「エターナル・ドーター」と「ザ・ヒューマンズ」|A24特集

 

U-NEXTの配給で「A24の知られざる映画たち」と題された特集上映シリーズが昨年の末頃から各地のミニシアターで公開されています。

四週間の限定上映です。

何本か観てみました。

(ケリー・ライカート監督の「ショーイング・アップ」については既に雑文を公開済みです)

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特に印象に残った作品が2本あります。

「エターナル・ドーター」(The Eternal Daughter 2022)と「ザ・ヒューマンズ」(The Humans 2021)です。

 

偶然ですが、二作品にはいくつか共通点がみられます。

 

一つは「家族」が主要なテーマになっている点です。

「エターナル・ドーター」は母と娘、「ザ・ヒューマンズ」は、ある一家丸ごとが主役です。

 

二つ目の共通点はほぼ「室内劇」に近い構造を持っているということでしょう。

ザ・ヒューマンズ」はニューヨークにあるアパートが舞台、「エターナル・ドーターズ」はほとんどクラシカルなホテルの内部で物語が進行します。

前者の撮影は2019年にほぼ完了していたようですから、コロナの影響を受けて撮影現場が特定箇所に限定された「エターナル・ドーター」のような制約はなかったはずですが、ほとんどアパートの室内から外に出ることがないので、むしろロックダウン下での逼塞感のようなものが予言されているかのようです(「ザ・ヒューマンズ」は戯曲の映画化ですから必然的に室内劇のような撮影になっただけなのかもしれませんけれども)。

 

結果として、登場人物たちは大半の時間、建物の内部で過ごしていることになります。

そして、この「建物」自体が二作品共、極めて重要な要素として扱われています。

これが最後の共通点です。

 

二つの映画の内容に関係は全くありません。

たまたま連続して観ただけです。

しかし、これら共通要素による影響からでしょうか、観ていてどちらの映画からも同じように石が腹に溜まっていくような重苦しい見応えを得ました。

 


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「エターナル・ドーター」の舞台はイギリスです。

映画監督を職業としている女性が年老いた母と、人里離れた場所に孤立する古めかしいホテルに滞在するためタクシーでやってくるところから映画が始まります。

奇妙な違和感をすぐ覚えました。

娘を演じているティルダ・スウィントンが老母そのものにも成り切り、一人二役を演じているのですが、その不自然に不気味な相似性によって、この老母がどうやら実在の人物ではなさそうであることが強く示唆されています。

多くの観客が、物語の冒頭から、娘は母を彼女自身のイマジネーションによってその場に「創造」している、つまりこの映像は彼女の脳が構成した「幻影の世界」であることに気が付くと思います。

ところが、そのまぼろしのはずの世界が、ひょっとすると本当に「霊的な世界」として出現しているのでないかと、だんだん曖昧に感じられてくるのです。

老母の存在は娘の幻覚であるはずなのに、ホテルの受付スタッフはそれなりに対応しているように見えるし、人の良さそうな老人の男性従業員と母が実際に会話をしている場面が自然に嵌め込まれます。

老母が飼っている犬の不可思議な行動(名演技です)。

そして、ホテル自体が醸し出す異様な空気感。

単に娘が全て幻想している世界に過ぎないのか、それとも世界が霊的な存在に侵食されてきているのか、いずれにせよ二つの非現実的な世界が互いに溶融しあっていきます。

 

監督のジョアンナ・ホッグ (Joanna Hogg 1960-)は、想像ですけれど、この作品を撮るにあたり、スタンリー・キューブリックの「シャイニング」をかなり意識していたのではないでしょうか。

というより、「シャイニング」を知っている観客にある種のトラップを仕掛けているようにも感じました。

周囲から隔絶された古いホテル、ときどき響く不気味なノイズ、淡く窓に映る人影のようなもの。

「シャイニング」の設定を想起せずにはいられません。

そして、何よりこの映画がバルトークの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」(演奏はジャン=ジャック・カントロフ指揮タピオラ・シンフォニエッタ)をほぼ全編にわたって使用しているところが、極めて「シャイニング」的なのです。

「シャイニング」の中で、このバルトーク最恐の音楽をキューブリックが実に効果的に使っていたことがよく知られています。

 


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「シャイニング」ではホテルに棲まう悪霊にジャック・ニコルソン演じる主人公が憑依されてしまうわけですから、見事な心理描写に裏打ちされてはいるものの、ホラー的に人智を超越した存在の力が描かれています。

そのキューブリック作品を観客に連想させることで、「エターナル・ドーター」もまた、単純に精神を少し病んだ女性が脳内で作り出した幻覚ではなく、ひょっとすると、実際、ホテル自体がもつミステリアスなパワーに侵されている世界が描かれているのではないかと思わせる効果が生じます。

結果、脳内幻影世界なのかホンモノの恐怖世界なのか、最後までどうにも決着しないのです。

裏の裏の、そのまた裏をかくようなセンスの良い底意地の悪さがなんとも言えないこの映画の魅力です。

 


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一方、「ザ・ヒューマンズ」は「エターナル・ドーター」とは真逆、NYのチャイナタウンにあるとみられる古ぼけたアパートが舞台です。

でも、本来は賑やかに人々が往来していそうな環境のはずなのに、映画にはほぼ一家族のメンバーだけしか登場しません。

蝟集するビル群はむしろ都会の中に埋没した一空間を際立たせていますから、実は田舎に孤立したホテルと同じくらい周囲から隔絶した場所が描かれているのです。

そして、この映画でも、今度はそのアパートが、英国のクラシカルホテルとはまた違ったホラー的パワーを発揮します。

 

老年を迎えた夫婦が娘の引っ越し祝いのためにそのアパートを訪れた一夜が描かれた映画です。

特に大きな物語が紡がれていく作品ではありません。

認知症の老婆、娘のパートナーや、もう一人の娘を含め計6人のファミリーが二層に分かれた狭いアパートの中で右往左往する、それだけの内容ともいえます。

ところが、この6人が織りなす情景は、あまりにも饒舌に愛憎が混線していくので、観ていてどんどん気分がどんよりし、居た堪れなくなってきます。

「気まずさ」が緩急の波となって終始観客を襲う、そんな世界が描かれていきます。

ただ、それだけであれば、どこにでもありそうなアメリカの一家族の肖像が切り取られた文芸映画です。

ここにもう一つの重大なファクターである「アパート」そのものが加わることによって、「ザ・ヒューマンズ」は得体の知れない恐怖性を帯びてくるのです。

老朽化したアパートの壁には奇妙な「膨れ」のような部分が散見されます。

これがリチャード・ジェンキンス演じる父親には気になって仕方がないようです。

また、時折、突然、腹に響くような低音のノイズが部屋に響きわたります。

上階の住人がたてている騒音のようなのですが、その正体は最後まで明らかにされません。

何かしらのトラウマやトラブルを抱えているこの家族たち、ザ・ヒューマンズにとって、歴史を重層的に溜め込んだ「アパート」のもつ存在が、不気味に認知の歪みを引き起こしていきます。

その描き方があまりにも周到なのです。

監督のスティーヴン・カラム(Stephen Karam 1980-)もジョアンナ・ホッグ同様、上質に底意地の悪い手腕をもっているようです。

 

母親の幻影から逃れられない娘、縁を切っても良さそうなくらい険悪な関係にあるのにそれができそうにもない一家。

どちらも「家族の業」が重くのしかかってくるような映画であり、当然にわかりやすいハッピーエンドもバッドエンドも迎えません。

 

結論をあえてだそうとせず鑑賞者に物語の解釈を委ねるスタンス。

そして、「感覚がとらえているものが本当に正しいのか」という問いかけ。

メジャー系商業映画では取り上げにくい、こうしたテーマの作品を世に出すところに、たしかに「A24的」姿勢を感じさせてくれる二本でした。

 

1月下旬からU-NEXTでの配信が始まるようです。

ただ、ホテルやアパートが発する「響き」がどちらの作品もとても重要なので、良質な音響設備をもったシアターでの上映の方が面白く鑑賞できるかもしれません。