クリスチャン・ツィメルマン|2023.12.9 西宮北口

 

クリスチャン・ツィメルマン ピアノ・リサイタル

■2023年12月9日
兵庫県立芸術文化センター 大ホール

 

ショパン夜想曲 第2番 変ホ長調 Op. 9-2、夜想曲 第5番 嬰へ長調 Op. 15-2、夜想曲 第16番 変ホ長調 Op. 55-2、夜想曲 第18番 ホ長調 Op. 62-2

ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調「葬送 」Op. 35

ドビュッシー:版画

シマノフスキポーランド民謡の主題による変奏曲 Op. 10

 

クリスティアン・ツィメルマン(Krystian Zimerman 1956-)は12月5日がお誕生日なのだそうです。

今年は(あるいは今年も)、都内にあるという「日本の自宅」で67歳になる日を迎えたのかもしれません。

 

11月4日の新潟柏崎公演からスタートした今回のリサイタルツアー。

西宮公演は全10公演中の8番目にあたります。

全てのリサイタルが同一のプログラムで構成されていますから、弾いている方もそろそろ飽きてくるのではないかと邪推してしまいましたが、今回も全編にわたってこの人らしく練度と鮮度がハイレベルに示された演奏だったと思います。

深く感銘を受けました。

 

非常によく考えられたプログラムです。

 

前半はショパンのみで構成されているわけですが、4曲の夜想曲は全て長調の作品が選ばれています。

ツィメルマンは4曲をまるで小さく甘いアミューズのように仕上げていました。

このあえて軽みを意識した導入によって、前半メインである第2ソナタの暗い激情性が、より一層、際立って響くことになります。

他方、第3楽章葬送行進曲の中間部で、再び、夜想曲の空気がフワリと取り戻されるため、全体として「死の後の幸福な回想」といったイメージが甘美かつ清透な色彩によって提示されます。

まるで「ショパンの中でショパンが響きあう」ような重層性が感じられました。

概ね、やや速めの中庸テンポを採用していたツィメルマンですが、微細なルバートを全く自然に溶け込ませ音楽を波立たせていくその演奏は、もはや「計算」とか「設計」という概念からほど遠く、完全に音符を体内に取り込み、血肉化しきったピアニストにしか表すことができない芸術でしょう。

圧倒的説得力をもったショパンが展開されました。

 

私がツィメルマンを強烈に意識しはじめた、そのきっかけとなったディスクがあります。

ドビュッシー前奏曲集1&2巻、1991年の録音、DGからリリースされたCDです。

驚異的に透明な色彩感と歌謡性を両立した演奏で、それまでの「ショパンの人」というイメージが鮮やかにひっくり返された演奏でした。

今回の演目に組み込まれた「版画」は彼がまだ録音していない作品だったと記憶しています。

弱音芸の極地ともいうべきパフォーマンスが聴かれました。

過度に硬質なタッチを避けつつも音の粒子自体は非常に細かく把握されています。

それでいて部分的にはあえてぼんやりと音を連ねるような仕上げ方を縦横無尽に組み込んできます。

結果として、各楽曲の立体感がまるで空気遠近法によって描かれた画像のように出現してきました。

もちろん十分、歌の波をも意識していますから、音楽自体の濃度は高く保たれることになります。

即興性を損うことなく完成度の高さが示されたドビュッシーだったと思います。

 


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後半のメインに置かれたシマノフスキのヴァリエイションには、今回のプログラムそのものを象徴する意味が込められているように感じました。

 

シマノフスキ(Karol Szymanowski 1882-1937)自身、ショパンの影響を強く受けた作曲家です。

実際「ポーランド民謡の主題による変奏曲」には露骨なまでにショパンの葬送行進曲が意識された部分が聴かれます。

 

一方で、この曲が書かれた1900年代初頭、彼はすでにスクリャービンの多彩な和声法等を身につけてもいたわけで、随所に複雑な色彩魔術が編み込まれている曲でもあります。

ドビュッシーの「版画」はこの「変奏曲」とほぼ同時代に書かれた作品です。

フランスとポーランド

場所は離れているものの、「新しい和声」への挑戦がこの二作品に共通して現れていることに、今回の実演聴き、瞠目させられました。

ショパンの影響を受けながら、ハーモニクスの面でシマノフスキは時代の先端をこの頃から意識していたのでしょう。

ショパン-ドビュッシーからシマノフスキへと流れ合わさって華開いた新時代音楽の美しさがプログラム全体にかかるテーマの一つだったのかもしれません。

ツィメルマンの演奏は、単に母国の愛すべき大作曲家へのシンパシーといったぬるい理由を超え、シマノフスキ音楽史的な位置付けを再認識させてくれたという意味で素晴らしい仕事だったと思います。

 


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実演で接するたびに、髪も髭も白さの純度を増しているように感じるのですが、ツィメルマンはいつまでたっても老巨匠風にもったいぶったアクションをとることがありません。

相変わらず自然体のステージマナーで人懐っこい微笑をふりまいていました。

ほぼ満席となったKOBELCO大ホールのお客さんたち。

圧巻となったシマノフスキの後、スタンディングオベーションの波が広がっていきます。

これに気をよくしたのか、ツィメルマンはアンコールを2曲サービス。

いずれもラフマニノフ前奏曲で作品32-12と23-14。

透明感と色彩感、そして練りに練られたアーティキュレーションの美学が聴かれたと思います。

ドビュッシーに続きラフマニノフのプレリュードも「全曲」の録音を是非残してほしいと願わずにはいられないパフォーマンスでした。