アンプラグドの配給でヴィム・ヴェンダース監督(Wim Wenders 1945-)の「アンゼルム"傷ついた世界"の芸術家」(Anselm 2023)が今月下旬から公開されています。
3D上映を行なっている劇場もありますが、都合がつかなったのでとりあえず近所のミニシアターでの2D鑑賞となりました。
アンゼルム・キーファー(Anselm Kiefer 1945-)が実質的な「主役」として登場するわけですから、紛れもなくアートを扱った映画です。
しかし、映画自体の構造はいたってわかりやすく、作家性を強烈に主張する難解な「アート映画」ではありません。
では、ある一人の芸術家の創作活動をトレースしたドキュメンタリー映画なのかというと、そうとも言い切れません。
随所に幻想的光景がとり込まれ「映像詩」ともいえる場面が連続、映画は虚実の間を自由に往来します。
あえて端的にこの映画の正体を言葉にするならば、二人の芸術家同士が行った「プレゼント交換」そのものといったところでしょうか。
監督は昨年の東京国際映画祭時に行われたインタビュー(取材:立田敦子)の中で面白いことを語っています(パンフレットに収録されています)。
ヴェンダースによれば、アンゼルム・キーファーは「映画監督になりたかった」人であり、逆にヴェンダース自身は「画家になりたかった」のだそうです。
映画「アンゼルム」はこうした二人の芸術家が生み出した作品なのです。
彼らは1991年、アンゼルム・キーファーがベルリン国立美術館のナショナル・ギャラリーで開催した大規模な個展の際に知り合い意気投合して以来の仲だそうですから30年以上の付き合いがあることになります。
二人とも1945年生まれ。
デュッセルドルフやフライブルクといった都市で学んでいることも共通します。
写されているキーファーの背中から彼が監督の視線に全幅の信頼を置いていることが自然と伝わってくるように感じるのは、この二人がどこか根っこのところで同じ水を吸い上げてきた同質性からくるものなのかもしれません。
パリ郊外にあるキーファーの工房、というかほとんどプラントといっても良い広大な創作空間には巨大なオブジェが格納されています。
自転車に乗ったキーファーが見上げるとそこには「ウリエル」「ガブリエル」「ミカエル」と彼が呼ぶ大天使たちの翼を模った作品が置かれています。
「天使」を撮り続けてきたともいえるヴェンダースへのキーファーからのプレゼントといったところなのでしょう。
突然キーファー本人とは別の人物によって、山荘で創作していた若い頃の彼が演じられます。
一見、ダサい「再現ドラマ」が挿入されたように感じられます。
しかし、この人物はアンゼルムの息子、ダニエル・キーファーなのです。
法律で禁止されているナチス式敬礼を行う姿を自撮りする場面など、当時のキーファーを生々しく描写するためにヴェンダースはアンゼルムの息子を起用するという粋な仕掛けを施しています。
アンゼルムには息子が出演していることをヴェンダースはあえて秘匿していたようです。
完成した映画を観てアンゼルムが驚いていたことを語っています(これも先述のインタビュー文の中に記載されています)。
こちらはヴェンダースからキーファーへのサプライズ的プレゼントシーンということになるでしょうか。
なお、ヴェンダースは自分自身へもしっかりプレゼントをしています。
映画にはとても理知的に美しい子供が一人登場し、キーファーの幼年時代を象徴する存在として描かれています。
この役を演じているのはヴェンダースの甥孫、アントン・ヴェンダースです。
言われてみると彼にとって親戚のお祖父さんであるヴィムの面影が少し感じられます。
ヴェンダースはこの可愛い血族を美しい映像として残したかったのでしょう。
2022年、ヴェネツィアのドゥカーレ宮で開催されたキーファー展の際に撮影されたとみられる場面ではアンゼルムとアントンが宮殿内で時空を自由に飛び越えつつ邂逅します。
さて、「映画監督になりたかった」というアンゼルム・キーファーの作品群は、こういう彼の言葉を前提とすると、とてもわかりやすい芸術であったことが理解できると思います。
彼は作品の中に「物語」を常に織り交ぜています。
観るものにドラマを想像させる彼のアートは、ある意味で「映画的」といえるかも知れません。
師であったヨーゼフ・ボイスによる人を喰ったようなアートのもっていた空気感を巧みに取り入れながら、キーファーは同門で同世代でもあったブリンキー・パレルモのような抽象表現とは真逆の道を進みました。
しかし、その物語が北欧・ゲルマンの神話や、それと類縁にあるワーグナーに関係するモチーフだったり、あるいは第二次世界大戦であったりしたために強烈な批判を浴びてきたアーティストでもあります。
一方、この映画の中に登場する近作とみられる巨大なキーファー作品には、具体的な「物語」の痕跡はもはや無いようにも感じられます。
しかし、そこには「火と水」「女性」「世界」「崩壊」といった大きな「物語」が神話的超越性を伴いながらやはり色濃く反映されています。
キーファーのアートの中にある「物語」は、そのままこの「映画」そのものの物語として語られ紡がれていきます。
見事な映像によるアートが連続します。
そしてそれを驚異的に高い完成度をもって成立させているのが、「画家になりたかった」映画監督、ヴィム・ヴェンダースなのです。
非常に有名なアーティストですけれど、アンゼルム・キーファーの作品は日本国内のメジャーなミュージアムに数多く収蔵されているという状況ではないようです。
大阪の国立国際美術館が大型の油彩画「星空」(Sternenhimmel 1995)を所蔵していますが、2019年のコレクション展以来、展示機会はもたれていません。
ただ、偶然なのかこの映画が影響したのかどうかはわかりませんが、来年2025年春、二条城の御殿台所・御清所を会場に大規模なキーファーの展覧会が開催される予定となっています。
主催は京都市と青山のモダンアートギャラリー、ファーガス・マカフリー東京です。
これは楽しみな企画です。
2Dの映像(撮影は「PERFECT DAYS」も担当したフランツ・ラスティグ)も十分過ぎるほど美しいのですが、ヴェンダース自身は3Dによる鑑賞を強く推奨しているようです。
それほど長く劇場公開される作品とも思えませんから、可能であれば近いうちに機会を作って鑑賞してみたいと思います。