サントリー美術館の儒教美術展

 

儒教のかたち こころの鑑
日本美術に見る儒教

■2024年11月27日~2025年1月26日
サントリー美術館

 

非常に珍しい「儒教」に特化した日本美術展です。
サントリー美術館としてもこのテーマによる展覧会は初めてなのだそうです。

儒教ときいてすぐにイメージできる作品がほとんどなかったので、どんな構成の展示になっているのか想像できなかったのですが、実態としては狩野派や住吉派の力作障屏画が揃えられている等、とても見応えのある内容の特別展になっていると思います。
予想以上に楽しむことができました。

www.suntory.co.jp

 

一件だけ国宝が展示されています。
史跡足利学校事務所が蔵する「尚書正義(しょうしょせいぎ)」です。
12世紀、南宋で刊行された現存最古の版本で、上杉憲実(1411-1466)によって1439(永享11)年に足利学校へ寄進されています。
尚書」とは四書五経中の「書経」のことです。
現代ではひどく縁遠いテキストのように思われますが、実は非常に馴染みのある言葉がこの「尚書正義」から生み出されました。

「昭和」と「平成」です。
昭和はこのテキストの「百姓昭明協和萬邦」から、平成は「地平大成」から取られた元号で、展示ではちょうどその文言が記された箇所が開示されています。
(なお、展示期間が分けられていて、「百姓昭明協和萬邦」が書かれた第一冊は11月27日〜12月23日、「地平大成」を含む第二冊は12月25日〜1月26日までとなっています。)

900年くらい前の印刷物にも関わらず文字がくっきりと残っていて大きな損傷もみられません。
いかに大切に扱われてきたかが察せられます。
「とちぎデジタルミュージアム」でその一部を閲覧することができるようになっていました。

www.digitalmuseum.pref.tochigi.lg.jp

 

さて、日本絵画の中で描かれる最も「格式が高い」ジャンルが「賢聖障子」(けんじょうのしょうじ)です。
古代中国における32人の賢臣を描いた「賢聖障子」は、儒教思想に基づき、君子に勧善懲悪を意識させるために描かれたいわゆる「勧戒画」で、御所の紫宸殿に設置されました。
並べられた32人は、ある一定の方角に視線を送る決まりとなっています。
天皇が座る高御座です。
天皇を背後から見守る絵画ということになりますから、「賢聖障子」を描くことは絵師にとって最高のステイタスを得たことを意味していました。
神道や仏教、王朝文学等ではなく実は儒教所縁の題材が日本美術最高のモチーフであると、ある意味においてはという前提ではありますが、いえるのかもしれません。

 

仁和寺金堂

その「賢聖障子」の中で、現存する最も古い作例が仁和寺に残されています。
描いた絵師は探幽・尚信・安信兄弟の父、狩野孝信(1571-1618)です。
1641(寛永18)年、今に残る最古の紫宸殿建築である仁和寺金堂が下賜された際、一緒にこの寺に伝わっています。

仁和寺金堂は、もともと1613(慶長18)に造営された「慶長度内裏紫宸殿」でした。
孝信はその「賢聖障子絵」(重要文化財)を1614(慶長19)年に描き上げています。
力強さと格調高さを兼備した見事な筆捌きを確認できると思います。
(期間中展示替えがあり、全28面中、今回は前後期あわせて8面が公開されています)

慶長度紫宸殿の高御座にこの勧戒画を背にして座した天皇がいたとすれば、それは後水尾天皇(1596-1680・在位1611-1629)と明正天皇(1624-1696 在位1629-1643)ということになると思われます。

 

京都御所紫宸殿正面

ところで、今の京都御所紫宸殿にはどんな「賢聖障子」が飾られているのでしょうか。
現在の紫宸殿は1855(安政2)年に造営されたものです。
その前年である1854(安政元)年、それまで使用されていた寛政度内裏焼失を受けて建てられたのですが、このとき、紫宸殿内にあった「賢聖障子」は一部損傷を被りながらも取り外しに成功し火難から逃れています。

この救出された寛政度紫宸殿内「賢聖障子」を描いた絵師が住吉広行(1754-1811)でした。
当初担当するはずだった狩野典信(1730-1790)が制作途中で亡くなってしまったため、広行が仕事を引き継ぎました。
今回の展示では1791(寛政3)年に住吉広行が描いた「賢聖障子」の下絵図(徳川美術館蔵)が紹介されています。
狩野孝信が描いた慶長度のそれと比較すると線描はかなり繊細で、迫力がない分、人物描写自体は自然な感じを受けます。
これは寛政度内裏造営が総じて「復古様式」を重んじたことが影響しているようです。
幕府は建築様式だけでなく由緒ある「賢聖障子」にも古式の復活を求めたため、当時の御用儒学者たちの意見をとり入れて32人の特徴を明確に示し、住吉広行もそれに従って描いたものと考えられています。

ただ、現在の紫宸殿内に実際設置されている「賢聖障子」は住吉広行が描いた原本ではありません。
昭和に入って制作された模写です。
宮内庁のデータベースによると模写を担当した画家は梥本武雄。
梥本一洋の弟です。
梥本武雄は京都御所小御所の障壁画再制作も請け負った菊池契月画塾の一員でしたから、そうした縁でこの模写仕事を任されたのかもしれません。

kyoto-gosho.kunaicho.go.jp

 

優れた古代中国の君臣たちを題材とした儒教障壁画は、宮廷だけではなく徳川家等でも当然にとり入れられることになりました。
この展覧会では、狩野探幽(1602-1674)による名古屋城本丸御殿の「帝鑑図」をはじめ、新旧狩野派による大作の数々を鑑賞することができます。
雄大な山水や華麗な花鳥図とはまた違った「物語」を感じさせるため、絵師たちが凝らした工夫が随所に感じられる名作揃いでした。

「二十四孝」を題材とした作品では、父が蚊に刺されないように自分が身代わりになるという「呉猛」や、親に自らが年老いたように見られないためにわざと奇妙な子供の格好をして遊ぶ姿を見せたという「老萊子」の話など、今となってはトンデモ系とみなされてもおかしくない孝行エピソードがたくさん選ばれています。
こういうモチーフが多いために儒教美術はなんとなく敬遠されることにもなるのでしょうけれども、儒教が近世まで大きな影響を美術界にも及ぼしている以上、「図像」を読み解く上では必要な知識なのでしょうし、あらためて観てみると、細かい表情付けなどに絵師の繊細な仕事ぶりが伝わる面白い作品が多いことにも気が付くことになりました。

全面的に写真撮影が禁止されている展覧会です。
明確に前期後期が分けられてはいませんが、12月25日を境に多くの作品の入れ替えが予定されています(詳細はサントリー美術館HPにある展示替リストPDFをご参照ください)。

地味なテーマからか、前回の「英一蝶」展より来場者は少なめと感じました(平日)。
内容は情報量を含め濃密なので、静かな環境の中、じっくり儒教美術を堪能できる特別展ではないかと思います。
解説文が充実した図録もとても参考になりました。
なお他地域への巡回は予定されていません。