増田清 顕道会館|京都モダン建築祭 2023より

 

昨年2022年、初めて開催された「京都モダン建築祭」。

好評を受け今年も開催されることになったようです。

施設によっては大行列が発生し、一部でかなりの混乱をみせた前回の課題をふまえ、キャパオーバーが懸念された作品には事前申込制を採用するなど、改善の工夫がみられました。

実際、何ヶ所か回った範囲ですけれど、どこもとてもゆったりと鑑賞することができました。

企画サイドの皆さんに感謝したいと思います。

kenchikusai.jp

 

「顕道会館」も鑑賞時はほとんど他客がおらず、じっくり静かに建物と向かい合うことができた作品の一つです。

昨年はラインナップに含まれていなかった西本願寺エリアの一角に佇んでいます。

 

 

油小路花屋町にあるこの摩訶不思議な建物は、現在、西本願寺(浄土真宗本願寺派)の京都教区教務所として使用されているのだそうです。

ここから油小路通を少し下がると伊東忠太設計の「伝道院」があります。

伝道院の見物は何度かしていて、近所にあるこの顕道会館前もしばしば通過した記憶があります。

 

その度に不思議な感覚に襲われていました。

いったい、この建物は何を目的としてここに建てられ、どんな機能を期待されて存在しているのか?

普段はほとんどクローズされていることもあり、人の気配が感じられない顕道会館が醸すミステリアスな雰囲気からは、伝道院の奇天烈さとも違う、独特の魅力を感じていました。

 

顕道会館 北側

 

せっかくの見学機会だったのでちょっと調べてみました。

 

顕道会館は1923(大正12)年に建設されています。

アールデコ真っ盛りの時代らしく全体は直線的な造形が支配しているものの、部分的には波形や唐草風文様といったアールヌーヴォーを思わせるようなモルタル装飾もふんだんに取り入れられています。

いかにも「京都モダン」的な建築物です。

 

しかし、どうもこの建物、その機能と目的がわかりにくいのです。

 

もともとこのあたりには、松田甚左衛門(1837-1927)という人物が開設した「顕道学校」という浄土真宗系の私設教育機関がありました。

顕道会館は、その顕道学校を卒業した「同窓生たちの集会所」として建設されたものです。

 

松田甚左衛門はかなり行動派の在家信者だったらしく、顕道学校自体、西本願寺の施策とは独立した組織だったようです。

しかし、組織力の強い本願寺派のお膝元で、在家が運営する個人的学校が許容されるわけもなく、結局この教育機関西本願寺に吸収されてしまい、甚左衛門自身も、次第に寺とは距離をとっていくことになります。

それでも、熱心な卒業生たちの中にはそれなりの財力を身につけ、宗派の中で発言力をもつ人物も現れたのでしょう。

そうした有力同窓生たちの働きかけにより、西本願寺から敷地の無償貸与を受けつつ、顕道学校旧地にこの鉄筋コンクリート2階建の施設を建造することになったようです。

 

ただ、「顕道学校旧校舎」として残っているのであればその機能目的がはっきり理解できるわけですが、「同窓生の集会所」といわれても、いまひとつピンとこないわけです。

例えば大学OBや教授たち向けのゲストハウスや迎賓館的な建物であれば理解できます。

しかし、あまりにも堂々とした空間を内部に抱えているようにみえる顕道会館の姿からはそうしたホスピタリティを意識した設計思想は感じられません。

といって、もちろん教会的な聖堂ではありませんし、仏教関連の集会場というには逆にモダンすぎるのです。

この、建物としての「意味不明さ」が顕道会館独特の魅力に、いまや、つながっているように思えます。

松田翁も亡くなり、使い道にたちまち窮したとみられるこの建物は、1937(昭和12)年、西本願寺に寄贈され、前述の教務所として今に至っています。

 

顕道会館 1階正面窓

 

設計を担当したのは増田清(1888-1977)です。

大阪を中心に多数の鉄筋コンクリート造建築を残した近代日本建築史上の巨人ですが、残存している作品がその名声に比べてとても少ないことでも知られている建築家です。

顕道会館は貴重な増田清建築の遺産ということになりますから、「三木楽器本社ビル」や「広島レストハウス」のようにもっと全国的に知られても良いと思われる作品です。

しかし、この建物は増田清の代表的スタイルとは少し違っていて、先述したようにその「機能目的」がかなりわかりにくいこともあり、ややひっそりとした扱いにとどまっているようにも感じます。

 

顕道会館 階段

 

まず、その外観がきわめて異例です。

主な部分は増田が得意としたアールデコ調の均整の取れた美しいスタイルで統一されています。

ところが、2階の上に置かれた屋上への入り口と見られる構造物には、どこか和風のリズムが取り入れられていて、1階と2階部分が生み出している、一見、モダンな水平ラインが、この部分があることによって、全体としては何やら寺院風のテイストを醸し出すことにつながっています。

後に目立つようになる「帝冠様式」ほどではないにせよ、奇妙な和洋折衷的雰囲気が顕道会館には備わっているように感じられるのです。

ただ、そこが、顕道学校同窓生たちの狙いであったともいえるわけで、仏教学所縁の施設であるという重要な要素をコンリート・モダニスト増田に求めた結果が、如実に現れてしまっているということなのでしょう。

 

顕道会館 1階内部

 

内部も独特です。

今回の「京都モダン建築祭2023」で初めて入館することができました。

1階正面を彩る三連アーチの窓や、幾何学的に連続する2階の長方形縦長窓、階段に設けられた半円窓などには増田清が得意とした大正モダン風の美しさがみられます。

驚くのは1階2階、双方に設けられた広大なスペースです。

柱が一本もありません。

左右からアーチ状の梁をかけシンプルに天井を支える構造がとられています。

1階には仏壇を伴ったステージがあり、2階には火灯窓で区切られたエリアに仏像が設置されています。

確かにいわれてみれば「仏教系学校同窓生の集会所」という目的に合致した構造です。

しかし、1階と2階、両方とも同じような形状の広い空間が併存している意味は、やはり、よくわかりません。

さらに現在は「同窓生集会所」としての機能を果たしているわけでもありませんから、結局、どんな目的で使用すべきなのかはっきりしない、妙な曖昧さが建物につきまとうことになります。

「教務所」という現在の役割の範囲では収まらない、ミステリアスな建造物です。

 

顕道会館 2階仏壇

 

むしろこの建物がもつ複雑な由緒とその「意味不明さ」が、学校に代表される官立建築や商業施設など、目的と機能をはっきりもっていた他の増田清作品とは違った存在感を維持してきたということなのでしょう。

皮肉なことですが、機能と目的が曖昧になってしまった以上、土地ごと売却してしまうようなケースを除き、そもそも新しく建て替える必要性も低いということになります。

顕道会館が、堀川通に近い好立地にあるにも関わらず、現在まで取り壊されることなく静かに残っている理由はそんなところにもあるのかもしれません。

 

増田清 顕道会館