水野美術館コレクションによる菱田春草展|「えき」KYOTO

 

生誕150周年記念 菱田春草と画壇の挑戦者たちー大観、観山、その後の日本画

■2024年5月25日〜7月7日
■美術館「えき」KYOTO

 

長野市にある私設ミュージアム「水野美術館」が誇る、菱田春草(1874-1911)を中心とした日本美術院所縁の画家たちによる作品を紹介する企画展です。
中規模ではありますが滅多に長野県外では観ることができないと思われる珍しい日本画が数多く取り揃えられていて、見応えは十分でした。

 

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水野美術館創設者であり、きのこでお馴染みのホクト株式会社を創業した水野正幸(1940-2009)は長野県千曲市、温泉で有名な旧戸倉町に生まれた人です。
同県出身である菱田春草の作品をはじめ、橋本雅邦(1835-1908)、横山大観(1868-1958)、下村観山(1873-1930)等、日本美術院に関係した画家たちによる絵画を積極的に入手し、それらの作品をコアに近代日本画の一大コレクションを築いた人物として知られています。

水野美術館は2021年の秋、「没後110周年記念 菱田春草と画壇の挑戦者たち ー大観、観山、その後の日本画」と銘打った展覧会を開催しています。
今回同じタイトルで開催されている京都展はこの2021年展をベースに若干のアレンジを加えて構成されたものです。

今年生誕150年とキリの良いアニバーサリーイヤーを迎えた菱田春草ですが、水野美術館自体は3年前に没後110年展を開催したばかりということになりますから、今回は長野ではなく京都に出張して画家を寿ぐ格好となったようです。

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ところで春草と同じく信州飯田で、しかも同じ年に生まれた日本画家に池上秀畝(1874-1944)がいます。
彼もまた当然に今年生誕150年を迎えていて、先日、練馬区立美術館が大規模な回顧展を開催したばかり。
この展覧会は現在、秀畝の地元である長野県立美術館に巡回しています(2024年5月25日~6月30日)。
練馬展を鑑賞しましたが非常に充実した内容で、忘れられつつあった秀畝の復権にもつながりそうな名企画だったと思います。

新派といわれた春草に対し旧派とされた秀畝。
現在では前者の知名度が後者を圧倒していますが、共に生誕150年を迎えた今年についていえば中村橋での回顧展を観る限り、久しぶりに池上秀畝が菱田春草に伍した一年といえるかもしれません。

ただ、水野正幸自身は春草は好んでいたものの同じ信州の画家であるにも関わらず、秀畝についてはそれほど強く惹かれていたわけではなかったようです。
水野美術館が刊行しているコレクション名品図録で確認できる池上秀畝の作品は1点にとどまっています(同館HPから閲覧できる所蔵品の数は図録刊行時より増えてはいるようです)。

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さて、36歳の若さで亡くなってしまった春草には当然老年期がありません。
しかしその短い画歴の中でも作風の変化や技巧の高まりなど、はっきりとした「円熟」がみられます。
この展覧会では橋本雅邦等から薫陶を受けていた初期から、日本美術院創設と「朦朧体」の確立、そして独自の繊細緻密な画風の完成と、この画家が残した芸術の変遷をよく確認することができます。

水野美術館を代表する春草作品である「月下狐」は1899(明治32)年、朦朧体に踏み込む前の作品で繊細な線描が特徴的な名品ですが、後年の例えば1908(明治41)年に描かれた「桐に小禽」にみる透明感はまだ現れていません。
水野コレクションの春草作品は、「芦に白鷺・柳に白鷗」といった大型金屏風もありますけれど、大半が小品です。
それゆえに春草がたどった作風の遍歴が密度濃く端的に示されているといえるかもしれません。

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会場では「挑戦者たちのこぼれ話」と題された小さいコラムがところどころに掲示され、登場している画家たちにちなんだ面白いエピソードが紹介されています。

横山大観と下村観山がお互いをどう認識していたかを知ることができるコラムもありました。
大観は観山のことを「絵のはなしができない人」とちょっと馬鹿にしたように評しつつも、「自分は観山には技巧では及ばぬから他のもので補わなければならない」と自戒していたそうです。
他方の観山は大観について「古画がよく解らない」人と応戦しつつ、「解らない為に自分の糧になるところだけを克く採り得る。」と賞賛していたそうです。

素人目でみても横山大観は「技巧の人」ではありません。
春草や観山の高度に洗練された筆致と写実力の域に比べるとそのレベルの差は明らかです。
他方で、大観には良くも悪くも一目で観る者の心象を支配してしまう造形力、大胆さがありました。
大観の自戒と観山による賞賛はそれぞれに核心をついています。

 

横山大観「朝陽霊峰」(皇居三の丸尚蔵館蔵) (本展には出展されていません)

 

また一時橋本雅邦の娘と結婚し(媒酌人は岡倉天心)、日本美術院を牽引する一人と期待されながら雅邦と折り合いが悪くなってしまったために結局孤高の道を歩くことになった夭折の画家、西郷孤月(1873-1912)も数は少ないながら傑作が数点紹介されていました。
ちなみにこの人も信州、松本の出身です。

1900(明治33)年に描かれた「月下飛鷺」は闇に闇が重ねられたような幻想美がすばしらしく、「日出元旦」と題された吉祥画は同様の作品である下村観山の「朝日ニ瀧」よりもデザイン的に鋭い美意識が感じられます。

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写真撮影は全面的に禁止されています。
シャッター音公害はありませんが、伊勢丹内という場所柄、連れ立って鑑賞しているご婦人方によるおしゃべり等は狭い館内ですからかなり響きます。
じっくり作品世界に没入したい場合は念の為ノイズキャンセリングイヤホンの用意をしておいた方がよろしいかもしれません。