ファンタン=ラトゥールの美味しい絵: SOMPO美術館 ゴッホ展

 

 

ゴッホ静物画―伝統から革新へ

■2023年10月17日~2024年1月21日
■SOMPO美術館

 

今やさまざまな象徴的意味をもってしまったSOMPO美術館の「ひまわり」。
この作品を主役とした記念特別展が開催されています。

当初は2020年のリニューアルオープン時に開催される予定だったそうですがコロナの影響で3年間延期されていた企画です。

www.sompo-museum.org

 

ゴッホの名前を冠した展覧会が日本では毎年のように繰り返されています。
しかし、この超人気画家の絵画のみで会場を埋め尽くすことは当然に無理であり、彼と組み合わせるアーティストの作品を寄せ集めて全体を編む必要が出てくることになります。

ただ、これだけ頻繁にゴッホ展が連続すると、よくありがちな「ゴッホ印象派」みたいな漠然とした企画では、「芸がない」という批判を受けるかもしれません。
だまっていてもお客さんがやってくる「ゴッホ展」ではありますが、その分、今や画家個人を超えた「テーマ性」が問われる難しい企画ともいえそうです。
ある意味、今日的な日本における「ゴッホ展」の見どころは、テーマ性も含めて「ゴッホ以外」の作品がどのように集められているのか、その構成力にあるように思えます。

SOMPO美術館による今回の「ゴッホ展」では、「静物画」がテーマとなっています。
自画像をはじめとする人物描写や幻想的な風景画などは潔く割愛し、オランダ時代から晩年まで、彼の幅広い活動期間をとらえつつ、ゴッホが描いた「物」を特集するという企画です。
こうして「静物画」にスコープを絞ると、この分野では、なんといっても「ひまわり」ということになりますから、SOMPO美術館自慢の「ひまわり」が自然に主役という扱いになります。
ゴッホ静物画」は、この美術館の存在意義を示す意味でも、とても巧妙に案出されたテーマだったということがいえるかもしれません。

 

 

とはいえ、ここがまだ「安田火災東郷青児美術館」だった時代、「ゴッホのひまわり」はほぼ常時、鑑賞できる作品でもありましたから、単純にリニュアール記念展で自慢してもらっても、これまた「芸がない」と誹りを受けるリスクがあります。
SOMPO美術館もそのあたりの機微は心得ていて、しっかりアムステルダムのファン・ゴッホ美術館から「アイリス」に特別ゲスト出演を依頼。
「ひまわり」と「アイリス」、対照的な名作が並んで展示されている光景は、さすがに素晴らしく感銘を受けました。

また、ハイデガーとメイヤー・シャピロ、後にデリダまで参戦しての三つ巴批評の対象となった有名作「靴」(ファン・ゴッホ美術館蔵)も来日しています。
そう言われてみれば、この絵も「静物画」でした。
実際の「靴」は、一見すると、まるで美大を目指す高校生あたりが描きそうな汚れたスニーカーの油彩画みたいで、不謹慎にもちょっと笑いが込み上げるような雰囲気があるのですが、じっくり観ていると、確かに何か「語りたくなる」欲求を誘発しそうな絵画でもあります。
あらためてハイデガーの大袈裟な理屈を読み返したくなってくる展示でした。

 

 

 

ゴッホ静物画にみられる他の画家たちからの影響など、関連性をじっくり検討して選ばれた作品が集められています。
単なる「ひまわり」&「アイリス」のお披露目展ではありません。

例えば、パリのサロンを中心に活躍していたというジョルジュ・ジャナン(Georges Jeannin 1841-1925)の「シャクヤク」をゴッホはたいそう気に入っていたのだそうです。
ジャナンによる温雅な花の描写がゴッホの強烈な表現力にどのような影響を与えたのか、それはゴッホ自身にしかおそらく説明はできないのでしょうけれど、いわれてみると、シャクヤクの白く密集した花びらの立体的な輝きが「ひまわり」に遠く響いているようにも感じてきます。

 

ジョルジュ・ジャナン「花瓶の花」(部分 ファン・ゴッホ美術館蔵)

 

私が大好きな画家であるアンリ・ファンタン=ラトゥール(Henri Fantin-Latour 1836-1904)は残念ながらジャナンほどにはゴッホに影響を与えた人物ではないようです。
ゴッホとほぼ同時代に活躍した「静物画」の名手として組み込まれたのでしょう。
2枚の作品が紹介されていました。

一枚はクレラー=ミュラー美術館が蔵する「プリムラ、洋ナシ、ザクロのある静物」。
(なお本作は、つい最近、2021年に東京都美術館等で開催された「ゴッホ展 響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」でも来日しています)

もう一枚は国立西洋美術館のコレクションで、よく上野の常設展で観ることができるお馴染みの名品「花と果物、ワイン容れのある静物」です。

 

ファンタン=ラトゥール「プリムラ、洋ナシ、ザクロのある食卓」(部分)

 

クレラー=ミュラー美術館のゴッホ・コレクションを築いたヘレーネ・クレラー=ミュラーは、ファンタン=ラトゥールにもずいぶんと惹かれていたことで知られています。
ところが、アドバイザーのヘンク・ブレマーがラトゥールよりもゴッホを優先するように強く彼女に勧めたため、ゴッホ級のコレクションが形成されるには至らなかったようです。

krollermuller.nl

 

今回オッテルローから来日している作品は1866年の制作で、ファンタン=ラトゥールが静物画家としてフランス国内でよく知られるようになった時代に描かれています。
それ以前、この画家がどこで成功をおさめていたかというと、母国ではなくイギリスにおいてでした。
ファンタン=ラトゥールの描いた植物や食卓の光景が英国人になぜウケたのか、なんとなく理解できます。
西美の作品(1865年制作)にも共通しますが、彼の描く果物の静かな瑞々しさは、かつてウィリアム・フッカー(William Hooker 1779-1832)が描き、一世を風靡した名植物画集「ポモナ・ロンディネンシス」の雰囲気を受け継いでいるように感じられるのです。

フッカーの画集は、ちょうど昨年の同時期、ここSOMPO美術館で開催された「ボタニカル・アート展」で大きく取り上げられていましたから記憶されている方もいるかもしれません。

www.sompo-museum.org

 

写実美と「美味性」が奇跡的に融合したようなフッカーによるボタニカル・アートが英国人に好まれていたことをファンタン=ラトゥールが認識していたのかどうかは調べてもいないのでわかりませんけれど、2作品にみるフルーツたちの「美しく美味しそう」な気配は「ロンドンのリンゴ」と共通する美意識を感じてしまいます。

 

ファンタン=ラトゥール「花と果物、ワイン容れのある食卓」(部分)

 

他方、ゴッホが描く「食べ物」、例えば「洋ナシ」などは、色彩が極端に鈍重なオランダ時代の作品とはいえ、少しも「美味しい」雰囲気を漂わせてはくれません。
不思議なことに、この果物としての「有り様」は、むしろセザンヌと共通点があるようにも感じられます。
セザンヌのリンゴも、フッカーやファンタン=ラトゥールとは違い、「食べたい」という欲求を無関係にしてしまう、圧倒的な「物体」です。

 

ゴッホ「陶器の鉢と洋ナシのある静物」(部分・ユトレヒト中央美術館蔵)

セザンヌ「リンゴとナプキン」(部分・SOMPO美術館蔵)

 

ゴッホをキーに、さまざまな画家たちの手法やそれを受け入れた鑑賞者たちの趣向まで想像したくなる「連想する愉しみ」が展覧会に幅をもたせていたように感じます。
素晴らしい企画展でした。

なお、大半の作品が写真撮影OKとなっていますが、中にはNGのものもあります。
盛大にスマホのシャッター音を響かせているお客さんがいますから、気になる人はノイズキャンセリングイヤホンが必須かと思います。
また、昨今の「エコ・テロ」を警戒してか、入り口で手荷物検査がありました。
面倒な世の中になったものです。

ところで、2026年と27年の2回に分け、福島県立美術館が「大ゴッホ展(仮)」を開催するというプレスリリースが今日、12月7日にありました。
1期には「夜のカフェテラス」、2期は「アルルの跳ね橋」と、これだけでも万単位の入場者を集めそうな展覧会ですが、「約7割をゴッホ作品が占める」そうですから、ひねった企画性によって訴求するのではなく正真正銘の「ゴッホ展」をめざすのでしょう。
震災から15年の節目にあたり、またもやクレラー=ミュラー美術館が相当に力を入れて協力するようです。

まだまだ、この国の「ゴッホ展」は続きます。

 

ゴッホ「アイリス」(ファン・ゴッホ美術館蔵)