開館60周年記念
小林正和とその時代ーファイバーアート、その向こうへ
■2024年1月6日〜3月10日
■京都国立近代美術館
2023年に開館60周年を迎えた京近美による記念企画シリーズ、その最終回です。
とても静かに豊かな時間を過ごすことができる特別展だと思います。
開館60周年となった2023年度は、甲斐荘楠音、「現代美術の動向展」回顧、走泥社、近代京都画壇特集といかにもこの美術館らしい企画が続きました。
ただ、アニーバーサリー・イヤー・シリーズ、その最後に取り上げるアーティストが小林正和(1944-2004)というのは少し意外な感じも受けます。
今年2024年は彼の生誕80年、没後20年という節目にあたってはいるものの、一般的な知名度という点ではやや地味な存在といえなくもありません。
しかし、小林のバイオグラフィーを見返してみると、彼の生涯が実はこのミュージアムの歩みと奇妙に軌を一にしていることに気がつきます。
1944(昭和19)年3月31日、京都市北区小山下総町、現在の地下鉄鞍馬口駅北側あたりに位置する町内に生まれた小林正和(生家は古美術商)が、紫野高校を卒業し京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)に入学した年は1963(昭和38)年です。
その同じ年、「国立近代美術館京都分館」、つまり現在の京都国立近代美術館が開館しています。
さらに彼が京都市美大を卒業し、川島織物に就職した翌年、1967(昭和42)には、東近美の「分館」扱いから離脱し、正式に独立した組織として「京都国立近代美術館」が発足しています。
つまり、小林正和と京近美はほぼ同時期にその仕事をスタートさせたといっても良い関係にあるのです。
小林は2004(平成16)年8月18日、肝細胞癌のため60歳で逝去しています。
京都国立近代美術館は開館60周年を記念したこの企画で、同じく60年の人生を刻んだ小林正和を取り上げたことになります。
おそらくこうしたことは偶然の一致であり、企画の本筋とは関係ないのでしょうけれど、不思議な因縁を感じてしまいます。
小林正和の作品についてはこの美術館のコレクション展で何度が限定的に接することができたくらいで、今回の企画展のようにまとめて彼の作品を鑑賞する機会を得たのは初めてでした。
喩えようのない「柔らかい静けさ」が伝わってくるように感じます。
いずれの作品もとても計算された美意識に貫かれているのですが、全く無機的に冷たい印象を受けません。
繊維自体がもつ柔軟さと緊張感が絶妙に混淆し、生き生きと、しかもスタティックな美観が生み出されています。
具象的なイメージはほとんどなく、工芸的な「用の美」からも遠くかけ離れた存在が表されているにもかかわらず、小林の作品からはある種の「必然性」が感じられてくるのです。
不思議な存在感に魅了されました。
さて、会場では小林正和だけではなく、ほぼ彼と活動時期を同じくしていた多彩なファイバーアーティストたちの作品も紹介されています。
京都に所縁があるこの分野の第一人者といえば、なんといっても小名木陽一(1931-)ではないかと思います。
彼の代表作の一つ「裸の花嫁」(1972)がお向かいの京都市美術館から招かれていました。
同じファイバーアートといっても、強烈な赤が主張する小名木陽一の作品は小林正和の芸術とは対極にあります。
色彩感覚の違いだけでなく、内臓や手などといった人体のパーツを繊維で編み出した作品に代表される小名木の強烈な作風に対し、小林のそれは無垢な「かたち」としてのファイバーアートにこだわっているようにみえます。
いわば身体的、生理的な美を求めているような小名木に対し、小林正和の芸術は繊維による純粋な形態美の追求にあるといえるかもしれません。
しかし、一見、正反対のようにみえる彼らの作風、つまり生理的な美と純粋な形態美を志向する芸術性は、実は双方とも、「京都」という場が昔から持ち続けているアンビバレントな美意識そのものに根ざしているように思えます。
小林正和の本質にも、この場所がここに生きる者の感性に作用する独特の魔力が深く影響していたのではないかと私は考えています。
繊維のもつ柔軟性を「重力」という普遍的な力で美に変換した小林は、次第にさまざまなファイバー素材がもつ「硬度」に着目していったようです。
「KAZAOTOー87」と題された一種のインスタレーションでは「弓」の形状が執拗に意識されています。
弓は直線と半月状の弧から成立しています。
小林は繊維の持つ柔軟と緊張を同時に表すことができるこのかたちに魅了されたのでしょう。
さらに80年代になってくるとそれまでのモノトーン系から鮮やかな色彩が主張されるようになります。
しかし、硬さや多彩さが重視されているのに、こうした後期の作品からも一貫して伝わってくるのは極めて静謐な美意識であり、なにより「あるようにしてある」という、その存在の必然性です。
会場では小林が残した作品の構想図なども何点か紹介されています。
これら、いわばファイバーアートのスケッチからは、彼がとてもシンプルにまず「かたち」のベースをとらえ、現実の作品として生成していったのか、そのプロセスが端的に伝わってきます。
とても透徹に柔らかい感性をもっていたアーティストだったことが確認できる素晴らしい展示と感じました。
中には「MIZUOTOー99」のように超巨大な作品も出現しています。
極めて繊細にパーツを再構築しなければならかった大作業が推しはかられる見事な展示です。
今回のような規模のレトロスペクティブでないとなかなかお目にかかれない傑作でしょう。
深く感銘を受けました。
大きな作品の比率が高いため、3Fの企画展スペースだけではなくコレクション展示コーナーである4Fの一部も本展に充当され、ゆったりとした鑑賞空間が確保されています。
おそらくこの作家の回顧展としてこれほどまでの質と規模を兼備した企画の再現は将来的にも難しいのではないでしょうか。
非常に貴重な機会だと思いました。
この展覧会は全面的に撮影OKとなっています。
なお、図録についてはちょっと変わった対応がとられています。
「テキスト編」と「図版編」、二つの冊子から構成されていて、後者はまだ出来上がっていません(1月中旬現在)。
おそらく会場での展示風景を図版用写真として撮影しなければならないので、印刷が間に合わないということなのでしょう。
非常にデリケートな展示作業と場所が要求される作品が多いため、館外で事前に撮影することが難しかったものと思われます。
2月下旬頃には「図版編」も出来するようです。
現在は「テキスト編」だけ購入することができますが、その購入者には「図版編」が後日郵送されることになっていて、値段は送料込みで3200円(税込)です。
「図版編」が出来上がった後、二冊セット版を購買コーナーで買ってもこの価格は変わらないそうです。
この企画展は京都の後、岡山県立美術館に巡回します(2024年4月19日〜5月26日)。