「オッペンハイマー」と「ゴシラ-1.0」が描かなかったこと

 

ビターズ・エンドの配給でクリストファー・ノーラン(Christopher Nolan 1970-)監督による「オッペンハイマー」(Oppenheimer 2023)が3月29日から公開されています。

近所のシネコンIMAX鑑賞してみました。

www.oppenheimermovie.jp

 

2023年夏にアメリカで封切られたこの話題作の本邦公開がなぜこんなに遅れてしまったのか?
これが実際に鑑賞してまず強く疑問に感じた点です。

原子爆弾の開発を扱っている映画ですからこの国での上映に関してデリケートな面があることは誰でも想像がつきます。
とはいっても世評が高いノーラン監督の最新作として一定の集客力も十分見込めたはずです。
にも関わらず日本での上映権取得についてなかなか大手配給会社が手をあげなかったということは余程に過激な描写、あるいはその主張に問題がある映画なのであろうと想像していました。

しかし映画「オッペンハイマー」は原爆投下をことさらに正当化しているわけではないし、逆に被曝による惨事を誇張して描写している作品でもないのです。

極めて単純に表現してしまえば、この作品はJ.ロバート・オッペンハイマー (J.Robert Oppenheimer 1904-1967)という人物と彼を取り巻いた人々の姿が核爆弾開発とその使用という過程を通して描かれているだけといってもよい映画です。
内容的にも映像的にもポリコレ的にも特に目くじらをたてる事象が描かれているわけではありません。

 


www.youtube.com

 

ノーランらしく時空を行き来するように各シーンが跳躍しては繋ぎあわされ、豪華な名優たちによって夥しい量のセリフが息つく暇なく繰り出されていきます。

量子力学をめぐるアインシュタインとボーアの立ち位置など科学史の知識がそれとなく前提とされていることに加え、当時のいわゆる「赤狩り」に関する描写が法廷劇的に絡んできます。
情報量が凄まじく登場人物たちの関係や会話を整理して認識するだけでも結構大変な作品でもあります。

他方でこの映画は第二次世界大戦をテーマとしているにも関わらず直接的な戦闘を描いたシーンが一切登場しません。

オッペンハイマー」はジャンルとしての「戦争映画」ではありません。

そしてこの映画には日本も日本人も描かれていません。
広島や長崎が焼き尽くされる場面もないのです。

日本のメジャー配給会社は一体何を危惧してこの映画の本邦公開に二の足を踏んでいたのでしょう。

ノーランがこの映画で問うていることは、広島や長崎よりも「前に」世界そのものの滅亡がロスアラモスで起きていたかもしれないという恐怖であり、それは現在も実は持続しているのではないかという悲劇的な状況についてです。

日本人観客の心情を理不尽に踏み躙るような映画では全くありません。
堂々と日米同時公開に踏み切っていても何も問題はなかったのではないでしょうか。

 


www.youtube.com

 

逆に原爆開発をテーマとしているにも関わらず日本での被害が映像的に無視されていることに抗議し、主体的に配給を断る企業が相次いだために本邦公開が遅れたというのであればまだ理解できます。

しかし単に原爆に関する映画だからという理由だけで上映権取得を躊躇したのであれば、それはこの国の主たる映画配給企業の怠慢とみられても仕方がないのではないでしょうか。

オッペンハイマー」は真の核による恐怖と、そのことに気がつくこともできずにプライドを守ることに必死な人間たちの愚かさを饒舌かつストレートに描いただけの映画です。

だからノーランは「日本」を描いてはいないのです。
描く必要がないわけですから。

この映画は超大作ではあるものの、ある意味ミニシアター向けの文芸系作品とみれなくもありませんから、結果的にビターズ・エンドが配給に名乗りをあげたことが、鑑賞し終わってみると、皮肉にもむしろしっくりくるように感じはしました。

 

とはいうものの、日本人として鑑賞している以上、原爆をテーマとしていながら広島と長崎そして日本自体を描かない「オッペンハイマー」にはどこか歪な空虚感を覚えてしまってもいます。

この感覚は意味合いは少し違うもののお正月に鑑賞した「ゴジラ-1.0」にも共通しているように思えます。

ゴジラ-1.0」もある重要な要素を、あえて、ほとんど描いていません。

敗戦直後の日本が舞台なのに「米軍」が全く登場しないのです。

当時のソ連アメリカの関係という苦しい言い訳を導入しながら山崎貴(1964-)監督はきれいに米国という存在を「ゴジラ-1.0」から消し去っているのです。

結果としてこの映画は「敵国アメリカ」が登場しないことから全米でも拒絶反応を受けることなく本邦映画として異例の大ヒットを記録することになったといえるのかもしれません。

 

「日本」を描かなかった「オッペンハイマー」。

アメリカ」を描かなかった「ゴジラ-1.0」。

 

前者は本年度アカデミー賞の主要部門を独占、後者は日本映画として初めて同賞の視覚効果賞を受賞したそうです。

「説明しすぎ」てつまらなくなる映画が多い中、「描かない」ことによって一定の評価を得ることは素晴らしいことともいえます。

しかし結局どちらの作品からも大きな感銘を受けなかった私にとっては、2作とも壮大な「オポチュニズム映画」となってしまったようです。

 

godzilla-movie2023.toho.co.jp