原派、ここに在り ー京の典雅ー
■2023年2月18日〜4月9日
■京都文化博物館
絵師として五代続いたという原家は、「原在中」のごとく、当主の名前に「在」の一字を受け継いでいます。
だから「原」派、ここに「在」り。
一見、駄洒落のようにつけられた展覧会タイトルなのですが、実は結構うなずけるところがあります。
「在りそうで無かった」、そういう展覧会といえるかもしれません。
京都文化博物館の3階スペースのみで開催されていて、総合展示(常設展)料金の範囲内で鑑賞することができます。
(4階では別の企画展「東洋文庫の名品-知の冒険」が開催されています。なおこの東洋文庫展チケットで、原派展と総合展示も同時に鑑賞できます。)
原派の絵画は、京都の寺社仏閣等で比較的よく目にする機会がありますが、一番簡単に楽しめるところといえば、京都御所でしょうか。
常時公開されている「諸大夫の間」に描かれた水墨、桜の図は、原在照(1813-1871)の筆によるものです。
薄暗い室内、かつ、ガラス越しなので必ずしも見やすいとはいえませんけれど、いつでも無料で鑑賞することができます。
さらに有名な例では仁和寺の宸殿でしょうか。
全室が原在泉(1849-1916)による華麗に雅やかな障壁画によって飾られています。
洛中洛外に作品が多数残る原派。
やや本格的に活動した歴史は短いながら、マイナーとは決していえない一派です。
ところが、京狩野や円山・四条派といった近世京都画壇の各流派に比べ、「原派」を個別に特集したメジャーな企画展が近年あったのか、私が知らないだけかもしれませんが、記憶がないのです。
まさに「在りそうで、無かった」感じ。
でも、「原派、ここに『在り』」としているのがこの企画です。
洒落でこう題しただけではなく、実質的な意義もこめられた展覧会名なのです。
原派の中で最も有名な人物は、流派の祖でもある原在中(1750-1837)でしょう。
京都の酒造業を営む家に生まれたとする説明が一般的だったと記憶するのですが、今回の展示解説文によると、父親は越前の医者という説が有力なのだそうです。
その師匠についても石田幽汀と円山応挙、いずれなのかはっきりしないなど、近世京都画壇の巨匠にも関わらず、来歴がよくわからない人でもあります。
大型の障屏画から小品、人物画から花鳥画、風景画と、規模や画題を選ばないばかりか、大和絵風、中国画風とそのスタイルは多種多様。
この展覧会でも在中の見事な各様式のテクニックを感じとることができる作品が並んでいます。
江戸時代後期の人としては異例なほど長命だったこともあって、一代で絵師の家、原派の基礎を築いてしまいました。
ただ在中の多芸多才さが、逆に彼固有の画風をイメージさせにくいところでもあり、そこが「原派展」の開催になかなかつながらない一因になっているといえなくもありません。
さて、今回、瞠目させられた絵師に原在正(1778?-1810?)がいます。
在中の長男として生まれていますが、30歳代前半で亡くなってしまったこともあって、作品は少なく、今まで意識したことがない人でした。
聖護院が蔵する彼の「滝図」が出展されています。
驚きました。
高さは3.2メートルもあり、文博展示室の天井ギリギリのところから掛けられています。一本の滝が異様なバランスで描かれています。
ただし写実的に滝とわかるのは図のごく上部だけ。
その大部分はとても速い筆で、ほとんど抽象画のように描かれた流れ落ちる水流そのものです。
破天荒なまでの構図と筆致。
在正の比較的初期の頃に描かれた作品とみなされていますが、それにしても常軌を逸した強烈な個性が感じられます。
聖護院は、周知の通り、修験道本山派を支配していた寺院です。
この異様な滝図は、まるで修験者がその水流に挑むことを想定したような迫力をもっていますから、寺のニーズに応えただけなのかもしれませんが、師匠でもあった在中の作風とは明らかに違います。
在正は父である在中に勘当されてしまった人です。
「滝図」からは、全くの想像ですけれど、在正という絵師のもつ気性の激しさみたいなものが発散されてくるようにも感じました。
勘当された長男に代わって原派の正統を受け継いだのが、在中の次男、原在明(1778-1844)ということになります。
この人の代になってくると、原派の特徴、あるいはレゾンデートルのような要素がはっきりしてきます。
宮中、そして近衛家といった公家社会との強いつながりです。
在明は下級ながらも官位を得た上に、春日社の「春日絵所職」の株を買い取るなど、宮廷や摂家などから仕事を得やすい身分を着々と構築しました。
さらに有職故実をその筋の先達たちから熱心に吸収したことで、年中行事や儀典を題材とした絵画の受注を盛んに得ていくことになります。
すっきりとした端正な筆使いを特徴とする在明の作風は京都上層階級のニーズに十分応えるものだったのでしょう。
この展覧会にも近衛家の陽明文庫や冷泉家時雨亭文庫といった公家ゆかりの施設からの出展品が多くみられます。
在明の絵は、儀礼の様子などを忠実に写すことを目的としていた面もあるため、在中の多芸さや在正がもっていた迫力は感じとれません。
しかし、逆にこの芸風がその後の在照、在泉とつづく典雅な、いかにも「原派らしい原派」のスタイルを確定させたともいえます。
今回特に惹かれた絵師である原在正の名品として、「旧三井家下鴨別邸」から孔雀が描かれた杉戸絵が外されてここに出展されているのですが、三井高福が明治に建てた邸宅にこの江戸時代絵師の作品がどうして収まったのか、来歴は不明なのだそうです。
在中にしてもミステリアスな部分が多分に残されていて、特に大徳寺との関係などは今後の研究課題なのだとか。
本展では、現在の原家当主である原在義氏が所蔵する珍しい作品も多数出展されていました。
まだまだ未知の作品がどこかに眠っているのかもしれません。
この企画が原派をもっとディグる契機になってくれれば、と、期待感を抱かせてくれる素敵な展覧会でした。