MoMAK開館60周年 戦後日本映画を振り返る:動く美術、動かす技術 ー アートと映画
「山中常盤」
■2024年2月25日 14時上映
■京都国立近代美術館1階講堂
京都国立近代美術館が京橋の国立映画アーカイブと連携して継続している企画「MoMAK Films」の一環として面白い日本美術関連の映画が上映されました。
2004年、自由工房によって製作されたドキュメンタリー「山中常盤」です。
岩佐又兵衛(1578-1650)とおそらくその工房によって描かれたとされる「山中常盤物語絵巻」は現在、熱海のMOA美術館が所蔵しています。
全12巻から成り、全長約150メートルにも及ぶという長大な絵巻です。
かつてMOA美術館では全巻を一挙に公開したこともあるそうですが、よほどのことがないかぎり一気見は難しい重要文化財。
部分的であれば、いわゆる「江戸奇想絵師」たちを特集した企画展などに登場することがあります。
私も全巻を鑑賞したことはなく、常盤御前が野盗に襲われるシーンなど、そのごく一部を観たことがあるにすぎません。
この映画はキネマ旬報のデータベースをみると「山中常盤 牛若丸と常盤御前 母と子の物語」というタイトルで登録されています。
第78回キネマ旬報の「文化映画ベストテン」では第2位(第1位は原村政樹監督「海女のリャンさん」)、2004年度の日本映画ペンクラブ賞ノン・シアトリカル部門で第1位を獲得した作品で、国立映画アーカイブの他、今回のようにミュージアム等における個別上映というスタイルで公開されることが多いようです。
初めて鑑賞する映画です。
「山中常盤物語絵巻」は前述の通り150メートルもありますから、ざっくりと1シーンを1メートルに区切って単純に1分間隔で撮影しても150分はかかってしまうことになります。
本作は100分です。
美術ドキュメンタリーとしては十分に長いのですが、絵巻を単にダラダラと映像化しているわけではありません。
絵巻自体の映像に加えてこの物語由縁の土地、すなわち源義経が頼った奥州平泉、常盤御前が参詣したという清水寺や石清水八幡宮の映像などが時折挿入され、喜多道枝による落ち着いた声質によるナレーションがこれに被されます。
平面的な絵巻の図像ばかりではさすがに鑑賞者の忍耐力に不安を感じたのでしょう。
山河の風景等を適宜織り交ぜつつ、片岡京子演じる又兵衛の母をイメージした女性なども登場させて映像に厚みをもたせています。
ただそうした演出によって、2004年の映画であるにもかかわらず、全体の雰囲気としてはこの時代以前にみられた古風な教育系ドキュメンタリーとしての色彩、あるいは「岩波映画」的な気分を少し残しているようにも感じられました。
しかし、この「山中常盤」は絵巻本編に付された音楽、つまり「浄瑠璃」の素晴らしさによって、単なるお勉強系の教育映画とは一線を画す異様な迫力を生み出してもいます。
もともと「山中常盤」は人形浄瑠璃の演目でした。
ただし浄瑠璃としては絶えてしまっているためどのような音楽が付されていたのかは当然にわかりません。
本作では義太夫の人間国宝鶴澤清治(1945- 重要無形文化財保持者認定は2007年)の作曲による新曲が制作され、豊竹呂勢太夫(1965-)によってその浄瑠璃が画面とシンクロして演じられます。
この音楽が素晴らしいのです。
まるで絵巻そのものが芝居に変じたかのような映像が繰り広げられ、息つく暇もない又兵衛ワールドが展開します。
監督の羽田澄子(1926-)はこの作品の前、片岡仁左衛門を追ったドキュメンタリーを撮っています。
おそらく歌舞伎の世界に浸った経験が「山中常盤」にも濃厚に活かされているのでしょう。
鶴澤清治の音楽は少し近代邦楽のカラーを取り入れつつわかりやすさと古典的な格調を両立していて絵巻のもつ世界観と驚くほど自然に合一しています。
びっくりしました。
この映画は美術映画であると同時に「古典邦楽映画」でもあるのです。
映画の冒頭近くで、これも岩佐又兵衛が描いたとされる国宝「洛中洛外図屏風」(舟木本・東京国立博物館蔵)が登場し、四条河原あたりの芝居小屋で実際に「山中常盤」が上演されている場面を描いた部分が写し出されます。
江戸時代初期における「山中常盤」の人気ぶりを又兵衛本人の作品によって本編前の導入とする、非常に巧みな構成です。
この映画には又兵衛人気に拍車をかけた張本人の一人、辻惟雄の名前がオブザーバーとしてクレジットされています。
こうした演出上の工夫には彼や日本美術関連の識者たちによるアドバイスが取り入れられているのかもしれません。
絵巻は一般的に右から左に向かって読み進めていきます。
映画も基本的にこの鑑賞アクションを尊重していますが、しばしばカメラはストーリーの進行に合わせて、あえて逆行したり人物像をクローズアップしたりと縦横無尽に又兵衛の筆をとらえています。
大スクリーンに投影されても、というよりも、むしろ大画面だからこそこの異常なまでのテクニックをもった絵師の筆致が眼前に迫ってきます。
驚くべきことに又兵衛の「線」はどんなに拡大されても全く破綻が見られません。
常盤や牛若丸の装束、室内装飾、そして画中画に至るまで、一切のディテールに手抜きが認められないのです。
実物鑑賞とは別のアート体験ができるという意味で「山中常盤」は第一級の美術映画です。
他方で、「映画らしさ」を少し意識したカメラワークによって、この絵巻のもつ本来の異様さが少しわかりにくくなっている面もあるかもしれません。
「山中常盤物語絵巻」は大きくみて二つのクライマックスをもっています。
一つは常盤御前とその従者が美濃国山中宿の旅籠で六人の野盗に惨殺されるシーン、もう一つは牛若丸によってその六人が復讐の成敗を受ける大立ち回りの場面です。
いずれも、まるでアニメーションのように、同一の背景によって連続した場面が重複を厭わず執拗に描き込まれています。
血まみれになりながら死んでいく常盤御前の凄惨なプロセスと、輪切のように切り刻まれていく野盗たちの姿は、絵巻をシンプルに右から左へと見ていくことでその異様さと迫力が伝わるように描かれています。
ですから途中で逆行したりクローズアップされると又兵衛がこだわり抜いた「残酷の連続絵」としての面白さがやや後退してしまいます。
「映画」としての面白さと「絵巻」としての美しさの両立は、それぞれに鑑賞方法が全く違う以上、難しい部分があるのかもしれません。
とはいえ、先述の通り、浄瑠璃のサウンドとカメラによる視線の合体威力は凄まじいものがありますから、「映画」としてはやはり成功しているとみて良いのでしょう。
平泉から美濃山中に帰還する義経一行を描いたラストシーンは煌びやかな浄瑠璃の音曲に彩られ、この種の文化映画としては異例なくらい華麗です。
当然にMOA美術館が全面的に協力していますが、東博など多彩な文化施設の参画も確認できます。
全体の美術デザインは朝倉摂が担当し、浄瑠璃以外のピアノ音楽は高橋アキによるサティが使われるなど、細かいところまでクオリティの高さに配慮されている作品でもあります。
35ミリフィルムのアナログ的に味わい深い映像美も堪能できました。
素晴らしい上映企画だったと思います。