開館1周年記念展
デザインに恋したアート♡アートに嫉妬したデザイン
■2023年4月15日〜6月18日
■大阪中之島美術館
アートなのかデザインなのか?
こんな実にストレートな難問に観客をスマートに巻き込んでいく、その企画センスが光る特別展です。
以前、各地の展覧会で「大阪市立近代美術館準備室蔵」というプレートを伴った近代工芸や家具作品などを目にする機会がしばしばありました。
昨年ようやく「大阪中之島美術館」の名で開館したこの美術館が、その長い準備室期間の中で、収集方針の柱の一つとしていた分野が、モダンデザイン&アートです。
この開館1周年記念展はこれまでの特別展の中で、ある意味、最も「大阪市立近代美術館」らしい企画となっているかもしれません。
とはいっても、単に自慢の近代コレクションを羅列しただけでは面白くないと判断されたのでしょう。
展示対象を主に1950年代以降の日本人アーティスト&デザイナーの作品に限定。
その上で、自前の収蔵品だけでなく、パナソニックやソニー、KDDIなどといった企業や他館からのレンタル品を組み込み、バリエーションの拡大が図られていました。
ポスターやインダストリアルデザインと当時の前衛芸術などを並置することによって、観客に「比較」の楽しさを提供しています。
面白いのは、作品群の前に設置されたアンケート集計装置です。
タッチパネル式のバーの左右に"DESIGN"ー"ART"の極が設けられていて、観客が作品から受け取った印象を選択してもらうシステム。
単純な二者択一ではなく、デザイン寄りなのかアート寄りなのか、グラデーションをつけて回答できるようになっていますから、直感的にも、熟慮の上にも、スマートに回答できます。
ついつい操作してみたくなってしまう、UXを巧みに組み入れた試みと感じました。
集計結果が会場の出口近くに巨大な速報映像として公開されています。
概ね、アートかデザインか、観客の答えと自分自身の答えが一致していたのですが、中には全く違う結果になった作品もあります。
例えば、田中一光の「尖った花弁#1」と「ゆり#1」(いずれも奈良県立美術館蔵)。
ポスターでもロゴデザインでもない、純粋に田中が造形と向き合った作品です。
私はこの作品に「デザイナーとしての田中一光のエキス」をみて、"DESIGN"極を選択したのですが、集計結果は圧倒的に"ART"でした。
仮に作家を知らずに作品だけ見たら、私も"ART"極を選択したかもしれません。
「みえ方」は、人それぞれ。
そこが楽しい展覧会です。
かなり安直かつ、通俗的に解釈すれば、アートが、それ自体、表現として「自足している創造物」であるのに対し、デザインは、なんらかの「目的のために創造されたもの」ということになろうかと思います。
しかし、ここに展示されている作品群をみていると、即座に、それほど単純に割り切れる話ではないことに気がつきます。
例えば、倉俣史朗(1934-1991)による椅子、「Miss Blanche」(1988)。
分厚い透明なアクリルの中に真っ赤な造花のバラが舞っている有名な作品です。
「座る」という目的のために創られた物体としては、あまりにも非合理的な椅子。
タイトルは『欲望という名の電車』に登場する主人公、ブランチ・デュボワの名に因んでいます。
イメージからも作品名からも、これが単なるデザインの一種と割り切ることはできません。
では純然たるアートなのか、といわれれば、それにも違和感を覚えます。
これはあくまでも「椅子」であることに間違いはなく、バラもデュボワの名前も関係なく、「座る」という目的と機能性を完全に充足しているのです。
岩田義治(1924-)がデザインした東芝の「自動式電気釜 RC-10K」(1958 日本デザイン振興会議蔵)という炊飯器が展示されています。
全く無駄のない、「目的」そのものに徹しているような美しくクラシカルな製品です。
しかし、これを例えば『解放』とでも題してプレーンな空間に陳列したらどうなるでしょうか?
炊飯の手間から主婦を解放した救世主として、途端に電気釜は「アート性」を帯びてくるようにも感じます。
大袈裟にいえば、意味もレベルも違いますが、デュシャンの「泉」と、同じ原理です。
一方で、例えば、名和晃平(1975-)がKDDIとコラボした「PixCell-TV」や「PixCell-PRISMOID」(2010 KDDI蔵)のように、目的あるいは機能とアートが直接「貼り付く」ような作品もみられます。
受像機側あるいは携帯電話側からみれば、名和のクリスタル球体は全く必要性がない要素です。
しかし、完全にコモディティ化してしまったこれらの製品に、名和の「アート」が貼り付くことで、商品としての差別化が図られたということもできます。
とすると、ガラス玉で覆われたテレビやケータイは「デザイン」なのか、ということになりますが、本来の機能性や使いやすさが著しく毀損されたこの製品をみれば、そう言い切ることもできません。
松下電器産業が1964年に開発したステレオ「飛鳥」SE-200は、ラジオ&レコード再生装置と和洋を問わない居室空間のマッチングという、明確な「目的」に徹した製品です。
その徹底した機能性と、ある意味「消極的」なデザイン性(和空間を邪魔しないという)によって、今や、単なるレトロ趣味を超え、「アート」といっても良いような孤高の佇まいを漂わせているようにも感じます。
逆に、CD時代がそそくさと幕を閉じつつあり、アナログレコードが局地的にせよ復権している現在、「飛鳥」を再生産すれば、そのモダンアート性がマーケットには意外と受け入れられる、かもしれません。
とすると、やっぱり、この美しいプロダクトは「デザイン」に属する、ということになるのでしょうか。
話が堂々巡りしてきました。
結局、アートなのかデザインなのか、人それぞれ見方は全く違いますが、「良いものは良い」という、ことなのかもしれません。
図録もとてもユニークに仕上げられています。
バインダー形式になっていて、一枚のカードに作品紹介が印刷され、綴じ込まれています。
例えば、すべてのカードを取り出して、"DESIGN"ー"ART"、どちらに置くか、並べてみるという遊びもできそうです。
ただ、全部で111枚ありますから、それなりにハードなプレイになるとは思います。
写真撮影は作品単位で細かく可否が設定されています。
中には「撮影禁止」マークが見えにくいところにあって、うっかりスマホをむけてしまいそうになる作品もあるので注意が必要です(監視スタッフさんが駆けつけてきます)。