■2024年2月17日〜3月29日
■美術館「えき」KYOTO
2022年9月に渋谷(Bunkamura ザ・ミュージアム)からスタートして各地を巡回している「イッタラ展」。
現在、伊勢丹京都の7Fで開催されています。
この後、高知県立美術館を経て6月末頃から最終巡回地である秋田市立千秋美術館で開催される予定となっています。
随分と息の長い企画展です。
イッタラ(Iittala)はこの国でも非常に馴染みのあるブランドです。
値段が比較的手頃なので実際に使っている人も多いのではないでしょうか。
私もその一人です。
でも本展はこの企業や親会社のフィスカースが主催しているわけではありません。
フィンランド・デザイン・ミュージアム(Design Museum, Helsinki)が全ての巡回展において主催として関与しコーディネートしています。
企業としてのイッタラは特別協賛の立場で側面支援に徹していますから、ヴィジュアル的にお洒落を意識した演出は冒頭と最後に少しあるだけで、全体としては歴史面やガラス製造技法、デザイナーたちの紹介といったかなり真面目な内容となっています。
イッタラブランドを代表するプロダクトであるアルヴァとアイノ、アアルト夫妻のデザインによる作品が冒頭近くでまず紹介されています。
でもちょっと意外なのですが、アアルト夫妻がイッタラにデザイナーとして直接所属したことは一度もありません。
アイノ・アアルト(Aino Aalto 1894-1949)がデザインしたことで知られる非常に有名な「ボルケブリック」は、1932年にイッタラ(当時はカルフラ=イッタラ)が主催したコンペティションで入選した作品です。
つまり正確にいえばイッタラの能動的な発注によってデザインされたものではないのです。
またこれもイッタラの代名詞になっている「アアルト・コレクション」、つまりアルヴァ・アアルト(Alvar Aalto 1898-1976)のデザインによるガラス製品は1936年に彼がイッタラのコンペに参加した際に発表された「エスキモー女性の革製のパンツ」というスケッチをもとに制作されているものです。
アルヴァ自身はデザインを提供したものの製販に伴う収益はコンペを主催したイッタラ側に帰属したため経済的なメリットはあまりなかったともいわれています。
むしろ彼の花瓶の中で最も有名な作品は、このスケッチでのデザインを発展させつつヘルシンキのレストラン「サヴォイ」のために夫妻自身によって制作された「サヴォイベース」の方でしょう。
つまり現在もイッタラで生産が続けられているこれらの製品は極めて根強い人気を誇ってはいますが、アアルト=イッタラというほど強い関係性があったわけではないのです。
フィンランド・デザイン・ミュージアムもこのことを意識していたのでしょう。
本展では一応アアルト夫妻に敬意を払いつつも、正式なデザイナーとしてイッタラに大きく貢献したアーティストたちをしっかり中心に据えて紹介しています。
中でも、カイ・フランク(Kaj Franck 1911-1989)やタピオ・ヴィルカラ(Tapio Wirkkala 1915-1985)と並び、イッタラの躍進に大きく貢献したデザイナー、ティモ・サルパネヴァ(Timo Sarpaneva 1926-2006)に強く惹かれました。
サルパネヴァとイッタラの結びつきも同社主催によるコンペティションから始まりました。
1951年、コンペで優勝したサルパネヴァはイッタラのデザイナーとして採用されています。
54年のミラノ・トリエンナーレでグランプリを受賞したことから国際的にその名を知られるようになりました。
1958年、彼は「i-ラインシリーズ」と名付けた一連のガラス製品を発表します。
洗練されたモダンなデザインをもちながら当時としては画期的だった色ガラスを採用したi-ラインは、独特の繊細さと温かみを兼備していて、いま見ても全く古さを感じさせません。
サルパネバァは自分自身の「職人性」に強くこだわっていた人物としても知られています。
これも彼を代表する作品である「クラリタス」(1983)は気泡をガラスの内部に閉じ込めたとても美しく幻想的なオブジェですが、サルパネヴァは自ら工場に籠って職人たちと作業を共にしたそうです。
今回の企画ではガラス製品メーカーとしてのイッタラに焦点が当てられていますから展示はされていませんでしたけれども、サルパネヴァといえばなんといっても「キャセロール」が最も知られたプロダクトかもしれません。
i-ラインのガラス製品は1960年代くらいで生産を終了したようですが、このクッキング製品は今でも現役で簡単に手に入ります。
さて、イッタラの製品には小さい「i」の文字をデザイン化した赤いロゴが付いています。
このロゴもサルパネヴァが制作したもので1956年から使われています。
ところが、まさに今、2024年2月、この歴史あるサルパネヴァデザインのロゴを廃止する決定が同社からプレスされています。
偶然とはいえ本展開催中の発表だったので驚きました。
新しいロゴは長年親しまれてきたサルパネヴァの"i"マークを取り除き、イエローをベースに「1881」という創業年が意識された文字のみのデザインに変更されています。
印象的なのは"IITTALA"の文字列に少しバイアスをかけ、"A"を中心に据えているところでしょうか。
これはアイノ・アアルトのAに因んでいて、書体自体が「Aino」という新開発されたものなのだそうです(Aaltoの"A"ではありません)。
小さいシール状になっていたサルパネヴァの"i"ロゴは環境保護の観点から製品に貼られなくなるとも発表されています。
アイノの「ボルケブリック」はいまだに人気が衰えない看板商品ではありますが、イッタラへのデザイナーとしての貢献という点からみれば、前述の通り彼女はサルパネヴァほど大きな役割を果たしていたわけではありません。
一方、サルパネヴァの"i"は約70年も使用され続けてきたロゴであり、まだ訴求力が落ちているとも思えないとても魅力的なデザインです。
ブランド戦略としてもったいない、ちょっと寂しい「改革」です。
それだけアアルト夫妻の人気が強力ということなのかもしれません。
因みに昨年公開されてこの種のドキュメンタリー映画としては異例の人気を集めて話題となった「アアルト」(ヴィルピ・スータリ監督)ですが、本展と同期して3月1日より京都シネマで2週間ほど上映されるようです。
この映画を観るとなぜイッタラが新ロゴの書体名を「アアルト」に因んでではなく「アイノ」としたのか少しわかるような気がします。
映画では「アアルトベース」のデザインが実はアルヴァ・アアルトの全く独自のセンスから生まれたものではなく、ハンス(ジャン)・アルプに大きく影響されていたことが語られています。
アイノの器と共にもう一つの看板であるアルヴァの花瓶がイッタラの完全な代名詞になってしまうことは避けたのかもしれません。