河原温からの葉書|ミニマル/コンセプチュアル展

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ミニマル/コンセプチュアル:
ドロテ&コンラート・フィッシャーと1960-70年代美術

■2022年3月26日〜5月29日
兵庫県立美術館

 

昨年10月、DIC川村記念美術館からはじまったMinimal/Conceptual展が、愛知県美術館を経て最終巡回地である兵庫県立美術館にやってきました。

約半年の国内巡回期間。

海外から作品を招いての大型展にしてはやや短い印象があります。

都内での開催もありません。

きわめて充実した内容の展覧会なのでちょっともったいない感じがします。

www.artm.pref.hyogo.jp

 

1967年、デュッセルドルフでオープンしたドロテ&コンラート・フィッシャー夫妻のギャラリーは、当時、最先端の潮流であったミニマルアート、コンセプチュアルアートを多く紹介したことで知られています。

ギャラリー所縁の作品や資料は、夫妻の死後、ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館が受け継いでいます。

 

今回の企画展は同美術館のコレクションがベースになってはいますが、実は多くの作品が日本国内の美術館、ギャラリーからの出展品となっています。

東京都現代美術館からはダン・フレイヴィンの「無題(タトリンのためのモニュメント)」やロバート・ライマンの「君主」。

北九州市立美術館からはベトヒャーの写真群。

パレルモの作品は広島のヒロセコレクションからと、東西のミュージアム、ギャラリーがこの展覧会のために逸品を提供しています。

中でも滋賀県立美術館が出展したソル・ルウィットの「ストラクチャー(正方形として1,2,3,4,5)」は本展の顔として存在感を放っていました。

 

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ソル・ルウィット「ストラクチャー」(ポスターより)

 

フィッシャー・ギャラリーは、あくまでも作品を展示する「場」であり、夫妻も作品自体の収集を目的に活動していたわけではありません。

この展覧会の素晴らしさは、ボリュームの大きい作品自体をデュッセルドルフからたくさん取り寄せて物理的に圧倒する方針をとらず、フィッシャー夫妻のコンセプト=概念自体に重きを置き、ギャラリーが吸引した60,70年代の先鋭なアーティストたちとの交流の「磁場」そのものを依代として全国の美術館から作品を集め、展開しているところにあります。

コンラート・フィッシャーと様々なアーティストたちとのやりとりを記したレター等を手がかりとしながら、日本各地のミニマル/コンセプチュアルアート作品を組み合わせた展覧会。

形態としてまさにミニマルであり、コンセプチュアルであるともいえます。

 

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とはいえ、しっかりデュッセルドルフから物質として重みのある作品や、滅多に見ることができない「コンセプトの塊」のような珍品も来日しています。

冒頭で展示されている作品はカール・アンドレの《雲と結晶/鉛、身体、悲嘆、歌》。

1996年、コンラート・フィッシャーが亡くなった年に製作された144個の立方体が県美の木床に静かに置かれています。

また、数字に異様なこだわりをもち続けたハンナ・ダルボーフェンの紙片は、見ているだけで脳が直接息苦しさを覚えるような狂気に満ちていて圧倒されました。

 

河原温はフィッシャー・ギャラリーでの個展を1971年に開催しています。

当初、デュッセルドルフでの個展開催に戸惑いを覚えていたらしい河原ですが、フィッシャーとのやりとりの中で、信頼関係を築いていったようです。

個展が開催される前、1969年4月1日から7月30日までの間、河原はコンラート・フィッシャーに宛てて《I Got Up》の絵葉書を送り続けました。

120枚にもおよびます(フィッシャーの証言によると、5月8日の葉書のみ郵送途中で紛失したとのこと)。

 

河原はいろんなアーティストやキュレーター、ギャラリストたちにこの《I Got Up》葉書を送っています。

例えば奈良原一高や、河原と同じようにニューヨークで活動していた後藤克芳などなど。

毎日のように届くニューヨークの名所が印刷された葉書。

しかしそこに河原自身がペンで書いた事柄は一切なく、ゴム印で押捺された即物的な文字があるのみです。

この葉書を受け取りつづけた側はどんな感情、感想を抱くのでしょうか。

生身の河原温の存在が丁寧に拭い取られているのに、そこには逆説的に河原自身の存在が鋭く焼きついている夥しい葉書群。

丁寧に保管されたコンラート・フィッシャーの河原葉書からは、アーティストとギャラリストの無言の対話が聞こえてくるように感じます。

 

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河原温《Today》(東京国立近代美術館「眠り展」より)

 

一昨年、2020年秋、東京国立近代美術館で開催された「眠り展」に河原温の代表作、《Today》シリーズが何点か展示されていました。

本展でも名古屋市美術館が所有する《Today》が3点、出展されています。

「眠り」をテーマとした東近美の企画展になぜ河原の《Today》が展示されていたのか。

それはこの日付のみを記した作品に、河原の「一日」が溶け込んでいたから、です。

この作品は24時間以内に仕上げられなければ完成されないというレギュレーションを河原が自らに課して製作されています。

一つの作品が完成されるまで、河原がどんな肉体及び精神状態であったのか、丁寧に筆致が消し去られた《Today》の表面から窺い知ることはできません。

ひょっとしたら、描いている途中、睡眠をとったかもしれない。

あるいは一睡もしなかったかもしれません。

「眠り」という行為、概念そのものが、その有無を含めて、一個の作品の中に入り込んでいるといえなくもありません。

だから「眠り展」でとりあげられていたのです。

河原温がコンラート・フィッシャーに送り続けた葉書には、河原自身の存在が、その存否を含めて、最小限に切り詰められた手段によって貼り付いています。

一方、河原自身にも受け取り手であるフィッシャーの存在が無重力のプレッシャーとして伝達されたはずです。

まさにミニマル/コンセプチュアルの見本のような「葉書」です。

 

最高にかっこいい展覧会でした。

 

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