ジュルメーヌ・リシエ「蟻」など|MOMATコレクション展より

 

所蔵作品展 MOMATコレクション

■2024年1月23日〜4月7日
東京国立近代美術館

 

東近美の春季コレクション展を覗いてみました。

川合玉堂「行く春」や菊池芳文「小雨ふる吉野」などこの時季らしい日本画の名作が並ぶ一方、同時開催されている企画展「中平卓馬 火ー氾濫」を特別に意識したわけでもないのでしょうけれど、複雑に苦み走った作品も数多く展示されています。

www.momat.go.jp

 

ジュルメーヌ・リシエ(Germaine Richier 1902-1959)による彫刻「蟻」(1953)は令和4年度にこの美術館が購入した作品。
今回のコレクション展で初披露されています。

購入価格は約3.4億円と結構なお値段ですが、近年評価が高まっている彼女の代表作としてよく知られている作品ですから妥当な範囲のお買い物なのでしょう。
(独法国立美術館のHPで購入記録を確認することができます)

美術作品購入情報 | 独立行政法人国立美術館

 

ジュルメーヌ・リシエ「蟻」(東京国立近代美術館蔵)

 

巨匠アントワーヌ・ブールデル(Antoine Bourdelle 1861-1929)最晩年の弟子でありジャコメッティやマリーニといったアーティストと肩を並べて活躍していたにも関わらず、早くに亡くなってしまったこともあってリシエの知名度は今までそれほど高いものではなかったと思います。

彼女に関してよく知られているエピソード、というか一種のスキャンダルがフランスの南東部、スイス国境に近いオート=サヴォアにあるアッシー教会のために制作されたキリスト像をめぐる騒ぎでしょう。

1950年に制作されたこのキリスト磔刑像は図像的にカトリック教会側から問題視されることになり、設置してあった祭壇から撤去され脇の礼拝堂に移されてしまうという悲運にみまわれます。
宗教と芸術に関する大きな論争に発展したこの事件の後、リシエは次第に忘れられた存在となってしまったようです。
キリスト像が再び本来の堂内に戻されたとき、リシエの死からすでに10年が経過していました。

昨年2023年3月、ポンピドゥーセンターがジュルメーヌ・リシエの大きな回顧展を開催しています。
オート=サヴォアからはるばるこのキリスト像がパリに運ばれたそうです。

ポンピドゥーでの企画はリシエの本格的復権を象徴するレトロスペクティヴになったといってよさそうです。

www.culture.gouv.fr

 

「蟻」は女性と見られる人間と昆虫との融合体が表されたブロンズ像です。

その異様な形状にすぐ惹きつけられました。

ぷっくりとしたアリのお腹を重心としつつ、か細いながらも強い力を感じさせる腕が何かを掴もうとしているようにも見えます。
四股にとりついたワイヤーは蟻女の力学的なバランスをとりながら、一方でこの生物を拘束するフレームとしても機能しています。

蟻女はワイヤーに抵抗しているのか、あるいはワイヤーをとっかかりとして起きあがろうとしているのか、どちらにも受け取れそうな絶妙な姿勢をとっています。
まるで今から動き出しそうな躍動感と奇妙な絶望感が同居する傑作と感じました。

 

ジュルメーヌ・リシエ「蟻」(東京国立近代美術館蔵)

 

リシエは第二次世界大戦の被害を避けるため一時チューリヒに移住しています。
そこで彼女と親交を結んだのがジャン(ハンス)・アルプ(Jean Arp 1886-1966)でした。

今回のコレクション展では彼の大理石彫像「地中海群像」(1941/1965)が紹介されています。

昨年鑑賞した映画「アアルト」(ヴィルピ・スータリ監督)では、アルヴァ・アアルトによる有名な花瓶「アールトベース」が彼のオリジナルではなく、実はアルプのデザインから大きく影響を受けているという評論家の証言を取り上げていました。

あらためて「地中海群像」をみるとなんとなく言われてみればあの花瓶のデザインとの共通性を感じます。

 

ジャン(ハンス)・アルプ「地中海群像」(東京国立近代美術館蔵)

 

東近美は毎回のコレクション展の中で必ずといって良いほど京都シュルレアリスム画壇を取り上げています。

今回も北脇昇(1901-1951)と小牧源太郎(1906-1989)の作品が展示されていました。

北脇の「空の訣別」は彼の作品中、題材としてかなり異色な内容を伴った絵画です。

楓の種の形をした飛行機はこの画家お馴染みのモチーフですが、本作ではそれが「戦闘機」であることが描かれた題材からはっきりしています。

この作品が描いている場面は1937(昭和12)年8月、日本軍によって行われた上海爆撃作戦、いわゆる「渡洋爆撃」において戦死した梅林孝次海軍中尉の最期です。

といってもリアルに描かれているわけでは当然になく、戦闘機は木の実に変化させ、パラシュートでの脱出を潔しとせず白いハンカチを振りながら墜落していったという梅林中尉は赤い珊瑚で表現されています。

現実に発生した事件を主題としているにも関わらず描かれている内容は全く現実的ではないという意味で本作は随分とわかりやすい「シュルレアリスム」絵画といえるかもしれません。

 

北脇昇「空の訣別」(部分)

 

「空の訣別」は渡洋爆撃があったまさにその年に描かれていますから時事ネタを扱った立派な戦争画ともいえます。
しかしこの絵から勇ましい戦意高揚の響きを聴くことは難しいと思います。

東近美はこの作品について「北脇は遠くで起きている戦争を身近なものにたとえて表すことで何とか自分の実感に引き寄せ、来るべき未来を予見しようとしていたのではないでしょうか。」と解説しています。

福沢一郎等の治安維持法違反による検挙は1941(昭和16)年ですからこの作品が描かれた当時、まだ直接的なシュルレアリスムへの弾圧は行われていなかったようです。

ただ戦闘機を楓の種で表現し殉職の英雄を珊瑚に喩えてしまうというセンスが当時の世人にどうみられるか、北脇が全く意識しなかったとはあまり想像できません。

でも一方で後世の目から、この作品を戦争に対する画家による抵抗表現とするのは少しバイアスがかかりすぎた見方とも思えます。
単に劇的な空中での出来事を幻想的に描きたかっただけなのかもしれません。

とても複雑にアンビバレントな要素を想像させる魅力的な作品です。

 

北脇昇「空の訣別」(東京国立近代美術館蔵)

 

小牧源太郎「積木と栗鼠」(東京国立近代美術館蔵)

 

菅木志雄「界延曲地」(東京国立近代美術館蔵)