

頼政の矢を受けて、身も心も分裂してしまった哀れな妖怪の姿ということなのでしょう。

 

実は私は初めてこの絵を見たとき、頼政の鵺退治に関するもう一つのエピソードを連想していました。

それは、彼の母親が息子の出世に一役買うため、鵺の姿に化けて御所に出没し、わざと息子に撃たれた後に逃れたというお話です。

これなら女性が鵺の正体として描かれていてもおかしくはありません。

頼政の母と彼女に仕える女性たちとすれば三人いることも説明がつきます。

しかし、この説をとると、鵺=頼政母は、思いを遂げた帰途にあるわけですから、悲嘆にくれるという表現は彼女の心境と矛盾してしまいます。

後に世阿弥謡曲が題材と知って勘違いであったと気がつきました。

ただ、鵺の正体をあえて貴顕女性とした一洋の解釈にこの伝説も少しは影響したのかもしれません。

 

ちょうど現在、京都文化博物館では1930年代、つまりこの「鵺」が描かれた時代とほぼ重なる時期に活動した日本の若きシュルレアリストたちの画業が特集されています(「シュルレアリスムと日本」展)。

当局の弾圧に苦しんだシュルレアリスム画家たちに比べ、この時期の京都画壇は歴史古典に題材をとるなど、無難にやり過ごしていたようにも思えます。

しかし、「鵺」をテーマとしながらも、あえて見どころである頼政による勇猛な退治の場面ではなく、悲嘆の女性像を抑制的に描いた梥本一洋の心中には、彼なりの時代への異議申し立てがあったのかもしれません。

以上、大晦日の妄想でした。

 

 

 

年末の蛇足です。

2023年、特に印象に残った展覧会ベスト5を順不同で以下の通りご案内します。

 

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今年も素晴らしい展覧会を企画・実現いただいた各ミュージアム、ギャラリーの皆さんに感謝しています。

 

梥本一洋「鵺」(部分・本展のアートワークより)