長谷川堯が写した村野藤吾|京都工繊大 美術工芸資料館

 

村野藤吾長谷川堯 ー その交友と対話の軌跡

■2023年3月22日〜6月10日
京都工芸繊維大学 美術工芸資料館

 

長谷川堯(はせがわ たかし 1937-2019)が撮影した村野藤吾建築作品のスライド写真を中心に、この建築評論家の足跡を自筆原稿などもまじえて回顧するという、工繊大資料館らしい捻りの効いた展覧会です。

 

規模は大きくありませんが、無料で配布されている図録のとんでもないクオリティの高さもあわせ、村野建築ファンならば見逃せない企画だと思います。

 

www.museum.kit.ac.jp

 

図書館や、紀伊國屋丸善などの大型書店では、人文系の芸術・美学コーナーと理系の建築コーナーが、お互いかなり離れた場所に設置されています。

両分野は一般の読者からみると近い部分が多々あるはずなのに、図書分類法に則ると遠く離れてしまうのです。

 

長谷川堯は早稲田の文学部で板垣鷹穂に美術史を学んでいます。

建築学科」とは無縁の人でした。

彼が建築評論家としてデビューした70年代当時、「文学部出身」という肩書は、書店や図書館での「芸術」ー「建築」、両コーナーの距離感が象徴するように、建築界からは異質な存在とみなされたようです。

 

長谷川と世代は違いますが、例えばおなじみの有名な建築関連の評論家でみると、鈴木博之(1945-2014)は東大工学部建築学科、井上章一(1955-)は京大工学部建築学科、五十嵐太郎(1967-)は東大工学部建築学科の卒業。

一般の読者を想定した文筆活動を得意とするメジャーな建築史家、評論家の多くが、実は、理系出身者です。

雑誌など、メディアでの執筆活動を開始するルートとして、建築関係では、おそらく斯界の学部学科を出ることのアドバンテージが圧倒的に高いのでしょう。

そうした状況は今も昔も変わらないように思えますが、そんな中、長谷川堯は、代表作『神殿か獄舎か』をはじめ、文系出身というハンディを越えて、旺盛に成果物を残した人といえそうです。

 

松隈洋 工繊大教授が図録の中で語っている言葉(P.19)を借りれば、「『野』から出てきた」、つまり建築学科を出ていない建築評論家である長谷川が、大建築家、村野藤吾(1891-1984)と、彼の晩年に親密な関係を築くことができた背景には、同じ早稲田出身という以上に、村野自身ももっていたと思われる「在野精神」が強くあったのではないかと想像しています。

 

京都工芸繊維大学には、長谷川堯が撮影した村野藤吾作品のカラースライド写真が4000枚余りも収蔵されているのだそうです。

今回の企画ではそのほんの一部が限られたスペースの中で展示されているわけですが、中にはすでに取り壊されて現存していない建築物の貴重な「建築を主役としたスナップ写真」ともいうべき自然な姿が記録されていて、その情報量は濃密です。

(一部、説明文と写真が合っていない、手作り感が残る展示もありましたが、いずれ修正されるのでしょう)

 

 

笠松一人 工繊大助教の分析によると、長谷川の撮った写真には際立った特徴がいくつかみられるのだそうです。

まずカメラを「縦向き」で構えた写真がとても多いこと。

一般に建築物を撮影する場合、ペンシルビルなどの例外は除き、横向きとするケースが大半な中、長谷川はあえて縦向きで撮影していることになります。

さらに、長谷川の写真は、縦向きで撮られていることも影響していますが、建物以外の道路や床など、周囲の情景が豊富に取り込まれていることも特徴的だと指摘されています。

建築物を周囲の環境から「切り離さない」、つまり外界との「有機的」な造形として捉える視点。

この「有機的」というキーワードは、とりもなおさず、村野藤吾作品を大きく特徴づける要素にも直結します。

 

図録の中で、建築家の佐藤健治が、恩師でもある長谷川堯が自分の建築作品をみて、厳しい表情で発したという、以下の言葉を伝えています。

 

「内側から(建築主と同じ目線で)設計しているか。」(P.11)

 

村野や長谷川が意識していたとみられる「有機的」という性質は、建物の外面だけではなく、そこに住み、使う「人間」との関係性にも当然に及んでいるのでしょう。

長谷川堯の、外からも内からも建築をとらえる視座が端的に伝わる証言です。

 


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さて、忘れてはならないのは、この企画展に伴って制作された図録です。

160ページを超えるボリューム。

長谷川堯のカラースライド写真がふんだんに取り込まれ、まるで村野藤吾作品のカタログでも見ているかのような豪華さです。

しかも、対談の相手としてこの図録のために登場している人物たちがすごい。

 

藤森照信はまだ理解の範囲内にしても、長谷川堯の息子、俳優の長谷川博己が父の思い出を語っている対談(相手は笠松一人と佐藤健治)にはびっくりしました。

親子とはいえ、地味な建築展のために、よくこんな人気俳優を捕まえてインタビューする機会がもてたものです。

いまや、「長谷川堯」で検索すると、「長谷川博己の父」という説明に自然に行き当たってしまうくらい、知名度は父子で逆転してしまっているのですが、長谷川博己は「割といい加減なところがあった」という人間臭い面を含め、父である堯への親愛と尊敬の言葉をたっぷりと対談の中で語っています。

なんとなく俳優・長谷川博己に感じるインテリジェンスと育ちの良さの秘密が垣間見えるような対談であり、この役者のファンの方も見逃せないテキストではないでしょうか。

 

繰り返しますが、この濃厚な図録、会場で無料配布されています。

工繊大資料館では今までも贅沢に編まれた図録を無料配布してきましたが、これも普通なら1500円近い価格で販売されてもおかしくないクオリティをもっています。

おそらく在庫が無くなり次第、入手は困難となりそうですから、興味のある方は早めに鑑賞されることをおすすめしておきます。

 

なお、会場内の展示風景は撮影OKですが、写真や文書などの接写はNGです。

また資料館の2階では、村野とは、ある意味、対照的ともいえる建築家、鬼頭梓の特集が組まれています。

こちらも大変な充実ぶりでした。

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唐津の浜辺を歩く村野藤吾長谷川堯(展覧会チラシより)