シークレット・ディフェンス|ジャック・リヴェット

 

特集「もうひとつのジャック・リヴェット傑作選2024」中の一本として、「シークレット・ディフェンス」(Secret défense 1998)が近所のミニシアターで上映されたので鑑賞してみました。
リヴェット(Jacques Rivette 1928-2016)後期に属する作品で、俳優陣も比較的豪華なのですが、日本での公開は今回が初めてなのだそうです。
(提供:マーメイドフィルム、Respond・配給:マーメイドフィルム、コピアポア・フィルム)

jacquesrivette2024.jp

 

173分。
十分に長いわけですけれど、リヴェット監督作品としては標準的な範囲に収まっているともいえます。
その大部分、ほぼ出ずっぱりで物語を牽引していく存在が主役シルヴィーを演じたサンドリーヌ・ボネール(Sandrine Bonnaire 1967-)です。
彼女の登場しているシーンが8割以上を占めているのではないでしょうか。

リヴェットは女性キャラクターをとてもチャーミングに演出して楽しませてくれる監督です。
ただ、これだけ一人の俳優に焦点をあてているスタイルの作品は珍しいのではないかと思います。
ボネールにしても、この作品ほどの時間比率で出演している映画は、出世作でもあるアニエス・ヴァルダが監督した「冬の旅」(Sans toit ni loi 1985)以来なのかもしれません。

余談ですが、昨年久しぶりに各地でリマスター版が劇場再映された「冬の旅」は、現在、Amazon Prme Videoの見放題プログラムとして配信されています。
ヴァルダとボネールの魅力が全開した作品であり、いまだに色褪せない傑作だと思います。

 

さて、この「シークレット・ディフェンス」はソフォクレスの悲劇「エレクトラ」を強く意識している映画です。
アガメムノンを母とその愛人に殺されたエレクトラが弟と復讐を遂げるという、よく知られたこのお話が、雰囲気や結末は当然にかなり違いますけれど、意外にも忠実に汲み取られているように思われました。

リヴェットは特にその後期において、戯曲的要素を映画に取り込むことをとても好んだ人です。
この映画でも、ギリシャ古典劇「エレクトラ」を扱っていることに加えて、その構造自体に関しても戯曲的な面が色濃く感じられます。
本作は、大雑把にとらえるなら、各々1時間くらいで描かれた三幕仕立ての戯曲とみることができるかもしれません。
事故によるとされた父の死が、当時同僚だった男で今は母の愛人となっている兵器産業企業の社長ヴァルサー(イエジー・ラジヴィオヴィッチ)による仕業と思い込む弟(グレゴワール・コワン)と、彼に復讐をさせないため姉(ボネール)が動き出すまでを描いたパリでの情景が第一幕にあたります。
第二幕はパリから遠く離れたシャニーの古風な居館で、社長秘書の女性(ロール・マルサック)とその妹(マルサックの二役)を巻き込みながら繰り広げられるシルヴィーとヴァルサーによる皮肉な復讐劇。
第三幕ではパリから再びシャニーを訪れた主人公が母(フランソワーズ・ファビアン)から因業な父をめぐる事件の真実を告げられた後、一気にカタストロフへと向かうプロセスが描かれています。
派手なアクションや官能的シーンはありません。
それでも3時間近くかかるこの映画が、不思議と極端に長く感じられないのは、こうした明確な戯曲的構造によって、全体として冗長さが遠ざけられているからなのかもしれません。


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さらにこの映画を特徴づけている要素が「電車」と「電話」です。
パリでのメトロや、ディジョン経由でシャニーに向かう際のTGVなど、列車での移動シーンが頻繁に登場します。
リヴェットは車窓を大きくとらえながら、ボネールの表情を終始一貫して克明に映し出していきます。
ヴォイスオーヴァーによるモノローグが全く使用されていないにも関わらず、主人公の心理状況がこの移動場面をみていると、言葉を超えて観ているこちら側に侵入してくるように感じられます。
「電車」は彼女の父の死そのものにも直結していますから、この映画全体を象徴するファクターということもできそうです。
メトロのオステルリッツ駅、プラス・ディタリー駅、SNCFのリヨン駅やディジョン駅と、主人公が使った駅の存在がいちいち明示的に撮影されることで、「空間」が鑑賞者に現実的なものとして認識される効果も生み出しています。
「電車」に三幕をつなぐ幕間的な役割をもたせることで、構成をわかりやすくするという意図もあったのかもしれません。

携帯電話やスマホが現在ほど普及していない時代、登場人物たちは留守番電話機能付きの固定電話でコミュニケーションをとっています。
電話は仕事中でもお構いなしにかかってきて主人公を苛立たせる一方、肝心のときには虚しく留守電メッセージが繰り返されるばかり。
90年代がリアルに伝わってきます。
しかし、一方で、通話時において主人公が聞く話者の声はとてもクリアーにリアルさを伴って響きます。
コミュニケーションが取れそうでとれないない焦燥感と、それとは逆の生々しい声の存在感。
頻繁に登場する電話シーンによって主人公の心理が夾雑物なく炙り出されていくかのようです。

「シークレット・ディフェンス」には、それまでのリヴェット作品がもっていた、悲劇と喜劇の目まぐるしい交代や、時空の跳躍、現実と幻想の混淆といった要素がほとんどみられません。
この監督の作品としては極めて分かりやすいサスペンス映画といえます。
ボネールはもちろん、俳優陣はリヴェットの演出術に見事に応えていて、映画というより「舞台」を観ているような臨場感がどの場面からも伝わってきます。

ただ、リヴェットらしい、なんとも形容し難い絶妙な「軽さ」が、この映画からはあまり感じられないのです。
全編を支配する空気感はどこまでもシリアスであり、そこが妙な「硬さ」につながっているようにも感じられます。
自由自在に物語と演者たちを掻き回して幻惑してきた「リヴェットの魔法」は、先述した「電車」と「電話」のテクニックによる冴えはあるものの、この映画では出現していないようです。

関節が少し硬くなってしまったような監督に代わって、映画世界を非常に美しく滑らかに仕上げてくれているのが、撮影を担当したウィリアム・リュプチャンスキー(William Lubtchansky 1937-2010)なのでしょう。
サンドリーヌ・ボヌールの姿を軽やかかつ艶かしくトレースしていて見飽きることがありません。
列車の車窓を流れるパリやディジョン、シャニー周辺の景色には「カメラの魔法」が現れているようにも感じられました。

BGMはほとんど使われていません。
テーマ音楽としてジョルディ・サヴァールエスペリオンXXによる、おそらくスペイン系の古楽がエンドクレジットに流されていました。

悲愴な誤解による「復讐」があまりにも皮肉的に連鎖するという物語自体はとても面白いのですけれど、派手な演技が排除されているためか、特に「事件」を起こした後の主人公の行動に良識派の観客は疑問を呈してしまうかもしれません。
この映画の約7年前に撮られた「美しき諍い女」ほどの「話題性」がなかったこともあって、日本での公開が今頃になってしまったようです。
しかし無駄が省かれた晩期リヴェットの美しい話法が堪能できる作品であることは確かであり、今回の特集上映に感謝しています。

 

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