英国キュー王立植物園
おいしい ボタニカル・アート 食を彩る植物の物語
■2023年6月10日〜7月23日
■西宮市大谷記念美術館
新宿のSOMPO美術館、静岡市美術館と、昨年から各地を巡回している英国ボタニカルアート展。
現在、香櫨園の西宮市大谷記念美術館で開催されています。
キュー・ガーデン(Kew Gardens・キュー王立植物園)が所蔵するクラシカルな植物図等をコアにしながら、野菜や果物、さらには茶葉やコーヒー、アルコール類にハーブまで、広範にイギリスの食文化を扱っていて内容はかなり多彩です。
16世紀頃から本格的にあらわれたいわゆる植物画は、実際の植物を分別可能な品種として識別するための見本として描かれはじめました。
特に野菜や薬草などは有毒のものも当然あるわけで、それが口にできるものなのか正確に判断する必要があります。
こうした要求に応えるかたちで、例えばニコラス・カルペパー(Nicholas Culpeper 1616-1654)が出版した『カルペパー薬草大全』などは驚異的なロングセラーになったといわています。
この企画展に集められた植物画も、当時科学的情報として利用されることを前提に正確性を優先して描かれたものが大半を占めています。
しかし、例えば今回大きく特集されているウィリアム・フッカー(William Hooker 1779-1832)が著した『ポモナ・ロンディネンシス』(Pomona Londinencis)に描かれたリンゴなどのフルーツ画を観ていると、単なる「標本画」ではなく果実がもっている「おいしさ」までが明かに伝わってきます。
科学的な正確さと「食欲」に訴えかけるほどの果実としての美しさが両立しているのです。
『ポモナ・ロンディネンシス』にはロンドン近郊で栽培されていた果物が描かれています。
ロンドンは、よく知られているように、緯度で比較すると札幌より北にある都市です。
暖かい海流の影響で厳寒の地にはなっていませんけれども、基本的には寒いところであり、害虫が発生しにくいことからリンゴなどの生育には適していました。
貪欲に新しい味覚を求めた英国人たちによって世界各地からロンドンにもたらされたさまざまな品種の果物が、フッカーによって見事に描きわけられています。
ただ、フッカーはあくまでも植物学の立場で描写しているのであって、フルーツ広告のように実物より美味しく見せようとはしていません。
正確に写実的に描けば描くほど、果物が本来もっている「美味的な美」があらわにされてしまったともいえそうです。
このボタニカル・アート展では植物画からモチーフのヒントを得たとみられるテーブルウェアの数々も紹介されています。
イギリスといえば当然に紅茶です。
ウェッジウッドやロイヤルウースターによる古いティーカップやポットなど、数多くの品々が展示されています。
中にはアーツ・アンド・クラフツ風の壁紙デザインを背景に、実際テーブル上に器類がセッティングされた展示等もみられました(テーブルウェア展示のみ写真撮影可となっています)。
さて、かつて日本でもお馴染みだった英国陶磁器に「ミントン」(Minton)があります。
1793年にトーマス・ミントンによって創設された老舗メーカーですが、1973年にロイヤルドルトンの傘下に入り、そのドルトンも2015年にフィンランドのフィスカース(Fiskars)に買収されてしまったことから、同年、ブランド自体が廃止されてしまいました。
名門ウェッジウッド(Wedgwood)も既にフィスカースの傘下にあり、今や名だたる英国陶磁器ブランドの多くがフィンランド企業の支配下にあります。
しかし、その名前と代表的な製品を維持したウェッジウッドやドルトン、ロイヤルアルバート等に対し、ミントンはブランドとしても存続することができませんでした。
英国を代表する陶磁器ブランドの命運を分けたものはどこにあったのでしょうか。
それはフィスカースのブランド戦略にある、といってしまえばそれまでなのですが、今回の企画展を観てなんとなくその理由がわかったような気がするのです。
ミントンは決してデザイン面で保守的な戦略をとってきたメーカーではありません。
1862年にはこの国でもお馴染みのクリストファー・ドレッサー(Christopher Dresser 1834-1904)が参画しミントンのために斬新なデザインを提供しています。
ドレッサーはインダストリアル・デザイナーとなる前、実は植物学を志していた人であり、本展でも紹介されているコーヒーカップ&ソーサーにはモダン化された草花のモチーフがあしらわれています。
ドレッサーはまさにこの「おいしいボタニカル・アート展」にうってつけのデザイナーだったわけです。
ミントンでの仕事は1880年まで続けられ、ジャポニズムをも取り入れた彼のデザインによる器は世紀末を迎えた当時かなりの人気を博していたようです。
ただ、第二次世界大戦後ミントンのデザイン戦略は大きく変化していくことになります。
1948年、ハドンホール城にあったというタペストリー紋様をヒントにミントンを代表するデザインである「ハドンホール」がジョン・ワズワースによって案出されます。
昔、雑貨店の洋食器コーナーで頻繁に見られたあの図柄です(本展には出展されていません)。
パンジーやカーネーションなどの草花が磁器全体に散らされるように描かれていますが、これは「植物画」の伝統というよりは中世以来の紋様がベースになっています。
「ハドンホール」はさほど高価ではなく、親しみやすい図柄がヒットしミントンの定番となりました。
しかし、一世を風靡した「ハドンホール」は2010年代、ブランド自体の消滅とともにグローバルなマーケットから姿を消してしまったわけです。
なお、日本では川島織物セルコンが主に繊維製品図案の関係から取り扱いを継続しています。
一方、名前を残したウェッジウッドです。
ジャスパーやフロレンティーン・ターコイズなどと共に、このブランドの定番として根強く人気がある製品に「ワイルド・ストロベリー」があります(これも本展では展示されていません)。
いかにも伝統的な図柄のようにみえるワイルド・ストロベリーですが、その歴史は意外と浅く、1965年、当時ウェッジウッドで意匠を手がけていたヴィクター・スキレーンという人物によって考案されたものです。
この磁器は写真と実物でかなり印象が異なる製品と感じます。
実物では描かれた野いちごがとても質感高くしかも活き活きと目に感じられるのです。
それはおそらく、スキレーンが、フッカーから続く英国植物画の伝統を意識して図案化しているからではないかと想像しています。
スキレーンは、やや写実性が強すぎる植物画から、適度に「重さ」や「濃さ」をとりのぞき、現代性を加味しながらすっきりとした美観を表現しています。
しかし、よく観察すれば磁器に浮かぶ野いちごの「美味的な美」がしっかり残っていることに気がつきます。
そこがこの製品がロングセラーとして受け入れられている秘密なのでしょう。
ところが、ミントンの「ハドンホール」にはスキレーンが工夫したような「植物画の伝統」がもはや見られません。
写実よりも手書きの質朴さ、フレンドリーさが最優先されています。
しかしその簡素な親しみやすさが、おそらくかなり多くの類似品を生み出す結果ともなったのではないでしょうか。
「ワイルドストロベリー」の緻密な質感を出すことは難しくても、「ハドンホール」の優しい図案のバリエーションはいくらでも他メーカーが真似することができたと思われます。
数多のブランドを傘下にもつフィスカースにとってみれば、ミントン定番の図柄は「陳腐」と認識された可能性があるように思えるのです。
価格的にもミントンは現役当時、ウェッジウッドに比べれは「普及品」といったイメージがありました。
ブランドイメージの点でも存続させる意味がもはや無かったのかもしれません。
結局、ボタニカル・アートの伝統を現代に活かしたウェッジウッドのワイルドストロベリーは残り、タペストリーに起源を持ち家庭的な親しみやすさを優先したミントンのハドンホールは消えてしまった、ということなのでしょうか。
久しぶりにミントンの名前をみて、またもや色々と妄想してしまいました。
なお本展は、引き続き、広島県立美術館(2023年10月6日〜11月26日)、茨城県近代美術館(2024年2月23日〜4月14日)と巡回していきます。