宝島|ギヨーム・ブラック

 

渋谷のユーロスペース他、限定的な上映規模ではありますが、ギヨーム・ブラック(Guillaume Brac 1977-)監督による「宝島」(L'Île au trésor 2018)が公開されています(配給はエタンチェ)。

とっても不思議に魅力的な「ドキュメンタリー」映画でしたので備忘録的雑文を記しておくことにしました。

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パリ北西の郊外、セルジー=ポントワーズにある「余暇の島」"Île de loisirs"、つまりレジャーランドが舞台です。
一見、海辺の砂浜のようにもみえますが、ここはおそらく川に接続する小さな湖で、そこに遊泳できる浅瀬や、ボートを浮かべて楽しむエリアなどが設けられています。

cergy-pontoise.iledeloisirs.fr

 

ギヨーム・ブラックはエリック・ロメールを敬愛しているのだそうです。
ロメールは1987年、「友だちの恋人」(L'Ami de mon amie)をセルジー=ポントワーズで撮影しています。
ブラックはロメールも描いたこの都市を、巨匠へのリスペクトもこめて自作のロケ地として選んだということなのでしょう。

ただ「友だちの恋人」では、例えば主人公の女性はリカルド・ボフィルが設計した白亜の列柱が印象的なアパートに住むなど、当時新興の計画都市として姿を現していたセルジー=ポントワーズの「街自体」が主な舞台として特徴的に描かれています。
水辺のレジャーランドが登場する場面は「友だちの恋人たち」二人がウィンドサーフィンを楽しむシーン等、限定的だったともいえます。

 


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ricardobofill.com

 

一方、この「宝島」はほぼ「レジャーランド」だけが描かれている映画です。
ロメールとは対照的に、都市としてのセルジー=ポントワーズはほとんど登場しません。
この「レジャーランド」は全く自然のままの湖ではないものの、完全に人工的なレジャー施設でもありません。
またここには自由に立ち入ることができる場所もあれば、料金を支払う必要がある入場限定エリアもあります。
都市に極めて近接しながら都市とは切り離され、自然のままであるようにみえて人工の施設として運営されている場所。
この不思議な曖昧さをもったロケーション自体がまずとても魅力的な作品です。

「ドキュメンタリー」と紹介されている映画です。
写されているのは、子供達のグループ、監視員、ナンパしたりされたりしている若者たち、施設の管理運営スタッフなどなど。
職業的な俳優は一人も登場していないようですから、確かにドキュメンタリーといえます。
しかし、完全なドキュメンタリーにしてはおかしな部分があることにも気が付きます。
冒頭、保護者の付き添いがないことを理由に入場を断れた子供たちは抜け道的な場所を使って有料エリアに入り込んでいます。
後から監視員に捕まり外に追い出されるわけですが、一時的ではあるにせよ不法侵入という罪を犯しているシーンが撮影されていることになります。
これは明らかに施設側との合意の上に撮られた箇所でしょう。
つまり、この「宝島」は完全に「真実」だけがとらえられたドキュメンタリーではないと考えられます。
自然と人工が曖昧に溶け込んだロケーション同様、登場人物たちもそれが完全に映画と関係ない自然体の仕草なのか、あるいは何がしかの演出が施されているのか、いかにも曖昧に感じられてきます。

ただ、ではここに映された光景が「フェイク」なのかといえば、全くそういう印象も受けないのです。
登場している人々は「セリフ」を語っているようにはみえません。
その場で各々が言いたいことを言っている、それだけなのです。
驚くべきことに、レジャーランドの人々は「カメラ」をほとんど意識していません。
もちろん中には昔話を独白するおじさんを写したシーンなど、撮影スタッフの存在が前提となっている部分もあります。
しかしそうした場面においても、語り手は「インタヴュー」を受けているという姿勢ではなく、「語りたいから語っているだけ」とみえます。

水辺を楽しんでいる人々、不法侵入を試みようとしている子供たち、それらを監視しているスタッフ、売店やチケットブースの店員、天候や気温の変化に気を揉んでいる施設運営者。
彼ら彼女たちは皆、驚くほど軽やかにそして自然に生き生きと画面の中に存在しています。
そこに全く「演技」はありません。
にもかかわらず、あらゆる場面が何がしかの詩的なセンスやペーソス、美しさを伴っているのです。
どうしてこんな映像を撮ることができたのか。
ギヨーム・プラックのマジックに驚くしかありません。

監督やスタッフ、カメラマンたちと被写体との間に、うっすらとあるいはときに幾分濃厚な「信頼関係」がなければこうした「ドキュメンタリー」を創造することはできないでしょう。
相手に警戒感を抱かせないためのテクニックや「愛嬌」のようなものをギヨーム・ブラック自身が天才的に身につけているのかもしれません。

ただいくらなんでもレジャーランドに来ている全ての人々とそうした信頼関係が取り結べたわけではないと思われます。
映画は一日の情景ではなく複数日にわたって撮影されたことが、繰り返される黄昏のシーンによって示唆されています。
監督ブラックはおそらく膨大な時間をかけてここに来た人々の姿を収録したのでしょう。
その中から、絶妙な信頼関係が構築できた人々のシーンが90数分間に編集された作品とみることができそうです。

とはいえ、例えばボート乗り場スタッフの若者と彼に誘われて高所から一緒に水中に飛び込む女性のシーンは、マジックアワーのような美しい光線の中で写されていて、綺麗に円を描く波紋まで含め、ほとんど「奇跡」のような映像として出現します。
ブラブラとレジャーランドを歩き回っていただけでは撮影できない名シーンであり、ここには紛れもなく監督ギヨーム・ブラックの「眼」が存在しています。

老若男女、多彩な人物たちがくるくると入れ替わっていきます。
中には辛い過去を背負った夜間監視員の男性なども登場し、この「レジャーランド」が決して能天気に楽しいだけの場所ではないことが表現されたりもします。
しかし、そうした重々しい存在の人物を含め、ブラックがとらえた人たちはいずれもなぜか「肯定的」な気配を漂わせています。
この「余暇の島」がもつ独特の軽さが人々をそうさせているのかもしれません。
その意味で、ここはタイトル通り"L’Île au Trésor"、「宝島」なのでしょう。
酷暑が続くこの時期にぴったりの素晴らしい映画でした。

 


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