松村和彦 心の糸
■八竹庵(旧川崎家住宅)
山田 学 生命 宇宙の華
■HOSOO GALLERY
山内 悠 自然 JINEN
■誉田屋源兵衛 黒蔵
■2023年4月15日〜5月14日 (京都国際写真祭)
女性写真家、男性写真家、あるいは日本人写真家、外国人写真家といった単純な区分け自体、もはや、とうの昔に無意味になっていると思います。
でも、前回のKYOTOGRAPHIE 2022を鑑賞して、ちょっとした衝撃を受けたのも事実です。
昨年、この国際写真祭のメイン・プログラムに登場した「現役日本人男性写真家」は一人もいなかったのです。
(過去の大家を含めると奈良原一高がとり上げられてはいました)
昨今の女性アーティストたちが放つ圧倒的迫力に、もはや男たちは吹き飛ばされてしまったのかと、余計な心配をしたのですが、今年は3人の現役日本人男性写真家がしっかり登場しています。
三名とも、先鋭なその個性が切り取った世界が開陳されていて、素晴らしい成果をあげていると感じます。
男性写真家の「生存確認」ができたような、ちょっとした安心感を得ました。
松村和彦(1980-)は京都新聞の写真記者です。
でも、「心の糸」と題された今回の展示には、いわゆる「報道写真」とは全く別種の世界観が示されていると感じます。
ジャーナリストとしての眼と、フォトグラファーとしての眼に加えて、静かな劇性を企図した詩的な視点がみられます。
多層な感性を意識させるアーティストという印象を受けました。
「認知症」がとりあげられています。
身近に重いテーマです。
写真記者らしく、もっと報道写真のように直截的に提示する方法もとりえたであろうし、それはそれでメッセージ性が高い効果が得られたのではないか、とも思います。
しかし、松村は、セノグラフィーを担当した小西啓睦と共にKYOTOGRAPHIEという「舞台」が生み出す絶大な効果をじっくり検討したのでしょう。
旧川崎家住宅の二階に染み込んだ、かつてここに暮らした人たちの息遣いをも味方につけながら、事態と向き合っている人物や事象を柔らかくユニークに提示しています。
京都という街は、一見、歴史をいかにも重んじているようでいて、実は毎日のように目まぐるしく姿を変えている場所でもあります。
そのスピードは、規模は全く違うものの、ひょっとすると東京以上かもしれません。
昨日まであった町屋が、今日はもう跡形もない、というようなことは日常茶飯事です。
小さい家々に囲まれて、小さい長方形の空き地がポツンと出来て、はじめて「ああ、ここに家があったんだなあ」と気がつく。
けれども、どんな家だったのか、そのディテールを、たいてい、もう思い出すことはできません。
街全体が、小さい「認知症」を、日々、作り出しているような都市でもあるのです。
松村がここに写しだしている人々の姿や表情は、実は京都では、高齢者に限らず、ひどく身近に、各々に起こっている事象ともいえるのではないでしょうか。
「心の糸」は、意識的ではないのでしょうけれど、この街を撮り続けている写真家だからこそ、提示できた世界なのかもしれません。
デジタル画像が一般化して、一番影響を受けた色が「黒」だと思います。
黒はどんどん純化して、液晶の質や画素数が上がる毎にその美しさを異次元的に高めているようにも感じます。
山田学(1973-)は、その最近の「黒」が手にした、世界を吸い込むような威力を充分意識しているようです。
「生命 宇宙の華」と題された作品の主役は「黒」です。
ルイナールのアーティスト・イン・レジデンスに選ばれたという山田は、シャンパーニュの都、ランスでこの作品群を制作したのだそうです。
葡萄そのものやバクテリア、京都から持参した金箔など、多彩な素材が、「宇宙」に見立てられた極めて純度の高い「黒」の空間に散りばめられています。
見ようによっては、新しい染織芸術のようでもあります。
黒を地にしながら、自在に美をぶちまける素材たちの輝きを、「定着」させるテクニック。
これは一種の「染め」の技法といっても良いのではないか。
山田によって創造された「華」からそんな印象を受けました。
洗練されたセノグラフィー(小髙美帆)ともども、写真というより、まるで熟練の手による「工芸」美の世界。
堪能しました。
富士山の山小屋に2年近く暮らしたこともあるという山内悠(1977-)の経歴からは、一見、いかにも昔ながらの「男の自然写真家」というイメージと作風を想像してしまいます。
しかし、「自然 JINEN」と題された、屋久島を写したこの作品群には、むしろ、非常に繊細な、誤解を恐れずにいえば、「人工美」が鮮烈に出現しているように感じます。
山男風の、悪い意味での「素朴さ」は微塵も感じられません。
前述の山田学とも共通する、熟練の工芸家に匹敵するような、テクニックと洗練されたセンスが光る写真群が展開されています。
今や京都グラフィーを代表するといってもよい会場の一つ「誉田屋源兵衛 黒蔵」の特性を見事に活かしきった展示と感じました(セノグラフィーは姜順英)。
ほとんど照明が落とされた暗い空間に、山内がとらえた屋久島の神秘的に多彩な表情が写し出されています。
どれほどの色彩要素が表れているのか、見当もつかないような複雑で多層な形状を持った植物や鉱物。
あるいは、何か、明らかな「意思」によって創り出されたとしか思えないような奇妙に成形された岩石。
それら摩訶不思議な屋久島の物体たちを、おそらくその場で、ただ漫然と眺めただけでは、山内がとらえた姿のようには見えないと思います。
「自然 JINEN」には、このタイトルの奥に隠された、「写真家の眼」が確実にあります。
手付かずの屋久島に、あるようにしてある、まさに「じねん」の物体を、写真として切り取っているのは、山内悠という「人工」に他なりません。
暗い「黒蔵」に設えられた「塔」の中は、逆に真っ白な明るい世界があります。
土壁剥き出しの螺旋階段を上がり、到達した空間には、今回のKYOTOGRAPHIEがティーザーのキービジュアルとして採用した「石」の写真が披露されていました。
「自然」をそのまま写しても、提示しても、実は、あまり自然らしくないのでしょう。
人工の眼と舞台演出によって、明らかになる「じねん」。
螺旋階段でちょっとした「冒険」もできた、楽しく美しい展示でした。