庭園と茶室八窓軒が特に有名な曼殊院門跡ですが、建物の中には結構近世絵画も残されていて間近に鑑賞することができます。
庫裡から入ってすぐの大玄関には狩野永徳の作と伝わる竹虎図や岸駒の孔雀など、襖絵が剥き出しのまま展示されています。
共に傷みが目立ちますが、図像そのものはしっかり確認できるレベルに保たれています。
しかし、大書院の「滝の間」と「十雪の間」、小書院「黄昏の間」の障壁を飾っていたという狩野探幽の絵はほとんど図像が残らないほど消え去ってしまっています。
寺の説明書がなければ誰が何を描いたのか全くわかりません。
ご近所の詩仙堂に飾られていた探幽による三十六詩人の板絵は昭和30年代、小早川秋聲の模写に取り替えられ原画は寺宝として別に保管されています。
同じく探幽が描いた二条城障壁画も模写展示になっていて、原画は城内の展示収蔵館を利用し、一部ではありますが常時公開されています。
曼殊院の探幽は残念ながらほぼ消え去ってしまいました。
模写や保存修理のタイミングを逸してしまったようです。
しかし、ここは長らく門跡たちが暮らした場でもあったわけで、壁に直接描かれた江戸初期の絵が外気に晒されつつ消えていくことはむしろ自然なことでもあります。
いつ頃消えてしまったのかわかりませんが、無理矢理に他の絵を塗り重ねたり、きれいに除去してしまうのではなくありのまま痕跡を残しています。
結果として、「消えた探幽」の残り香のような気配が壁から伝わってきます。
これはこれで成り行きが生み出した余韻として美しいと思います。
探幽の絵は消えてしまいましたが、曼殊院にはとびきりの絵画空間が別の部屋に、とても美しいかたちで継承されています。
大玄関、虎の間のすぐ横にある小さい部屋、「竹の間」です。
一面に喩えようもなく美しく影を帯びた青緑の世界が現れます。
反復する黒い竹文様が生み出す高密度のミニマリズム。
これは版画なのだそうです。
江戸時代初期、400年前に出現したとは思えないくらいモダンな空気が漂っています。障子窓から差し込む柔らかい光が陰翳をより深くしていて、何も余計なものが飾られていない分、室内自体の個性が際立ちます。
他の部屋と全く違う、驚きの異空間。
ウィリアム・モリスよりも早く、しかも見ようによってはモリスよりも洗練されているともいえる植物文様の壁紙が生み出されていたことに感嘆してしまいます。
元は相国寺の南あたりに位置していた曼殊院を現在の一乗寺エリアに移したのは、良尚入道親王。
1656(明暦2)年頃のことだそうです。
この人は桂離宮を造営した八条宮智仁親王の次男。
後水尾天皇の従兄弟にあたります。
こだわりの美意識を持っていた趣味人として知られ、彼自身、狩野探幽に学んだという絵筆を駆使して優美な絵画を描き曼殊院の中に今でもその作品が飾られています。
竹の間の創造にどこまで法親王の指示がいきわたっていたのか、よくわかりませんが、近世宮廷趣味における最先端の美がこの部屋からは伝わってきます。
桂離宮と類似する室内装飾が点在するために「小さい桂離宮」などと呼ばれたりする曼殊院。
しかし桂から大きくスケールダウンした建物に嵌め込まれた棚や欄間の意匠はやや煩く感じられさほど価値が高いものとは見えません。
さらに、ここからすぐ北には後水尾上皇が造営を進めていた修学院離宮があります。
当然、曼殊院庭園の作り手はそれを意識したはずです。
結果として離宮の雄大さに影響を受けたのか、枯山水の庭園は枯淡の見立てに振り切れておらず、緑が多すぎてちょっと散らかっている印象すら受けてしまいます。
確かに王朝風の優雅さが感じられはするものの、それが徹底されているわけでもありません。
桂と修学院を意識すればするほど、中途半端さが滲んでしまったのではないかとも推測されます。
むしろ小空間ならではの密度を活かし切って、青の色彩と竹の反復模様に徹した「竹の間」の世界こそ、曼殊院ならではの突き抜けた美空間を感じます。
さて曼殊院は台所が二つあることでも有名です。
庫裡にある台所とは別に、上之台所と名付けられた厨房があり、こちらの方が庫裡のそれよりよほど立派に設えてあります。
竈門の数は庫裡の倍以上はあるでしょうか。
寺の規模からみると明らかにアンバランスなほど大きい近世のキッチンです。
中には夥しい食器類などと共に、献立表が飾られています。
門跡たちが相当な美食家だったことが伺いしれますが、この伝統も良尚法親王の趣味だとすれば、竹の間を残したディレッタンティズムに通じるものを感じます。
八条宮智仁親王や後水尾院の存在を十分意識していたとみられる良尚法親王。
質や規模の点で両者の離宮にとても追従できるわけもないこの門跡寺院において、何か特別なものを残したかったのかもしれません。
もしその意思が竹の間の装飾モダニズムや、美食の台所につながったのであれば、これほど面白い人物も珍しいのではないかと思ったりもします。