六波羅蜜寺の本尊、国宝「十一面観世音菩薩立像」が公開されたのでお邪魔してみました。
原則として12年に一度、辰年に御開帳される秘仏です(今回は2024年11月3日から12月5日まで)。
本尊を含め本堂内の写真撮影は全面的に禁止されています。
寺社では一般的な禁令なのですが、カメラ、スマホは当然として、「双眼鏡」も使用しないようにとの注意書が堂内に貼られていました。
では、「単眼鏡」であるアートスコープ類なら良いのかというと、おそらくそういう問題ではないのでしょう。
寺側の意向としては「鑑賞」というより「信仰」の対象として接してほしいということなのだと思います。
開帳初日からの連休中は、数量が限定されていた御朱印の授与などもあり、善男善女の皆さんとみられる参拝者で行列が発生、かなり混雑した時間帯があったようです。
御朱印フィーバーも終わった休み明けの平日、午前中の比較的早い時間に訪れたところ、懸念していた行列は全くなくスムースに入場することができました。
なお、秘仏拝観を含む本堂内への入室だけであれば拝観料は必要ありません。
受付窓口に並ぶことなく、直接本堂に上がることができます(空也上人や平清盛像で有名な宝物館「令和館」に入館する場合は大人600円の料金を受付で支払う必要があります)。
本尊十一面観音菩薩像は本堂の中央奥、大きな厨子の中に格納されています。
高さが2.58メートルもある巨大な立像ですが、拝見できる位置からやや離れていることに加え、厨子の上部から少し幕がかかっているためその全貌を満遍なく確認することは困難です。
それでも、金色が鮮やかな顔の部分や、異様に生々しく艶が残る衣紋の表面など、この仏像特有の美しさは部分的ではあるにせよ視認することができると思います。
六波羅蜜寺の前身である西光寺を建立し「市聖」として親しまれていた空也(903-972)は、950(天暦4)年、庶民から貴族まであらゆる階層の人々に「半銭一粒」の喜捨を呼びかけ、『大般若経』600巻の書写を発願します(三善道統「為空也上人供養金字大般若経願文」『本朝文粋』巻13所収)。
さらに、空也の一周忌を機に源為憲(?-1011)によって書かれた伝記「空也誄(くうやるい)」には大般若経書写発願とほぼ同時期である951(天暦5)年、「金色一丈観音像一体、六尺梵天、帝釈天、四天王像各一体」の造像発願についての記載がみられます。
ここにみられる「金色一丈観音像一体」こそ、現在に至るまで継承されてきた六波羅蜜寺の秘仏本尊とみられています。
同時期に制作されたという「四天王像」についてもこの寺に現存しています(増長天のみ鎌倉時代に補われたもの)。
大般若経書写と一連の彫像造立は完成まで10年以上の歳月が費やされた大プロジェクトだったわけです。
その後、源平の争乱や鎌倉幕府滅亡時の混乱に巻き込まれてきたこの六波羅の地で、奇跡的に守られてきたといってもよい非常に貴重な遺産です。
さて、十一面観音像は秘仏ですから公式には写真がネット上などで一般公開されていません。
テキストのみではありますが、仕様の詳細は文化庁のデータベースで確認することができます。
全体としては平安時代前期に一般的だった一木造特有の重厚さが感じられる彫像です。
ところがその表情には非常に典雅で穏やかな美が溢れていることが確認できると思います。
足元にかけての表面に現れている独特の艶は錆下地漆箔の技法によるものなのでしょう。
神護寺薬師如来立像に代表される、力強い量感と厳しい表情をもった平安前期の一木造彫像と比べると六波羅蜜寺十一面観音菩薩立像は、特にその頭部においてぐっと柔和な作風、つまり「和様」を感じさせます。
仏像彫刻における和様の萌芽としては、888(仁和4)年に創建された仁和寺の本尊阿弥陀三尊像がよく知られています。
六波羅蜜寺本尊はそれから半世紀以上が経過した時期に造立されたと推定できます。
他方、和様が極まった典型である定朝の平等院鳳凰堂阿弥陀如来は1053(天喜元)年の造立です。
つまり、六波羅蜜寺の十一面観音菩薩像は、およそ半世紀単位で区切ってみると、仁和寺阿弥陀如来と平等院阿弥陀如来の中間あたりに制作されたと考えられますから、平安前期と後期の仏像スタイルをつなぐ作例としてもとても興味深い彫像といえます。
六波羅蜜寺は真言宗智山派に属しています。
しかし1595(文禄4)年、新義真言宗智積院の末寺となるまでは天台宗の寺院でした。
現在の本堂は南北朝時代、1363(貞治2)年に修造されたものが受け継がれた建築ですから、その基本構造は天台宗のスタイルに拠っているということになります。
秘仏本尊を収める中央の巨大な厨子をふくむ三基の厨子が並べられた様式は比叡山延暦寺の根本中堂にならったものとされています。
規模は全く違いますが、たしかに外陣から内陣にかけてみられる六波羅蜜寺のスタイルは根本中堂の雰囲気によく似ています。
江戸時代には、今は宝物館に陳列されている薬師如来が十一面観音像の向かって左に、右には伝定朝作とされる地蔵菩薩立像が安置されたのだそうです。
さまざまな時代の遺産が濃縮された空間だったのでしょう。
開扉された秘仏本尊からはそうしたこの寺がまとってきた歴史の厚みまでもが感じられたような気がします。
(以上、2022年の東京国立博物館「特別展 空也上人と六波羅蜜寺」展図録を適宜参照しています)