泉穴師神社の神像|京都国立博物館 2024新春展示

 

修理完成記念 特集展示 泉穴師神社の神像

■2024年1月2日~ 2月25日
京都国立博物館

 

京博の2024年新春コレクション展がスタートしました。

今年の干支に因んで「龍」をモチーフとした作品が集められ、中華帝国で制作された華麗な工芸・装束をはじめ、久しぶりに狩野山楽による大傑作「龍虎図屏風」(妙心寺から寄託)がたっぷりと展示されるなど、華やかに多彩な内容となっています。

その他、考古コーナーでの経筒コレクションや、弥生時代の美麗な流水紋銅鐸などなど、見どころ満載の常設展です。

 

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平成知新館1階のメインホールである彫像コーナーでとても珍しいミニ特集が組まれていました。

大阪、泉大津にある泉穴師神社の神像群です。
泉穴師(いずみあなし)神社には83躯もの神像が伝わっているのだそうです。
その内、平安から鎌倉時代あたりまでに造られたとみられる80躯が一括して重要文化財に指定されています(2016年指定)。

今回の特集は、2019年から始まった神像群の修理事業が完了したことを受けてのお披露目展。
全部で26躯、出展されています。
独特の質朴さと品位、厳しさと優しさが同時に現されたかのような彫像がずらりと展示ケースの中に鎮座しています。
一気に惹き込まれました。

修理は美術院が担当、京博内の文化財保存修理所で作業が行われました。
前述の通り、現在は80躯が重要文化財となっているわけですが、この内、主祭神2躯を含む8躯は、明治時代、旧国宝に指定されていた彫像です。
1899(明治32)年、その8躯に修理が施されています。
当時、修理を担当したのは近代日本における仏像修復の第一人者だった新納忠之介(1869-1954)です。
彼は1914(大正3)年に発足した美術院の初代院長を務めた人物でもありますから、今回の仕事は偉大な先輩による明治期修理をふまえての現・美術院による令和版再修理ということになるのでしょう。
全く不自然さが感じられない、見事な修復の技がみてとれると思います。
なお、修復費用に関しては、国と泉大津市による補助金に加え、住友財団からの助成金が充てられたそうです。

50センチを超える主祭神2躯を除くと大半の神像が10〜30センチくらいと小ぶりに造られています。
一見、同じようなスタイルにみえるのですが、よくみると時代によってかなりその表現に違いがあることに気がつくと思います。
最も古い像とされる女神像(その47)は、10世紀頃の制作と推定されています。
小さいながらも独特の重量感があり、平安前期の弘仁期仏像にありがちな、がっしりたっぷりした彫りの様式が確認できます。
ただ仏像とは制作した精神自体が違うのでしょう。
一種異様ともいえるヴァナキュラーな迫力が感じられ、眼が離せなくなってしまいました。

他方、平安後期、12世紀頃に造られたとみられる像になると、胴体の部分は極端に薄くなり、身体性そのものが様式化されているようです。
といっても、例えば定朝様式以降の平安仏がもつ典雅さとは全く違う、妙に親しみやすさと超越性が混じり合ったような雰囲気が感じられます。
中には非常に厳しい、まるで祟り神のような表情をもった像もあり、時代によって様々に祈りの対象として姿を変じてきたことがわかります。

顔面と装束に鮮やかな彩色が残る主祭神像。
男神天忍穂耳尊、女神は栲幡千々姫命です。
天忍穂耳尊天照大神素戔嗚尊が争った「うけい」の際、「まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと」と名乗って誕生したとされる、とても威勢のある神様ですが、泉穴師神社の像では、女神像ともども、気品と素朴さが混淆したその不思議な表情が印象的です。
泉大津は今でも繊維業が盛んな土地です。
栲幡千々姫命は織物の神様ですから、土地の信仰を古くから受け止めてきた存在なのでしょう。
実に分厚い歴史を感じさせる彫像群です。

 

 

 

 

京博の降幡順子保存科学室長による非常に興味深いレポートが本特集のリーフレットに記載されています(会場内で無料配布されています)。
泉穴師神社神像群の中には、「緑土」といわれる絵具が用いられているものがあることが今回の修理時における科学調査で判明したのだそうです。
奈良時代以降、ミドリ色を施す場合に使用される絵具は、銅からとれるお馴染みの「緑青」が一般的になります。
「緑土(りょくど)」は、緑青とは全く違い、海緑石(セラドナイト)と呼ばれる粘土鉱物から作られる絵具で、時代的には仏教伝来以前、九州の装飾古墳壁画等で使われていることが確認されているそうです。
つまり、泉穴師神社の神像が制作された平安から鎌倉時代には、もはや主流ではなくなっていた絵具ということになります。
「緑土」は、大将軍八神社の神像でもその使用が確認されているそうですから、「神像」の彩色に関する当時の「こだわり」のようなものが類推できそうです。
しかし、緑土自体は、南北朝から桃山にかけての「磨崖仏」「石仏」にも使われていることから、単純に「神と仏で使い分けた」ということでもなさそうです。
今後の調査で「緑土」と「緑青」に関する「使い分けのルール」がもし判明したりすると、それは「ミドリ色」に関する大発見ということになるかもしれません。

泉穴師神社には行ったことがないのですけれど、今回の特集展示で俄然、興味がわいてきました。

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さて、今年は京都文化博物館で「松尾大社展 みやこの西の守護神」の開催も予定されています(2024年4月27日~6月23日)。
神像といえばなんといってもここの「三神像」ですからどんな企画に仕上がるのか、今からとても楽しみな特別展です。