アジール・フロッタンとポリニャック公爵夫人

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アジール ・フロッタン復活展 −ル・コルビュジエ前川國男が残した浮かぶ建築−

■2022年3月23日 〜4月3日
京都市京セラ美術館 (光の間)

 

 

神戸、横浜で開催されたアジール・フロッタン展が京都に巡回してきました。

京都市美術館北回廊の入口「光の間」のニッチなスペースを使っての、やや変則的な展示。

入場料は100円です。

 

セーヌ川に浮かぶアジール・フロッタンの形状を意識してなのか、たくさん細長いテーブルが並べられ、その上に図面資料や模型などが置かれています。

この数奇な船がたどってきた、文字通り、その浮沈の歴史を丁寧に解説しています。

 

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アジール・フロッタンの所有権は、現在、日本建築設計学会にあります。

 

この状況に至った、気が遠くなるようなその複雑な経緯は、同学会が作っている「アジール・フロッタン復活プロジェクト」のホームページで確認することができます。

フランス人がいわば見捨てた船を日本の建築家たちがサルベージするという異様とも言えるそのプロセス。

日本におけるコルビュジェの威光がその輝きを失っていないことを実感させます。

 

www.asileflottant.net

 

第一世界大戦期に建造された石炭積載用コンクリート船を、難民救済のための「浮かぶ避難所」としてル・コルビュジエがリノベーションしたのが1929年。

当時、コルビュジエのアトリエで研鑽を積んでいた前川國男もその実務に参加しています。

施主は救世軍です。

その救世軍にリノベーション費用を寄付し支援した人物がウィナレッタ・シンガー(Winnaretta Singer 1865-1943)です。

アジール・フロッタン誕生の背景にこの女性がいたことは今回の展覧会ではじめて知りました。

 

ウィナレッタ・シンガーはストラヴィンスキープーランク等の音楽が好きな人なら、すぐに気がつく有名人です。

むしろ、エドモン・ド・ポリニャック公爵夫人(Princess Edmond de Polignac)という名前の方がフランス近代音楽愛好家界隈では通りやすいかもしれません。

 

ストラヴィンスキーの「狐」や、プーランクのオルガン&ティンパニ協奏曲などは彼女が作曲を委嘱したことで生まれた作品。

他にもラヴェルが「亡き王女のためのパヴァーヌ」を献呈していたりと、フランス近代音楽史には、彼女の名前が頻繁に登場します。

 

www.youtube.com

 

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彼女はシンガーミシン創業者の娘として生まれたアメリカ人です。

夫となったポリニャック公爵は、世紀末パリ社交界の中心にいた人で、『失われた時を求めて』に登場するシャルリュス男爵のモデルといわれるロベール・ド・モンテスキューともお仲間であったといわれています。

ウィナレッタ自身も同性愛者であり、アジール・フロッタンのリノベーション資金援助もその方面のつながりによることが展示資料の中でわかりやすく説明されています。

 

しかし、ポリニャック公爵夫人ウィナレッタは、単にお金の面で支援しただけではなく、リノベーションの設計担当として彼女自らがル・コルビュジエを名指しで推薦してもいるのです。

ミシンで成功した実家の財力にまかせて慈善事業を行ったというレベルではありません。

明らかにコルビュジエの設計センスを認識した上で、彼女は援助を行なっているのです。

これには驚きました。

 

展示説明資料の中に、アジール・フロッタンに関する人物相関図が用意されています。

ウィナレッタ・シンガーの同性愛つながりによる人物関係も含め、非常に複雑な人たちが絡んでいたことがわかる労作だと思います。

ウィナレッタが雑誌「エスプリ・ヌーヴォー」(L'esprit Nouveau)を定期購読していたことも人物相関図の中に記載されています。

この雑誌はル・コルビュジエアメデエ・オザンファンたちと共に創刊したもの。

コルビュジエの建築思想を豊富に含むテキストが掲載されていました。

中にはずばり「船」をとりあげた記事もあります。

ウィナレッタ・シンガーは、コルビュジエの才能を深く理解した上でアジール・フロッタンのリノベーション・プロジェクトに推薦していたということになります。

この公爵夫人は近代音楽のパトロンという役割にとどまらず、当時最先端の建築思想にも目を配っていた才人でした。

 

ル・コルビュジエアジール・フロッタンの後、代表作「サヴォア邸」を完成させています。

つまりこのリノベーション設計は、コルビュジエが彼のいわゆる「建築5原則」を完璧に近くカタチにしはじめた時期と重なっているということになります。

そして、この少し前、1926年から28年にかけて設計された「スタイン=ド・モンツィ邸」をみると、屋上部分にまるで船のデッキにある構造物を思わせるような造形もみられます。

ポリニャック公爵夫人が推薦した設計者は、どうみても当時、その再生事業に最も相応しい才能を持った人物だったと思わざるをえません。

1929年に行われたリノベーションの価値が、2022年、一旦はセーヌに沈んだこの船をサルベージする原動力になっています。

 

あらためてウィナレッタ・シンガー、ポリニャック公爵夫人の先見性に富んだセンスに驚かされた企画展でした。

 

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スタイン=ド・モンツィ邸模型(2019年の国立西洋美術館ル・コルビュジエ展より)

 

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