東本願寺前の噴水と「近代」の眼

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現在、京都市京セラ美術館で開催されている「モダン建築の京都」展(2021年9月25日〜12月26日)では、明治以降に建てられた、いわゆる「近代建築」に焦点があてられています。

同展で紹介されている最も古い近代建築は、新島襄旧邸。

1878(明治11)年に建てられています。

日本の大工によって組み上げられたコロニアル様式の住宅です。

 

しかし、それから17年後、1895(明治28)年に完成した超巨大な「近代建築」がこの展覧会では完全に無視されていることに気がつきました。

烏丸七条に構えられた壮大な伽藍で知られる東本願寺(真宗本廟)。

中でも御影堂は日本最大の床面積を持つ木造建築で、世界的にも最大級とされています。

とはいえ「モダン建築の京都」展が東本願寺の建築群を無視するのは当然でもあります。

御影堂をはじめとする巨大木造建築はいずれも元治元年の京都大火で焼け落ちた伽藍の再建。

棟梁、伊藤平左衛門(御影堂)や木子棟斎(阿弥陀堂)等によって仕上げられた建物はかつての仕様を忠実に再現した、いわば完全な「伝統建築」です。

西洋風の意匠や工法を「モダン」とするならば、その要素はありません。

だから年代的には明治近代に入っていても、当然に「モダン建築の京都」展では扱わないということになり、その整理に違和感は全くありません。

 

しかし、この展覧会では、一方で「平安神宮」がモダン建築として紹介されています。

平安神宮伊東忠太が設計の中心人物とみられますが、江戸時代から続く宮廷建築を得意とした木子一族の一人木子清敬や、実際東本願寺再建にも参加した寺社建築専門家佐々木岩次郎が深く関与しています。

平安神宮が完成したのは、1895年。

東本願寺御影堂・阿弥陀堂の落成とまさに同じ年です。

参考とされたのは平安宮の朝堂院。

工法は伝統的な木造で、西洋風の意匠は全く取り入れられていません。

この観点からみると、東本願寺再建建築群を「モダン建築ではない」とするならば、平安神宮も同様に「モダンではない」ということになります。

ただ、平安神宮に関しては、第4回内国勧業博覧会という京都近代化に大きな役割を果たしたイベントに伴って新造された建築であることに加え、参考とされた平安時代大内裏がその実像をほとんど失って久しく、伊東たちによる設計は相当に推測や、ことによると「幻想」とでもいうべき要素が多分に入り込んでいます。

つまり、明治近代人の眼が作り上げた一種のファンタジー建築と言えなくもありません。

そこに展覧会の企画者は「モダン」をみたのでしょう。

一方、東本願寺の再建建築群は前代の建物が焼け落ちてから30年ほどしかたっていない。

現行の建物は、江戸後期の寺院建築、その忠実な再現です。

そこに近代=モダンの入りこむ要素はありません。

 

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しかし、全く東本願寺にモダンな要素がないのか、といえば、実はそうでもないように思えるのです。

それは西本願寺の伽藍と比べるとよくわかります。

西本願寺阿弥陀堂門と阿弥陀堂はその正面の軸線がわずかにずれています。

御影堂と御影堂門は目隠塀や大銀杏によって門からの視界が遮られるため、御影堂門から御影堂を真っ直ぐ捉えることができません。

視線の「軸線」がさほど重要視されていないのです。

他方、東本願寺は巨大な御影堂門の正面が御影堂の正面と見事に一致し、軸線が明確に定まります。

桃山時代からの建造物を残し、かつての本願寺がもっていた軍事的要素をも偲ばせる西本願寺の方が当然に古式の美しさや格調高さを伝えています。

しかし、門と堂宇が織りなす壮大な宗教的モニュメント感は、東本願寺の方に強く表出されているように感じられます。

そして東本願寺御影堂門の前に設置されている噴水の存在。

竹内栖鳳がデザインし、武田五一が設計を担当したという蓮を象った意匠が印象的です(現在の噴水は復刻された二代目)。

この噴水がさらに御影堂ー御影堂門の強烈な軸線が伸ばされた先に設置されています。

烏丸通を渡った側から見ると、三者が見事に姿を重ねる有り様を見ることができます。

これは中世寺院の伝統というより、明らかに「近代」の視点が感じられる配置です。

 

かつて梅棹忠夫は、東本願寺の前で烏丸通が東に湾曲していることについて面白いことを言っていました。

「あれは、宗教のもつ巨大な動員力に対する、都市交通の実際的配慮であったのだ。」と。(角川ソフィア文庫梅棹忠夫の京都案内』P.266)

大遠忌で集まった門徒たちの、そのあまりにも夥しい数に驚いた梅棹が感嘆したように、東本願寺御影堂門前の湾曲空間は、多数の参拝者を収容する場所を確保するため、実際の必要に迫られた結果、市電ルートともなった烏丸通を湾曲させてできたものといわれています。

その湾曲空間に例の噴水が水飛沫をあげているという構図。

と考えると、門前広場の噴水から御影堂を貫く軸線はまさにモダン都市京都が生み出したものといえるのではないでしょうか。

結局、話がぐるぐる回ってしまうようですが、近代建築東本願寺も「モダン建築の京都」展で、実は、取り上げられて然るべき建造物だったのではないか、とも思えてきます。

 

なお、この門前広場、つまり烏丸通を東に曲げてつくられた空間は、近々、広場と御影堂門の間を貫いている行幸の道を潰して取り込み、新しい市民向けの緑地に生まれ変わるのだそうです(京都市の広報より)。

www.city.kyoto.lg.jp

 

再来年2023年は宗祖親鸞誕生から850年となる記念の年とされていますから、これに合わせて門前をリニューアルしようという東本願寺の底意がなんとなく感じられます。

また一つ、駅前の懐かしい風情が消えてしまうようで、ちょっと残念な気分です。

ただ、新広場完成後の想像図では、あの噴水が当然に存置されるようなので、「モダンの軸線」はどうやら保たれるようではあります。

広場の工事が始まる前に、一度ちゃんと噴水と軸線を確認したくなってきました。

 

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