ザジフィルムズの配給で、ジョン・カサヴェテス(John Cassavetes 1929-1989)の回顧上映特集が各地のミニシアターで開催されました。
「グロリア」を除く、代表作6作品がラインナップされています。
素晴らしい企画だと思います。
「ラヴ・ストリームス」(Love Streams 1984)を観てみました。
初見ではありませんが、前に観た時の記憶がほとんど残っていません。
唯一、劇中でカサヴェテス演じる小説家ロバートが女性を口説くときに使う決まり文句、「美女は秘密を持っている」を覚えていて、いつか自分も使ってやろうと思っていたことはあります(結局いままで一度も使ったことはありません)。
非常に「疲れる」映画です。
面白くないから、ではありません。
もちろん、エンタメ成分が多くて興奮するので疲れる、というわけでもありません。
物理的にも精神的にも、とにかく「荷物」が多い映画なのです。
その重さと取り扱いの面倒臭さが、観ていてボディーブローのように効いてきます。
141分、心地よく、疲労困憊となりました。
物理的「荷物」の象徴が、ジーナ・ローランズ演じるロバートの姉、サラの荷物です。
離婚調停での振る舞いに失敗し、娘の養育権を夫(シーモア・カッセル)に奪われてしまった彼女は、セラピストらしい人物の勧めで欧州へと向かいますが、結局嫌気がさし、すぐアメリカヘ帰国することになります。
空港に積まれたサラの荷物の多さ。
タクシー2台でも積みきれないくらいのおびただしい量です。
しかも当然に彼女は自分自身で運ぶことをほとんどしません。
ポーターやタクシーの運転手にお任せです。
娘にすら愛想をつかれさる面倒臭さをもったこの女性の恐るべき自己中心性の象徴が、物語の中で、彼女についてまわるこの大量の「荷物」なのです。
他方、弟のロバートも自己中心性では姉に負けていません。
それなりに売れているとみられるこの小説家は、自宅をハーレム化させ、何人もの女性たちと共同生活をおくっています。
それでも物足りず、ナイトクラブに出かけては新しい恋人づくりにも忙しい。
結婚は複数回しているようですが、当然に破綻済み。
子供の養育費も、女友達とのお遊び代も、何もかも小切手で済ませるという傍若無人ぶりを発揮しています。
「豚小屋みたいだ」と形容されるほど、小説家のハーレム館はモノで溢れ、どのテーブルも酒瓶だらけです。
荷物の多い姉の弟は、それ以上に人とモノ、両面でうんざりするような「荷物」を抱えているわけです。
ロバートを演じているカサヴェテスはこのとき55歳前後です。
1977年の「オープニング・ナイト」でも彼は自身の監督作品に出演していますが、その時は隠していなかった白髪を今回は黒髪に染め上げています。
しかし、カサついた肌や眼の澱みなどは隠しようもなく、実年齢よりも老けてみえるようにも思えます。
彼はこの作品の4年後には肝硬変で亡くなってしまいますから、このとき、すでに相当アルコール依存のダメージが蓄積されていたのかもしれません。
「初老の遊び人小説家」というイメージぴったりの外観で縦横無尽に好き放題の生活を繰り広げます。
サラは大量の荷物と引き換えに、夫と娘という「家族」との関係を喪失しています。
一方、ロバートは、生まれて以来、会ったことがなかったという息子を、束の間、迎え入れるため、女性たち=「荷物」を一旦、屋敷から追い出します。
しかし、結局、「荷物」に接する以上の愛情を注ぐことには失敗し、父子関係はあっさり切れてしまいます。
ハーレムも息子も失ったロバートのところにやってきたのは、姉のサラが弟のためにと衝動買いした大量の動物たち。
「豚小屋」だったハーレム屋敷が本当の「馬小屋」になってしまうというオチです。
最終的にサラは動物たちとロバートを残し、元夫と娘との関係を取り戻すため、去っていくのですが、この時、車に積み切れなくなった「荷物」について、あっさり「捨てていって」とドライバー役の男友達に指示します。
「荷物」と「愛」が奇妙にバランスしているのです。
周囲を翻弄しているのか、翻弄されているのか、よくわからなくなってくるような姉と弟。
決して関わり合いたくはないキャラなのですが、不思議と全く二人に嫌悪感を抱くことができません。
サラもロバートも、あらゆる人物事物との「関係性」の取り方に、爽快なまでに失敗しているからなのでしょう。
「愛の流れ」、愛情を含む関係性を間断なく過剰に求めるあまり、肝心の「家族」とはいつまで経っても地に足のついた関係を取り結ぶことができない人たち。
だから「荷物」が多くなったり、いきなり処分したりするわけです。
そしてカサヴェテスは、そうした「荷物」たちをときに丁寧に、ときにぶっきら棒に扱いながら、その「重さ」と「面倒臭さ」を、鑑賞者に突きつけてきます。
だから、観ていて異様に、疲れるのです。
カサヴェテス自身による非常に練られたシナリオはテンポも良く、昨年2022年に亡くなってしまったアル・ルーバンの驚異的なカメラワークの見事さもあって、あらためて言うまでもありませんけれども、極めて特異に完成度の高い映画です。
この後、彼の監督作品としては「ピーター・フォークのビック・トラブル」がありますが、実質的にはこの「ラヴ・ストリームス」が「遺作」ということになるようです。
映画の最後、ロバートが、大雨の降る中、去っていくサラに向けて帽子をふっているような場面が確認できます。
姉に別れの挨拶をおくっているのか、あるいは「もうどこへでもいってしまえ」と愛想をつかせた身振りなのか、どちらともとれそうなのですが、雨に濡れる窓ガラス越しのカサヴェテスがみせる、諦観そのもののような表情がとても印象的でした。