■2024年3月16日 14時30分開演
■京都コンサートホール
セルゲイ・ラフマニノフ:交響曲第3番 イ短調 作品44
ジャン・エフラム・バヴゼ(Pf)
指揮:広上 淳一
バヴゼ(Jean-Efflam Bavouzet 1962-)のバルトークがお目当てだったのですが、メインのラフマニノフでも非常にハイレベルなパフォーマンスを楽しむことができました。
広上淳一(1958-)の的確なタクト捌きに反応する京響の真摯な演奏に感銘を受けた演奏会です。
数々の録音で聴くバヴゼのピアノには理知的な構成力が一つの大きな魅力として備わっているように思います。
愛聴しているノセダ指揮BBCフィルとのCHANDOS盤バルトーク ピアノ協奏曲集でもその美質をよく確認できるのですが、今回の演奏ではディスクとは別種の即興的なエネルギーが強烈に発散されていたように感じました。
冒頭からまるで鍵盤に挑みかかるようにバルトークのアレグロを凄まじいテンションで音にしていきます。
第2協奏曲は異様な難曲であり名手バヴゼにしても作曲家が書き込んだ全ての音粒を満遍なく拾い上げることはできていないわけですが、とても説得力のあるアーティキュレーションで旋律を処理しつつ、強烈なリズムの洪水を破綻なく再現。
ダイナミックレンジも非常に広くとられていて、細かいパッセージにもいちいち激しい響きの落差を仕込んでいきます。
聴いているこちら側も一瞬たりとも気を抜くことができない圧巻の演奏でした。
オケは特に前半、ややバヴゼの猛烈さについて行くだけで必死の様相を呈していたものの、次第に広上の非常に明瞭な指揮に応じてシンクロの度合いを高めていったように思います。
ブラスと打楽器群に大きな役目が与えられた作品です。
オケの仕上がりにちょっと不安を感じていたのですが、全くの杞憂に終わりました。
バヴゼは指揮者を通り越してオケと直接呼応したがるような気配をみせるなど、終始ハイテンション。
これを広上がきちっとコントロールして縦の線が乱れないように処理していきます。
スリリングな競演でした。
バヴゼとしても会心の出来だったらしく、オーケストラや聴衆と共に喜びを分かち合いたいとしてドビュッシーの「喜びの島」をアンコール。
大変な難曲の後にまだこんなエネルギーが残っていたのかと驚くほどのブリリアントな演奏が繰り広げられました。
60歳代に入り少し頬がこけた感じもするバヴゼですが音楽感はますます鋭さを増しているようです。
ラフマニノフの交響曲第3番は1936年に初演された作品です。
前半に奏されたバルトークは1933年の初演ですからほぼ同時代の音楽ですが、前衛性という点ではやや時代的に早く作曲されたバルトークの方がはるかに高いという面白い関係にあります。
ただ両作品に共通している点として「作曲家のサービス精神」があるかもしれません。
あらん限りの作曲技法を曲に詰め込み聴衆を圧倒しようという姿勢が、バルトークにおいてはその超絶技巧的ピアノソロに、ラフマニノフでは華麗極まるオーケストレーションと旋律美に反映されています。
ラフマニノフの第3交響曲では耳に直接訴求する非常に印象的なメロディが連続します。
ただ一方で処理を間違えると安っぽい映画音楽的に散乱してしまうことにもなりかねません。
広上は中庸よりやや早めのテンポを設定した上でラフマニノフが精魂を込めたのであろうオーケストレーションの妙を見通しよく表現していました。
加えて特に打楽器群に切れ味の良いアクセントを厳しく要請し、一定の推進力を確保して演奏を新鮮に活性化させていくので全く音楽がダレません。
第二楽章ではゲストコンマスの石田泰尚(1972-)が艶やかなソロを披露しこの作曲家らしい色彩感を提供。
弦群の統率も非常によく、響きが散らかることがありません。
小手先の演出を回避してラフマニノフ自身の音楽そのものに語らせる指揮者とオーケストラの真面目な姿勢によってこの難物交響曲が通俗に堕することなく見事に再現されていたと思います。
前半のバルトークと合わせてかなり耳が忙しくなりそうなプログラムと思っていたのですが、鑑賞後にはむしろ爽快感が残りました。
非常に素晴らしい定期演奏会だったと思います。