秋季特別展「眷属(けんぞく)」
仏菩薩等に付随して登場する様々なキャラクターである「眷属」を、特定の宗派にこだわることなく名品から珍奇作まで幅広く取り揃えた意欲展です。
あらためて仏教美術における「眷属」とは何なのか、ちょっと考えさせられる企画でもあり、とても楽しめました。
https://museum.ryukoku.ac.jp/exhibition/
一口に眷属といっても実に多種多様であり、そのすべてを網羅した展示は、龍谷ミュージアム側も自認している通り、実質的に不可能でしょう。
この展覧会ではまず眷属を「主となる尊格に従う存在としての天部等(菩薩や仏弟子は除く)」とし、取り扱う範囲を特定しています(図録P.9)。
その上で、次の通り代表的な眷属群をまとめて紹介するというスタイルが取られていました。
とてもわかりやすい構成です。
「十二神将」
『薬師瑠璃光如来本願功德経』などで説かれている薬師如来の眷属です。
今回の展覧会では愛知の密蔵院が有する鎌倉期の「薬師十二神将像」といった、なかなかお目にかかれない珍しい作品が紹介されています。
「十六善神」
般若経典を守護する眷属とされ、『大般若経典』の転読が盛んになった平安時代以降、特に釈迦如来を主尊とした絵画などに数多く登場するようになりました。
今回は醍醐寺からこれも非常に稀れな例である極めて美しい「般若菩薩曼荼羅」(重要文化財)が出展されています。
「十羅刹女」
法華経『陀羅尼品』に説かれている十人の女性で、もともとは鬼子母神同様に鬼女でしたが仏法に帰依した後は釈迦に従い、主に普賢菩薩と関連して図像化される眷属です。
東京藝術大学大学美術館から出展されている鎌倉期に描かれた「普賢十羅刹女」は、平安貴族女性のような格好をした十羅刹女が舞い踊っていて、主尊である普賢菩薩よりも強く異様な存在感を放っています。
「二十八部衆」
『千手千眼観世音菩薩広大円満無礙大悲心陀羅尼経』に説かれ、『千手観音造次第法儀軌』によって具体的に28と指定された千手観音の眷属です。
梵天・帝釈天、四天王、金剛力士、八部衆といった様々な天部をも含んでいて、龍谷ミュージアムの見学知都世リサーチ・アシスタントの言葉を借りれば「眷属オールスターズ」ということになるようです。
永観堂禅林寺から運ばれた南北朝時代の絵画「千手観音二十八部衆」は中央の千手観音を十分緻密に表現しながら、それに劣らぬ細かさで左右に夥しい二十八部衆を徹底的に描き込んだ傑作。
あまりにも情報量が多いため時間を忘れて見入ってしまいました。
「十二天」
火天や水天といった密教の曼荼羅等でお馴染みの尊格です。
ただ、特定の主尊に関連して付き従っているわけではないため、図録でも「眷属と呼ぶべきか検討の余地はある」(P.11)とされています。
十二天は大日如来の世界そのものに付随しているとも考えられますから、密教図像として描かれた場合、眷属として良いのではないかと個人的には思いました。
龍谷ミュージアムの3階と2階で開催されている今回の「眷属展」では、以上のような天部系の典型的眷属たちをまず3階展示室で紹介しつつ、2階展示室では主に不動明王に関係した「童子」たちや特定経典に拠り所をもたない日本独特の眷属等を取り上げています。
2階会場は先述したこの展覧会が範囲としている「眷属」、つまり「主となる尊格に従う存在としての天部等」の「等」に焦点があてられているパートといえるかもしれません。
金剛峯寺からやってきた指徳童子と阿耨達童子の彫像など、なかなかに豪華な作品が展示されていて、こちらのフロアも見応え十分の内容となっていました。
さて、不動明王に付き従う童子といえば、いうまでもなく、矜羯羅童子と制吒迦童子の二童子です。
二童子は一般に典型的な不動明王の「眷属」と説明されることが多く、この展覧会でもそのように扱われています。
ところで、眷属は如来や菩薩といった主尊ととても近い関係を結んではいますが、「仏」そのものではない存在ということもできます。
十二神将のように経典によっては薬師如来の「分身」と説明される例もありますけれども、その主な役割はあくまでも主尊である薬師如来とその信仰者の守護ですから、主-従の関係性が強く意識されています。
ところが不動明王と矜羯羅・制吒迦二童子の関係は、他の天部系眷属とは性質が異なっているように思えるのです。
二童子はどうも不動明王を守護しているようにはみえません。
憤怒の形相で剣まで構えている不動明王自体、とんでもなく強い力を持っていますから、別に二童子に守ってもらう必要はないともいえます。
二童子について説かれた『不動使者陀羅尼秘密法』によれば、矜羯羅童子は「不動明王をつつしみ敬う小心者」、制吒迦童子は「ともに語り難き悪性の者」とされているそうです(図録P.12)。
矜羯羅童子は主尊を「つつしみ敬う」という存在ですから眷属とされても不思議ではありません。
しかし制吒迦童子は矜羯羅童子とは対照的に悪さばかりしている子供ということになりますから、なぜこの童子が不動明王と共に図像化されるのか、「主となる尊格に従う存在」である「眷属」として解釈するとわけがわからなくなってくるようにも思えます。
実はこの不動明王と二童子の関係について、非常に深く考えを巡らせた宗教者が平安時代に存在していました。
真言宗の僧、淳祐(890-953)です。
菅原道真の孫にあたり、石山寺第三代座主として真言小野流の教学を深く探求した学僧として知られています。
渡辺照宏の『不動明王』(岩波現代文庫)に、この淳祐が著した『要尊道場観』を引用しつつ、不動明王と二童子の関係についてわかりやすく解説されている部分がありました(同著P.173)。
淳祐は「不動尊道場観」として、19にも及ぶ不動明王観想のプロセスを示し、行者と本尊が一体化する方法を解説しています。
その最後の段階、第19に二童子に関する記述がみられます。
「第十九。変じて二童子と作(な)り、行人に給付す。」
この「変じて」という主体は不動明王に他なりません。
つまり、淳祐によれば、二童子はいずれも不動明王そのものが変身した姿ということになるわけです。
矜羯羅童子が「小心者」とされるのは、「正道に随順する者」だからであり、制吒迦童子が「悪性の者」なのは、「違道に順わざる者」を表現しているとも解説されています。
二童子は不動明王に付き従っている部下、というよりも、不動明王そのものがわかりやすく童子の姿をとって出現した有り様ということなのでしょう。
さらにもともと不動明王は真言密教の教主、大日如来そのものでもあります。
とすると、二童子は大日如来自体を表現しているともいえます。
これは淳祐の解釈ということにはなりますけれども、不動明王と二童子の関係を考えると非常に説得力のある深い見識と感じます。
眷属が「主となる尊格に従う存在」であるという、この展覧会の説明に異論はなく、広く一般的にとらえるならば矜羯羅童子も制吒迦童子も不動明王の眷属としてよいのかもしれません。
ただ、二童子は不動明王に「従っている」のではなく「不動明王そのもの」という解釈をとると、二童子を「眷属」といってよいのかどうか。
眷属自体が帯びている宗教性をあらためて考えさせられることになりました。
前期(〜10月20日)、後期(10月22日〜会期末)で結構展示品の入れ替えがあります。
蛇の姿が印象的な「天川弁財天曼荼羅」が二種展示されます。
ただ、大阪正圓寺蔵のフィギュアにもみえる珍傑作「厨子入」立体曼荼羅は通期展示されていますが、奈良の能満院が有する室町曼荼羅は後期からの展示です。
なお展示室内の写真撮影は全面的に禁止されています。