明治宮殿を飾った近代工芸|皇居三の丸尚蔵館

 

皇居三の丸尚蔵館 開館記念展  皇室のみやびー受け継ぐ美ー
第2期「近代皇室を彩る技と美」

■2024年1月4日~3月3日

昨年の11月から始まった三の丸尚蔵館リスタート記念展シリーズの第二弾です。

蒙古襲来絵詞動植綵絵など国宝4件で一室を埋め尽くした前回展に比べると入場待行列はなく、少し混雑は緩和されたようですが、相変わらずシニア層を中心に結構賑わっていました(日時指定予約制)。

shozokan.nich.go.jp

 

今回展示されている作品はその大半が明治近代以降に制作され皇室にもたらされた品々です。

買い上げ品や献上品の他、明治・大正・昭和と歴代の天皇や皇族が使用していた文物など、内容は実に多彩で、非常に小さい宝飾品から巨大な横山大観による富士山画(「日出処日本」)まで、新しい展示室2室を使い切ってのインペリアル・コレクション展となっています。

これまで尚蔵館収蔵品の巡回展など、他館を含め様々な企画で取り上げられてきた作品と再会できる楽しみもあり、予想以上に見応えがありました。

 

1888(明治21)年、江戸城跡西の丸に造営された「明治宮殿」にはその内部を彩るため、華麗な近代工芸の名品が求められました。

結果、いわゆる幕末明治にかけて登場した超絶技巧系の名人たちによる逸品の数々が皇室に伝わり尚蔵館に引き継がれています。

 

そうした皇室の近代工芸コレクションを代表する至宝の一つが、海野勝珉(1844-1915)の手による「蘭陵王置物」(1890)です。

独立式展示ケースに収められ、専用の置台とともに、360度、ぐるりと鑑賞できる環境が整えられていました。

 

海野勝珉「蘭陵王置物」

 

見れば見るほど驚異的なテクニックで実に様々な素材と技法が込められた作品と感じます。

装束のもつ柔らかさや、いまにも次のアクションに移ろうとする瞬間を捉えたような舞人の姿にみられる造形力に唖然とします。

高さは約34センチ。
それほど大きな像ではありません。

しかしこの彫金像は明治宮殿内でも特に華やかな場所である「鳳凰の間」に置かれていました。

鳳凰の間は歌会始天皇との謁見など重要な儀典が行われた場所です。

小さいながらも異様な迫力と美しさを兼備した「蘭陵王置物」がセレモニーに威光を添えていたのでしょう。

またこの像は徹底して「リアル」にこだわった作品でもあります。

舞人の横に置かれた小箱は舞楽仮面を納める専用の「面箱」です。

そしてその仮面の下には演者自身の顔があるのです。

美しすぎる相貌を恥じてあえて恐ろしいマスクを被って戦いに臨んだという蘭陵王のエピソード通り、気品ある美男子の顔が表現されています。

ここまで徹底されると、この像は一種の「フィギュア」といえるかもしれません。

 

 

なお「蘭陵王置物」は、木内半古と長谷川良一が制作に関与した「面箱」や「置台」ともども、2022年度に重要文化財指定を受けています。

それまで皇室コレクションは慣例的に重文指定の対象外となっていましたが、この作品がその第一号として認定されたことで三の丸尚蔵館が所蔵する他の近代工芸群にも指定可能性が広がったと考えることができます。

個人的予想では次に重文指定される三の丸尚蔵館コレクションは、有線七宝の名手、並河靖之(1845-1927)の「七宝花鳥図花瓶」ではないかとみているのですが、いかがでしょうか。

shozokan.nich.go.jp

 

その四季花鳥図花瓶は残念ながら今回展示されていませんが、代わりになんと初公開となる並河靖之作品が紹介されていました。

「七宝藤図花瓶」と名付けられた小品。
高さは12.5センチです。

並河を特徴づける透明感のある黒ではなく、本作は白がベースになっています。

貞明皇后が愛用していたという由緒も頷ける可憐に気品をもった作品です(高松宮家伝来)。

 

並河靖之「七宝藤図花瓶」

 

さて、その七宝分野で並河靖之とライバル関係にあったもう一人のナミカワが無線七宝の濤川惣助(1847-1910)です。

今回の展示では彼による大作「七宝唐花文花盛器」(1889頃)が展示されていました。

明快な古典的図柄は正倉院宝物にインスピレーションを受けて案出したとされていて、シンメトリーを意識した花鳥のデザインが非常に印象的な工芸です。

しかしこの作品は濤川が得意とした無線ではなく有線七宝の技術が用いられています。

並河靖之作品に先んじて近代工芸分野ですでに重要文化財指定を受けている「七宝富嶽図額」(東京国立博物館蔵)に代表される、濤川独特の無線七宝によるデリケートな描写はここにはみられません。

「七宝唐花文花盛器」は明治宮殿の「千種の間」の目立つ場所に並置されていました。

千種の間には、セレモニーの場である「正殿」や「豊明殿」と違い、来場者が歓談を許された空間としての華やぎがもとめられていたようです。

この花盛器から放たれる強いデザイン性はそうした場の空気に沿う趣向から採用されたのかもしれません。

会場では実際に器が飾られていた様子を記録した写真もあわせて展示されています。

現在の眼でみると過剰なほどに華やかな明治宮殿内装の様子を想像することができます。

 

濤川惣助「七宝唐花文花盛器」

 

すでに重要文化財指定作をもつ近代金工家としてもう一人、鈴木長吉(1848-1919)の作品も観ることができます。

「菊花形燭台」(1894)がそれです。

「御車寄」と廊下で接続し、皇族の待機場所となっていた「西の間」という場所に置かれていたそうです。

重文指定作の「十二の鷹」(東京国立近代美術館蔵)にみる鈴木長吉の精緻な写実力をここでは繊細な菊の花弁の形でみることができます。

 

鈴木長吉「菊花形燭台」

 

工芸ではありませんが、山元春挙(1872-1933)による「智仁勇」(1925)も宮殿内を飾った絵画として紹介されていました。

この作品は大正天皇貞明皇后の銀婚式を記念し豊明殿西溜に掛けられたそうです。

よく見ると左図の鷹は爪で雀を捉えていることが確認できます。

一見、物騒な描写と感じますが、春挙が残した添え書きによれば、この鷹は雀を食べようとしているのではなく、足元を暖めるために一時的に捕まえている情景を描いていることになります。

朝になったら雀を解放し、足を暖めてくれたかわりに、雀が飛び立った方角の狩は行わない、つまり餌として食べたりはしないという鷹の振る舞いに、論語から引かれた有名な「智仁勇」の意味が表されていると考えられるそうです。

 

山元春挙「智仁勇」

 

説明を聞かないと題名と内容が全く一致しない困った作品ですが、春挙お得意の雪化粧表現と合わせ明治宮殿の華やかさに伍する辛口の迫力を大婚25年の式典で放っていたのかもしれません。

なお、山元春挙昭和天皇即位後の大嘗祭で「主基地方風俗歌屏風」を描いていてこれも尚蔵館が収蔵しています。

ただ今回の展示(後期2月6日〜3月3日)では川合玉堂が描いたもう一方の「悠紀地方風俗歌屏風」が披露される予定です。
2022年、春挙生誕150年を記念して滋賀県立美術館他で開催された大規模な回顧展でもこの屏風は展示されず、まだ鑑賞の機会を得ていないのでちょっと残念ではありますが、その内展示されるでしょう。

前期の現在は野口小蘋(1847-1917)による大正度大嘗祭の「悠紀地方風俗歌屏風」が展示されています。

こちらも大変な傑作です。

 

野口小蘋 大正度「悠紀地方風俗歌屏風」(部分)

 

多くの作品が写真撮影OKとなっています。

ただ、モハマド・シャイフル・イスラームが描いた昭和天皇香淳皇后の「御肖像」など一部撮影不可の作品もあります。

華麗な明治宮殿のレガシーとは違い、「昭和」はまだ生々しい時代なのかもしれません。